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職業:魔法少女  作者: ずんだずんだ
第4章 継承の夜明け
17/26

第二部 灰の嵐

 四分は、まだ来なかった。

 時間は砂に似ている。握りしめるほどこぼれる量が増え、指の隙間で現実の重さだけが濃くなる。


 〈中央、持続展開。側面、第二列を前へ〉

 命令は濁り気味に届く。通信回線に灰が詰まるみたいだ、と誰かが言った。たぶん冗談だ。けれど笑う余裕は誰にもなかった。


 ユノ・アマツキは光の骨をさらに増やした。骨と骨の間に薄膜を渡し、衝撃の逃げ道を増やす。硬さと柔らかさの比率を微調整しながら、仲間たちの背中に“もう一本の背骨”を差し込んでいく。

 その最中、災厄の形がゆっくりと屈んだ。胸郭の中心に、海溝のような皺が縦に走る。杭群が地面を食み、黒い根を増やした。


 「基底、増殖……」「吸い上げ量、上がってる!」

 「都市そのものが“灯油”みたいに扱われてるってこと?」

 「比喩にしては悪趣味だな」「現実が悪趣味なんだよ!」


 言葉が言葉で殴り合うより早く、現象が進む。

 災厄の“顔”にある穴がひとつ、ぎゅっと細くなり、そこから圧縮された霧の弾丸が放たれた。見えない弾丸は風景を押しのける形で通過し、二列目の一人の胸を穿つはずだった——が、その直前でユノの骨が軋んだ。

 骨は砕けず、膜が裂け、代わりにユノの肺が小さく咳き込む。肺の内側がざらりと削れ、薬液の匂いが逆流した。

 (取れた。……まだ張れる。)


 「セーフ!」「救護、ここまで引ける?」

 ユノは骨の担架で少女を後方へ滑らせた。担架の揺れを限りなく“揺れない”に近づける。振動は痛みであり、痛みは魔力の漏れ口になるからだ。


 〈左側面、杭群の三本破砕。災厄、重心移動〉

 少し傾いた。たったそれだけで、都市は波を打つ。瓦礫の波止場に、灰の波が寄せ返す。

 災厄の足場が揺らいだ瞬間、前衛の槍術式が“刺さる”手応えを返した。表層がわずかに剥げ、中層の赤い線が露出する。

 「刺さった! いま——」

 「待って、見て!」

 赤の線が一瞬で黒に馴染む。傷は“学習”によって封じられる。

 (攻撃は記憶される。——なら、常に違う角度で、違う深さで。)


 ユノは骨組みを複雑化した。直線だった梁を曲げ、円弧を重ね、無数の“逃し”を作る。

 正解はない。正解の代わりに、“いまここで死なせないための構造”だけを足し続ける。

 リズムは、音楽ではなく、工事だった。


 災厄の腕が二度、三度と風景を撫でる。そのたびに数名がふっ、と消える。消える瞬間、彼女たちの輪郭は“水で描いた絵”のように滲んだ。

 戻ってくる気配はない。

 ユノは喉の奥で短く叫び、骨の網をより密にする。密にすれば視界が狭くなる。狭くなれば攻撃線が見えない。見えないから、誰かが死ぬ。

 (密にしすぎない。けれど薄くもしない。中庸は戦場では嘘だ。——なら、状況ごとに中庸を作る。)


 〈後方補助部隊、接近。到着まで一分四十〉

 長い。

 その一分四十のあいだに、災厄は背中から“音”を出した。骨が軋む音でも、筋肉が擦れる音でもない。標準化できない、名称のない音。

 空気が波紋の皿になり、皿の中央から皿の縁へ向かって“圧”が伝う。

 「来るぞ!」

 「反転防御!」

 ユノは骨をひっくり返した。内側と外側を逆転させ、波の頂点で受けず、斜面で滑らせる。

 人間の背骨もそうやって衝撃を逃す——と、昔読んだ解剖学の頁が一瞬よぎる。


 圧が去る。代わりに灰の雪が濃くなった。

 灰は重い。薄い粉に見えるが、ひとかけらのなかに壊れた人生が詰まっているからだ。

 耳の中がざらつき、フィルターの縁が痛む。

 (まだ——)


