第4話:問いと兆しの狭間で
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風が吹いていた。
冥府から地上に還ったというのに、胸の奥にはまだ冷たいものが残っている。
あの日、神に抗い、命を賭して戦った――はずだった。
だが今、再び剣を握るこの手が、かつての自分のそれと同じだとは思えなかった。
「……冷えてるな」
レオン・アーデンは荒れ果てた草原に腰を下ろし、手のひらを見つめた。
指先に、黒い【靄】が滲んでいた。
無意識のうちに漏れ出たものだ。
異端の力。
神を否定し、祝福に抗う力。
けれど今、レオンの脳裏に浮かんでいたのは――その力の出所についてだった。
(……あいつは、何者なんだ)
リーヴァ=ノクス。
冥府で俺に力を与えた【存在】。
あの声は確かに俺を導いた。
でも、その目的も、正体も、何ひとつわかっていない。
「神に抗え」と囁く声の真意が、今になって重く響いてくる。
(あいつに選ばれたのは偶然か、それとも最初から仕組まれていたのか――)
レオンは目を伏せた。
剣は未だに静かだ。
けれど、時折、脈を打つ。
まるで“意志”を持ったかのように。
そのときだった。
空が軋む音がした。
風に逆らって、空間が裂けるような【振動】が走る。
レオンは、咄嗟に立ち上がった。
「……なんだ、今の気配は」
立ち上がったレオンの前に、白銀の輪が現れた。
光の環の中から、無数の布のようなものが垂れ下がる。その中心に“仮面”が浮かんでいた。
他の神の監視者たちとは、何かが違った。
「異端確認。だが、排除ではない。今回は……観測だ」
声が、響いた。
それは言葉でありながら、耳に届くものではなかった。
脳に直接語りかける【宣託】のような声。
「……話す気はあるのか。お前みたいな奴でも」
「我らの中にも階層がある。私は【問い】を許された存在――神意の代弁者ではなく、観測者として在る」
空中に浮かぶその存在は、どこかで見たような人の形をしていた。
けれど、それはただの模倣だ。
あくまで“対話の形式”に過ぎない。
「問いに答えよ。レオン・アーデン。なぜ、お前は再び生きる?」
レオンは、少しの間だけ黙った。
セラフィーナの微笑み。
魔王の断末魔。
冥府の底で差し出されたあの手。
「決まってる。神を斬るためだ」
レオンは即答した。
躊躇はなかった。
「祝福ってやつが、どれだけのものを切り捨ててきたか。……俺は、それを否定する。選ばれなかった側の意思としてな」
そして、ふと視線を落としながら、ひと息つくように言葉を続ける。
「冥府でリーヴァ=ノクスに拾われてな。俺はあいつの意思を継いだ」
その名を口にした瞬間――空間がわずかに揺らいだ。
観測者が、静かに仮面を傾ける。
「……リーヴァ=ノクス。その名を、生者が語るとは」
観測者の仮面がわずかに揺れた。無感情に見えたその声の奥に、微かな警戒が混じっている。
「冥府の淵に沈められたはずの、最も古い異端――記録の奥底にすら忌避された存在だ」
ほんのわずかに、周囲の空気が硬くなる。
「それが再び干渉を始めたなら――確かに、記録する価値はある」
観測者の周囲に垂れていた布が、ゆらりと揺れる。
「我の観測が終われば、すぐに【正統の使徒】が動く。神に選ばれし者たち――異端の存在を許さぬ執行者だ」
言い終えると同時に、仮面が音もなく空間に沈み、布が風に千切れ消えた。
残されたのは、冷たい風だけだった。
レオンは静かに立ち尽くしていた。
空間を満たすのは、ただ風だけ。
音も、熱も、遠のいていた。
ふと、首元で何かが揺れる感触があった。
襟元から覗いた銀の光に、レオンは目を落とす。
「……まだ着けてたのか」
細い鎖に吊るされた、小さな銀のペンダント。
セラフィーナから贈られたものだった。
彼女が【聖女】に選ばれた日。
あのときは、誇りだった。
神に選ばれた仲間がいる。
それだけで、自分まで報われた気がした。
けれど今では、その【祝福】が、自分との間に深い断絶をつくっていた。
それは彼女のせいではない。
わかっている。
それでもなお、レオンの胸には、埋まらない距離が刻まれてしまっていた。
草むらの中で、銀の飾りが風に揺れて微かに鳴った。
セラフィーナの声、笑顔、そしてあの日々が――胸の奥で、確かに疼いた。
だが、レオンは目を閉じて、深く息を吐いた。
忘れたくはない。
けれど、それに縛られるわけにもいかない。
「……さよならだ、セラフィーナ」
言葉が喉を焼いた。
あの日々を思えば、口にすることすら裏切りに思えた。
けれど、それを超えなければ――俺は、前に進めない。
そしてレオンは、振り返らずに投げ捨てた。
銀の飾りが、草の隙間に落ちて消える。
静寂の中、風が草を揺らす。
その下で、銀の飾りが小さく鳴った。
立ち上がると、風が背を押した。
まるで誰かの意志を帯びたように――決意を後押しするように。
(この風……ただの気まぐれか、それともあいつの導きか)
ふと、観測者の言葉が脳裏をよぎる。
――「我らが介入を終えた地には、別の秩序が来る。排除の意思を持った存在が」
(神の祝福に満ちた聖都では、俺が拒絶されるだけだ)
レオンは腰に佩いた黒剣に触れた。
その柄は冷たくも、妙に馴染んでいた。
(祝福に守られた者たちの中に、俺の居場所はない)
レオンは静かに歩き出す。
光の届かぬ方へ。
選ばれなかった者たちの地へ。
(拒絶された者たちの地で、この剣は意味を持つ――俺自身も、そうだ)
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