第四部 灰の戦場
その朝、空は奇妙なほど静かだった。
青でも灰でもなく、ただ色を失った空。風さえ、呼吸を控えているように感じられた。
ユノ・アマツキは、コートの襟を握りしめながら、訓練施設のゲートをくぐる。
胸元には、銀色の鍵――リリースコード。冷たく肌に触れるたびに、脈の鼓動が重なった。
「……呼び出しって、嫌な予感しかしない」
ぼやいたのはミナトだった。金色の髪を後ろで束ね、軽い口調とは裏腹に目は鋭い。
「大規模戦闘かもしれない。昨日の観測で魔素濃度が異常値を出してた」
隣のレナが答える。小柄な身体に似合わず、声には芯があった。
ユノは二人のやり取りを黙って聞きながら、指先でリリースコードをなぞった。
――なぜ、胸の奥がざわつくのだろう。
遠くでヘリの音。雲の向こうから太陽の輪郭がぼんやりと浮かぶ。
世界は息を潜め、ただ「何か」を待っているようだった。
第一節 廃区へ
出発から一時間後、輸送車は郊外の廃地区に到着した。
そこは、十年前に放棄された工業都市。
錆びついた煙突、崩れかけた高架橋、折れた鉄骨が地面から突き出ている。
風が吹いても、埃は立たない。
まるでこの土地が「動くこと」を忘れてしまったようだった。
「……気味悪いな」
新人の一人が呟く。
「ここ、かつて人が住んでたんでしょ?」
レナが頷く。「魔素の侵食で全域封鎖になったって。誰も戻らなかった」
無線から指揮官の声が響く。
『対象は単一体。だが、魔素濃度は最高レベル。中心部に防護壁を確認。通常魔法は無効だ』
ユノは呼吸を整える。
魔素――それは形を持たぬはずの存在。だが濃度が限界を超えると、人のような形を取る。
世界はそれを“顕現型魔素”と呼び、戦う術を魔法少女たちに託した。
「防護壁の突破、任せるわ。ユノ」
ミナトの視線が刺さる。
「……まだやってもないのに決めつけないで」
軽口を叩く声に、微かな震えが混じった。
第二節 第一波
魔素は、空の中心でうごめいていた。
黒い霧の塊――いや、それは“生き物”だった。
内部で光が脈打ち、霧の外側を人型の輪郭が覆う。
「いくよ!」
レナの魔法陣が展開され、数十本の風刃が放たれる。
音もなく魔素の体表へ吸い込まれ、瞬時に消えた。
「……効いてない」
「違う。吸われてる」ミナトの声が低い。
壁が脈打ち、風の軌跡を取り込むように波打つ。
「まずい! エネルギー吸収型!」
指揮官の声と同時に、地面が揺れた。
魔素の腕が伸びる。影のように細く長く、地面を裂きながら迫る。
新人の悲鳴。ユノは反射的に前へ出た。
「プロテクション・フィールド!」
薄紫の光が展開し、迫る衝撃を弾く。
爆風。砂と金属片が舞い上がる。
耳鳴りの中、リリースコードが脈打った。
《エネルギー吸収率:上昇》
「……今、何て?」
《安定中。問題なし》
冷たい声が、内側から響いた。
第三節 追い詰められて
戦闘は長引いた。
魔素の防護壁は壊れず、仲間たちの魔力は削られていく。
「私、もう……魔力、尽きる!」
新人の少女が叫び、膝をついた。
レナが駆け寄り、肩を支える。
「あと少し! 持ちこたえて!」
ミナトは背後で光弾を連射しながら、短く叫んだ。
「ユノ! 何か手があるの!?」
ユノは答えない。
頭の奥で、金属が軋むような音がした。
《出力封鎖、解除可能。オーロラバーストの使用を推奨》
「ダメ……範囲が広すぎる」
《安全圏確保を確認後、実行可能》
ユノは息を呑み、仲間を見渡した。
レナ、ミナト、新人二人。
汗と血で顔が汚れている。誰もが限界だった。
「――全員、退避!」
「でも!」
「いいから行って!」
その声に、全員が一瞬だけためらい、そして頷いた。
「必ず戻ってきて!」
レナの叫びが風に溶けた。
第四節 決断
廃街の中心に、ユノはひとり立った。
魔素の巨影がゆっくりと形を変える。
その顔は――人間の“仮面”。無表情で、どこか哀しい。
《再確認:オーロラバースト、発動準備》
「……行くしか、ないのね」
リリースコードを握る手が震えた。
銀の鍵が、眩い光を放つ。
「――リリース、コード・フルドライブ!」
地面に巨大な魔法陣が刻まれ、空が虹色に裂ける。
世界が静止した。
音も、風も、呼吸も消えた。
「――これで、終わりにする!」
放たれた光は、まっすぐに空を貫いた。
七色の奔流が夜を裂き、灰色の空を焦がす。
閃光のあと、全てが沈黙した。
第五節 余波
光が消え、灰が舞う。
風が戻り、遠くで誰かの声がした。
ユノは膝をつき、息を荒げる。
地面に残ったのは、黒い影――もう動かない魔素の残骸。
「……終わったの?」
リリースコードが微かに震える。
《吸収率:安定中》
「……吸収?」
遠く、撤退した仲間の姿が見える。
レナが何かを叫び、倒れた少女たちの肩を揺さぶっていた。
ミナトも片膝をつき、顔色が悪い。
ユノの心臓が跳ねる。
あの瞬間、砲撃を放った時――何かが流れた。
光ではない、もっと生々しい“力”が、自分の中へ吸い込まれていったような。
《安定稼働、確認》
リリースコードの声は淡々としていた。
まるで、今起きた惨状がすべて予定のうちであるかのように。
第六節 報告書
数日後。
医療棟の白い天井。消毒液の匂いが漂う。
ユノはベッドに座り、包帯を巻いた手を見つめていた。
「君以外は全員、休養だ」
灰野教官が言った。
「長時間の魔素曝露による神経損傷……でも、命は助かった」
「……私は?」
「異常なし。むしろ、エネルギー値は安定している」
“異常なし”。
それは褒め言葉のはずなのに、胸の奥に重く沈んだ。
灰野が去ると、シロウ・エガワが現れた。
冷静な目、笑みのない口元。
「君の活躍は報告済みだ。だが次からは、出力を抑えろ。君の力は……制御が難しい」
「……私の力って、何なんですか」
「知る必要はない。君はただ、人々を守ればいい」
その言葉は冷たく、どこか機械のように響いた。
第七節 夜
夜、病室。
レナの寝息が静かに響く。
ユノは椅子に座り、そっとレナの手を握った。
温かい。
けれど、その温もりの奥で何かが“流れ込んでくる”。
光が、皮膚の下で波打つ。
まるで、力が吸い上げられているように。
「……どうして……」
胸のリリースコードが淡く光る。
《吸収率:安定中》
目の前の端末に、その文字が浮かんでいた。
窓の外。
灰色の空の向こうに、薄い虹色の靄が漂っていた。
その中心に、白い影――女の姿が見える。
振り向かないまま、遠くへ消えていった。
「ねぇ……あなたは、誰なの?」
答えはなかった。
ただ、リリースコードが心臓の鼓動に合わせて静かに脈打つ音だけが、夜を満たしていた。