 突如、空が開いた。

 補助部隊の光輪が上空に咲き、数十の救護術式が地上へ降り注ぐ。医療魔法の緑が瞬き、倒れた者たちの呼吸が戻る。

 「繋ぐよ!」

 「担架優先!」「右、空けて!」

 隊列に秩序が戻りかけた、ほんの刹那。

 災厄の胸の皺が深くなった。

 裂ける。

 黒い胸郭が縦に開き、闇の奥に、最初から存在しなかったはずの“空洞”が露出する。

 空洞は底なしだ。見れば見るほど見えてこない。視線が吸い込まれ、体温が下がる。

 「目を合わせるな!」

 誰かが叫ぶ。

 遅い。

 空洞から無音の風が流れ出た。

 風は風であることをやめ、意味を奪う。

 ユノの骨組みから“強度”の数値が剥がれた。計算できない。計測できない。“感じろ”しか残らない。


 リリースコードが小さく震えた。

 ——ユノ。

 「まだ、やる。できる」

 ——わかってる。わかってるけど、数字は嘘をつかない。

 「数字だけが真実でもない」

 ——あなたはときどき、人間の言葉を使って、世界を騙す。好きだよ、そういうところ。


 ユノは骨を捨てた。

 捨てた分、別の形を拾った。

 手のひらから“肋骨”を生やし、空洞の風に向けて“音”を置く。

 音は触れられない。触れられないから、空洞はどう扱えばいいか分からない。

 肋骨の間を通る風が、ほんの少しだけ躊躇した——ように見えた。

 (通った。微差でも、通るなら続ける。)


 〈中央、よく持ちこたえた。側面、杭群に集中!〉

 杭が一本、また一本と折れる。地面の“内圧”が上がり、災厄の足元に細かな皺が走る。

 ユノは骨の代わりに“継ぎ目”を配り、継ぎ目の代わりに“やわらかさ”を渡す。

 戦う、というより、縫う。

 世界の裂け目を、針と糸で縫い合わせる仕事。

 痛みを残す縫合を避け、瘢痕が最小になるように、針目の幅を変える。


 時間は進む。

 補助部隊が効いて、前線の死は減った。減ったが、負傷は増えた。

 体力と魔力の境界が曖昧になる頃合い。誰もが指先を震わせ、膝で均衡を取る。

 〈全体魔力残、四割〉

 〈搬送区画、許容量超過。後方へ振り分け開始〉

 〈災厄の再生速度、上昇傾向〉


 (上がる……?)

 ユノは眉を寄せる。

 攻撃が激しくなるほど、あいつは“元気になる”。

 学習と吸収。

 (吸ってる。私たちの光を、少しずつ。なら、どうやって——)


 地面の下が、ぼこり、と沈んだ。

 杭群とは別に、もっと深いところで“飲み込むための器官”が開いたのだろう。

 後列の数名が足場を失い、膝まで沈む。

 ユノは咄嗟に彼女たちの腰に“浮力”を上書きし、泥のようになった舗道から引き剥がした。

 浮いた身体を別の子の腕が受ける。受けた子の肩にユノの“強度”が宿る。

 連鎖。

 連鎖は希望だ。希望の反対語は絶望ではない。断絶だ。

 (断たせない。まだ、続ける。)


 〈中央——〉

 司令の声が途切れ、ノイズに変わった。

 災厄の“顔”の穴が、こちらの周波数を盗み、上書きしてくる。

 通信が黒い笑い声になりかけたところで、後方のジャミングが遮断した。

 「通信、回復!」「司令、お願いします!」

 〈中央、よく聞け。ここからは消耗戦になる。——中央だけで持つな〉

 ——中央だけで持つな。

 その言葉が、ユノの背骨のざわめきを少しだけ静めた。


 「三列目、入れ替わる!」

 「前、下がって!」「いや、私まだ——」「いいから下がれ!」

 下がることは敗北ではない。

 下がらないことは美徳ではない。

 戦場の正義は、今日、ここを“生き残って戻る”ことだ。


 災厄の胸の空洞に、ふっと違う色が混じった。

 灰と黒のあいだに、薄い青。

 ——空だ。

 空が覗いている。

 空は向こう側だ。こちらではない。

 (まずい。ここから“向こう”へ繋げる気だ。)

 向こう側と繋がれば、吸い込みは“量”の問題ではなくなる。構造の問題になる。橋が架かる。橋は片側からも渡れる。


 「切る!」

 ユノは骨の刀を作り、空洞とこちらを結びかけた見えない糸を叩き切ろうとした。

 刀は通らない。糸は“見えているように見える”だけだ。

 (触れないものを切るには、触れない刃が要る。)

 ユノは刀を捨て、音を作る。

 鼓膜ではなく、骨伝導でもなく、もっと“奥”で聴く音。

 音で縫い目を乱し、橋の工事を遅らせる。

 (遅らせた。けれど——)


 〈全体魔力残、三割五分〉

 〈負傷・戦闘不能:四割超〉

 〈中央、陣形維持限界まで——二分〉


 二分。

 二分は、砂時計の砂が一息で落ちる量に等しい。

 ユノは一度、目を閉じた。

 (撃たないで来た。張って、繋いで、支えた。——でも、この先は?)

