第8話:誰にも知られなかった遺志
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村に朝が訪れても、空気はどこか重かった。
祝福の届かないこの地では、太陽の光でさえ鈍い。
けれど、レオンはもう慣れ始めていた。
今日は村の中を探索すると決めていた。
魔王がなにを遺したのか――その痕跡を探すために。
古びた納屋、崩れかけた祠、誰も使わなくなった井戸。
小さな村には、それでも多くの【語られない場所】があった。
「……少し前までは、夜になると、祠に何かが置かれていたのよ」
そう語ったのは、例の老婆だった。
彼女は毎日祈っている。
何の祝福がなくても、決して神を罵ることもしない。
ただ静かに暮らしている。
そして、夜だけは必ず戸を閉めて、明かりを消すのだという。
「灯を入れたのは【魔王】だったのか?」
老婆は目を伏せ、ただうなずいた。
姿は見えなかったという。
ただ薬草や薪、時に衣服が、朝になると村の片隅に置かれていた。
誰もが【神の罰】を恐れ、それを口にしようとはしなかった。
だが、それは――確かに【救い】だった。
レオンは廃れた古井戸に目を向ける。
かつて水を汲んでいたというが、今は誰も近づかない。
「……底に、何かあるな」
井戸の石垣を慎重に下りていく。
湿った空気の中、苔に覆われた壁の奥に、石板が埋め込まれていた。
埃を払い、苔を剥ぐ。
そこには、祈りの文字ではなく、誰にでも読める言葉が刻まれていた。
【この地に住まう者よ。神の選別は、汝らには届かぬ。ゆえに、汝らの命は、おのがままに在れ】
ただ、それだけが遺されていた。
レオンは静かに立ち尽くした。
魔王は、力で世界を変えようとはしなかった。
選ばれなかった者たちのために、ただ――守ろうとしたのだ。
誰にも知られず、誰にも讃えられず、夜の闇にまぎれて。
「……似てるな」
気づけば、そう口にしていた。
誰にも期待されず、誰にも頼られない今の自分と。
ただ、守ろうとしたその意思が――あまりにも、近かった。
(あんたが選んだもの。俺も、それを見届けてからでも遅くない)
石碑の裏をなぞった指先に、冷たい紋章の感触が走る。
禍々しくも美しい、それは魔王の象徴――闇の紋。
その瞬間、黒剣の根元が、わずかに光を帯びた。
かつて感じたことのない【応答】が、手に伝わる。
魔王の残響が、剣を通して脈打つ。
まるで目覚めるように。
「……やっぱり、遺してたんだな。あんたの意志を」
レオンは剣を握り直した。
戦いの予感ではない。
ただ、何かが【始まろうとしている】静かな合図。
洞窟の空気が、わずかに揺れた。
その刹那、黒剣の根元から、夜のような冷たい靄が溢れ出した。
それは言葉ではなく、感情の残滓のように震えながら――影が形を持った。
もやのように揺れながら、その中から、影の塊が浮かび上がる。
まるで夜の残滓が具現化したようなその影の奥から、無数の【目】が、静かにレオンを見上げていた。
「……目覚めたか。思ったより早かったな」
声は、胸の奥に響くようにして届いた。
かつて冥府で聞いた、あの異端神のもの――リーヴァ=ノクス。
「……剣に、いたのか」
「宿しただけだ。お前が地上でも迷わぬよう、【私】の一部を」
影の中の目が、静かに明滅する。
「魔王の遺志が、お前を呼んだ。それなら次の【観測】へと進む時だ」
「観測って、何を――」
「それを知るために、剣を持ったのだろう。探れ。魔王が【何を遺したか】――この村にはまだ秘密がある」
「あるのがわかってるなら、教えてくれてもいいだろう」
思わず皮肉交じりに言ったレオンの声に、影の塊はかすかに揺れた。
その中の無数の目が、ゆっくりとレオンを見据える。
「……【気配】があるのだ。この地に沈んだ【遺志】の波動。それがこの剣を通して、微かに伝わってきただけに過ぎない」
「つまり、お前にも場所は分からないってことか」
「その通りだ。だが、お前には感じられるはずだ。【おのが意志】が、共鳴する場所に」
リーヴァ=ノクスの言葉に、レオンは小さく息を吐いた。
簡単に答えを与えてくれないのは、奴の流儀なのだろう。
「……ほんとに、面倒な神だな」
「神ではない。【かつて神と呼ばれたもの】だ。私はこの世界を選別しない。ただ、在るだけだ」
その言葉が妙に残った。
祝福を与えず、罰もしない。それでも、この世界の片隅に目を向ける――
それはかつて“神”と呼ばれた者の、ささやかな祈りなのかもしれない。
選別しない――祝福もしない――それでも見ている。
まるで、世界の歪みを正そうとするように。
レオンは剣を見下ろした。
闇の紋が浮かぶ柄が、手にぴたりと馴染む。
魔王が遺したものが何かは、まだ分からない。
だが、この剣は――導こうとしている。
「……いいさ。探すよ。俺自身の答えもな」
影の中の目が、一瞬だけ優しく瞬いた――気がした。
井戸を登りきったレオンは、そこに見覚えのない【紙片】が置かれているのを見つけた。
そこには、こう書かれていた。
《お前は、まだ知らない。魔王が、なにを守り、なにを選ばなかったのか――その【真実】を》
「誰がこんなものを……」
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