黎明の光
朝の空気は、まだ春の名残を抱いていた。
淡い白のカーテンが風に揺れ、ユノ・アマツキは目を開けた。
窓の外では鳥が鳴いている。いつもの朝。——のはずなのに、心臓の鼓動がどこか落ち着かない。
「今日、なんの日だっけ……」
寝ぼけた声が空気に溶けた。
机の上の端末が光り、IMIAのロゴが淡く点滅する。
> 【適性検査日】
> 07:30 本部第二棟
> 受験者名:ユノ・アマツキ
その文字を見た瞬間、記憶が一気に覚醒した。
「あ、今日か……!」
布団を跳ね飛ばして立ち上がる。制服を羽織り、髪を束ねる。鏡に映る自分の顔は、どこか大人びて見えた。
——本当に、魔法少女になれるんだ。
◆
IMIA本部。
灰色の建物が朝日を反射して、まるで巨大な無機質の結晶のように光っている。
正面ゲートをくぐると、ガラス越しに広がる白いロビー。
受付のホログラムが淡々と名前を確認し、手首に識別バンドを装着してくれる。
> 「アマツキ・ユノ様。第二棟へお進みください。通路の左側をお通りください」
声は柔らかいが、どこか人工的な響きをしていた。
案内に従って歩くと、視界の端に他の候補生たちが見える。
皆、自分と同じくらいの年頃。緊張で強張った笑顔。
どの顔にも「希望」と「恐れ」が半々に宿っていた。
ユノは胸の奥で、何かが小さくざわつくのを感じた。
心臓ではない。もっと深い場所。
……まるで、体の中の“別の誰か”が目を覚ましたみたいに。
◆
適性検査室は白で統一されていた。
中央には半透明のカプセルのような装置。
周囲には無数の管とパネルが接続され、壁際では白衣の技師たちがモニターを見つめている。
その中に、一人だけスーツ姿の男がいた。
背筋が伸びていて、声のトーンは抑えめだが、目の奥に静かな光を持っている。
「アマツキ・ユノさんですね。私は監査部のシロウ・エガワです。今日の検査を担当します」
「はいっ!」
ユノは思わず背筋を伸ばした。
シロウは微かに笑う。
「緊張しなくて大丈夫。これは痛くも怖くもない。ただ、君の中の“光”を見せてくれるだけだから」
その言葉を聞いた瞬間、ユノの左目が微かに疼いた。
「光……?」
「うん。みんな、最初は知らない。でも“光”は、ちゃんと自分の中にある。君も感じたことがあるだろう?」
ユノはうなずいた。
——確かに、時々。夜、目を閉じると、まぶたの裏がきらきら光る。
それを「夢」だと思っていた。
けれど、あれは……違ったのかもしれない。
「装置の中に入って、深呼吸して。あとは、私たちがやる」
技師の女性が穏やかに促す。
ユノは頷き、カプセルの中に身を横たえた。
◆
装置が静かに閉じる。
内壁のラインが青く光り、低い音が空気を振るわせる。
ユノの意識はゆっくりと沈んでいった。
光と闇のあいだを漂うような感覚。
呼吸が遠くなる。代わりに、誰かの声が近づいてくる。
——聞こえる?
柔らかく、包み込むような声。
知らないのに、懐かしい。
——あなたの中には、“二つの力”がある。与える力と、受け取る力。
——でも、どちらを選ぶかは、あなた自身よ。
「だれ……?」
——名乗るほどの者じゃない。ただ、願っただけ。あなたが笑える世界を。
「……笑える、世界?」
——そう。だから、怖がらないで。あなたの光は、奪うものじゃない。まだね。
その声が遠のくと同時に、胸の奥が熱くなった。
青い光が視界いっぱいに広がる。
左目の奥が焼けるように痛い。
「——っ!」
息を吸い、瞼を開く。
そこは、もう検査室だった。
技師たちが騒然としている。
「適性値……観測限界を突破しました!」
「エネルギー指数、推定値不明! 記録不可能!」
シロウが一歩前に出て、モニターを見上げる。
グラフは振り切れ、表示は“∞”。
——ユノの左目が、淡く輝いていた。
虹色に揺らめく、淡いオーロラの光。
「……それが君の、“光”か」
シロウが呟いた。
ユノは目を押さえながら、混乱と興奮の狭間で立ち上がる。
「な、なんですかこれ……!」
「落ち着いて。痛みは?」
「……ない。でも、熱い」
「それは君のエネルギーが“目覚めた”証拠だ」
彼は穏やかに言うが、表情の奥には明らかな動揺があった。
“あの光”を彼は知っていた。
かつて一人の魔法少女が、引退直前に放った光。
セリア・ノイン——その目にも、同じ虹色の炎が宿っていたのだ。
◆
検査後、ユノは医務室で休んでいた。
シロウは記録をまとめながら、壁際で報告を送る。
> [REPORT] Subject: Yuno Amatsuki
> Energy Output: Unknown(beyond measurable threshold)
> Visual Phenomenon: Aurora Emission(left eye)
> Recommendation: Immediate Observation
送信ボタンを押す前に、ほんの一瞬だけためらった。
報告を上げれば、彼女は“計画”の対象になる。
けれど、上げなければ自分が排除される。
彼はため息をつき、指を動かした。
報告書が送信されると同時に、頭上の照明がわずかに瞬いた。
——まるで、誰かが「見ている」ようだった。
そのころ、ベッドの上のユノは、ぼんやりと天井を見つめていた。
検査のあいだに見た“声”の主を思い出していた。
あの声の響き。あの温かさ。
「あなたの光は、奪うものじゃない」
その言葉だけが、胸の奥で何度も反響していた。
窓の外では、夕日が沈みかけている。
橙色の光がガラス越しにユノの頬を照らし、左目の奥でかすかに虹が揺れた。
まるで、遠くで誰かが微笑んでいるように。
◆
その夜。
本部の地下第三区画。立ち入り制限区域。
黒いコートの男が一人、端末を見つめていた。
画面には、新しいコードネーム。
> PROJECT: Aurora_Seed
> NEXT SUBJECT : YUNO AMATSUKI
男は笑った。
「ついに、“器”が現れたか」
その背後の闇の中で、巨大な装置が静かに脈動する。
円環状の冷却管の中を光の粒子が流れ、中央には透明な球体。
そこには、無数の“残滓”が浮かんでいた。
消えた魔法少女たちの、光の断片。
男は呟く。
「これで、循環は完全になる」
画面に、“∞”の文字が浮かび上がった。