 リリースコードが胸の中で、指先ほどの大きさで輪を描く。

 ——ユノ。

 「まだ」

——“まだ”は、ときに世界でいちばん危険な言葉になる。


 災厄が、こちらを見た。

 視線はない。目もない。

 けれど、見られる感覚は確かにあった。

 その“見られた”という事実が、隊全体を一瞬だけ静止させた。

 心臓が同時に一拍、遅れる。

 その一拍の遅れた隙に、災厄は胸の空洞をさらに広げ、空の色を引きずり下ろした。

 空が落ちる。

 天井が重くなり、膝が勝手に折れる。

 ユノは地面に手をつき、骨を地中へ伸ばした。

 支える。

 この街の下に、まだ“地球”があることを思い出させるように。


 〈中央、離脱準備! 第三列と入れ替え!〉

 「だめ、下がれない!」「……身体が、動かない」

 動かない。

 命令で動く機械でさえ、機構が歪めば動かない。

 人はもっと複雑だ。

 心が止まれば、脚も止まる。


 リリースコードが、初めて“重い”声を出した。

 ——ユノ。

 「まだ」

 ——あなたが選ばないなら、代わりに選ぶ者がいる。

 「誰が」

 ——“世界”。


 空洞の風が、ユノの中へ入ってきた。

 冷たい。冷たさには種類がある。氷の冷たさ、金属の冷たさ、死の冷たさ。

 これは、終末の冷たさだ。

 (終わる。ここで、何かが。)


 彼女は唇を噛んだ。

 (撃つ? 撃てば、また——)

 撃たなければ、全員がここで止まる。

 止まれば、その先の街も止まる。

 彼女たちを待つ家も、学校も、未来も、止まる。

 (……やだ。)

 やだ、は意思だ。

 拒絶は選択だ。

 ユノは奥歯を噛みしめ、首を横に振った。

 「まだ張る。——張らせて」

 ——わかった。君は、最後まで“骨”でいようとする。

 鍵の声は、悲しむでも怒るでもなく、ただ、理解を置いた。


 災厄の胸——空洞の縁に、白い亀裂が走った。

 地平線の向こう、補助部隊の重魔術式が準備を終えたのだ。

 巨大な魔法陣が空に広がり、都市の輪郭をなぞる。

 「落とすぞ!」「総出力、二割オーバーでも行け!」

 命令は焦りに近い熱を帯びる。焦りは判断を歪めるが、時に勢いを生む。

 陣が点火し、空から“重さ”が降ってくる。

 万有引力という古い言葉が、此処と彼方の境界を強引に引き寄せる。

 災厄の脚が、ぎ、と鳴って、折れかけた。

 空洞が揺れる。

 ユノは一瞬、胸に微かな希望の火を見た。


 ——その瞬間、空洞の“向こう側”が、こちらを見返した。

 向こう側の何か、名前のない“意志”が、橋を渡ろうとする。

 橋は半分できている。残り半分は、今落とそうとしているこちらの“重さ”が、完成させる。

 (だめ!)

 ユノは骨を空へ突き立て、陣の“重さ”の向きをほんの少しだけずらした。

 重さは落ちる。けれど、真下ではなく、半歩だけ“斜め”に。

 半歩の斜めは、大陸の距離に等しい。

 落下のベクトルが変わり、橋の接続が一瞬だけ遅れる。

 遅れは、命だ。


 〈中央、よくやった——〉

 司令の声は、そこで途切れた。

 次の瞬間、空洞が、こちらの名前を呼んだ気がした。

 “ユノ”。

 違う。呼ばれたのは全員だ。

 全員であり、ユノでもあった。

 彼女の内側で、何かが“了承”した。


 ——ユノ。

 鍵の声が低く、深く響く。

 ——選ばないのは、選んだのと同じ。

 ——ここで終われば、明日が消える。

 「……わかってる」

 唇の血の味が、灰の味に負けた。

 「お願い。——私を使って」

 ——命令、承認。

 鍵が回る音が、胸の奥で確かに鳴った。

 古い扉の蝶番が油を差されたみたいに、滑らかで、否応がなかった。


 世界が静かになった。

 音が消え、色が退いた。

 ユノの左目に、あの虹が満ちる。

 瞳孔の縁で、七色が薄く重なり、やがて白に溶ける。

 白は色ではない。

 白は、色の総和だ。

 総和は、消滅に似ている。


 ——制限解除プロトコル:L=∞

 ——対象区域 半径十キロメートル

 ——術式名:無相/消滅アポトーシス

 鍵の声は、機械でも、祈祷でもなかった。

 “意志”だけがそこにあった。

 ユノは頷いた。

 意識は、そこで暗転する。

 けれど暗転の向こう側で、彼女は確かに見た。

 自分の中にある“扉”が開き、無数の糸が世界へ伸びる光景を。

 糸は誰かの呼吸であり、鼓動であり、夢の残り香だった。


 光が落ちた。

 音のない轟音が、都市の中心に刺さる。

 刺さった場所から、すべてが“なかったこと”になる。

 瓦礫は姿勢を保ったまま透け、灰は雪の形で消え、風の渦だけが半拍遅れて空を素通りした。

 消滅という言葉は、破壊の同義語ではない。

 破壊は形を壊す。

 消滅は履歴を壊す。

 ——半径十キロ。

 都市の地図が円形に剥がれ、空白がぽっかりと開いた。

 空白の縁に立つ者たちは、そこに“本来あったはずの街”を思い出せない。

 記憶の輪郭にモザイクがかかり、家の色も、看板の文字も、通り雨の匂いも、誰の靴音も、消えた。


 光の中心で、ユノは目を閉じていた。

 眠っているわけではない。

 眠りに似た静謐。

 ふいに、内側に水が差し込むように、声が満ちた。

 ——ユノ。

 セリアの声だった。

 ——大丈夫。あなたは、奪ってない。

 “いまは”。

 その但し書きだけが、遠い。


 光はやがて薄れ、色と音が帰ってきた。

 帰ってきたのは“こちら側”だけだった。

 向こう側は、扉を閉じたまま、沈黙した。


 最初に聞こえたのは、しゃくりあげるような泣き声だった。

 誰かが、生き延びた事実に耐えかねて泣いていた。

 次いで、無線の復帰音。

 〈——中央、応答を〉

 〈こちら中央、生存確認。被害甚大〉

 〈……聞こえるか。聞こえる者、挙手〉

 挙手の代わりに、光がいくつか揺れた。

 ユノは何もできなかった。

 膝が床に触れている。掌は灰に沈んでいる。

 胸の中の鍵は、静かだった。

 ——よくやった。

 そう言われた気がして、彼女は首を横に振った。

 口が動かない。動かす言葉が見つからない。

 ただ、息が浅い。

 それでも、生きている。


 災厄の形は、もうなかった。

 あった場所にも、あった痕跡にも、何ひとつ残っていない。

 “なかった”という事実だけが、そこに在る。

 あまりにも大きな不在は、存在よりも重かった。


 〈全隊、緊急集計。戦闘不能者、搬送優先〉

 〈医療班、全力投入。後続の後続も前に出せ〉

 〈ユノ・アマツキ、返答を。状態は〉

 ユノは喉の奥で小さく息を吸い、マイクに触れた。

 「……大丈夫。立てる。——すぐに、立つ」

 立てなかった。

 骨が足りない。

 いま必要なのは、彼女自身の“骨”だった。


 左目のオーロラは、ようやく沈静した。

 瞼の裏に、白の残光だけが残る。

 鍵が、ごく短く、優しく鳴った。

 ——これで、“半分”は守られた。

 彼女は、その言い方を憎んだ。

 “半分”。

 残りの半分がどこへ行ったかを、彼女はまだ知らない。


 空は、灰の色を薄めながら、ゆっくりと青に戻りつつあった。

 風が、匂いを運び始める。薬品と焦げと、微かな土の匂い。

 救護の緑が点々と灯り、遠くで誰かが仲間の名前を呼ぶ。

 返事は、半分だけ返ってきた。


 ユノは膝に力を込め、立ち上がった。

 “骨”が戻ってくる。

 自分のための骨。

 世界のための骨。

 その両方が必要だ。

 鍵はもう何も言わない。

 代わりに、心臓が答えた。

 ——次は、あなたが選ぶ番だ。

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