汀墓の弔い
MEMO
場所/××島を沖に望む砂浜
案内/地元住民の女性
備考/当日になって、案内人から「家族に急用が出来たため、預かることになった孫を同行してもよいか」との連絡があった。案内人本人はあまり乗り気ではない様子だったが、特にこちらに不都合はないので同行を了承。ほぼ約束の時間通りに合流できた。
今日はよろしくお願いします。突然こんなことになって、すみません。娘は町唯一の病院で働いていて、急に呼び出されることがよくあるんです。孫一人で留守番させるのも気がかりで……ええ、もちろんです。ご迷惑はおかけしません。さあ、きちんとご挨拶できるわね?
ふふ、こんにちは~。……ねえねえ、この人さ、ばあばの友達?
ボクの友達はさ、みんなさ、ボクと同じくらいなのに。ふふ、変なの。
まあ、失礼なことを言わないの。この方はね、ばあばのお話を聞くために遠いところから来られたのよ。一緒に行くならお利口にするって約束したでしょ?
は~い。ねえねえ、ばあば、帰りにさ、アイス買って!いいでしょ?
はいはい、帰りにね。じゃあ、行きましょうか。今日は曇り空でよかったわ。砂浜までは少し歩きますから、ずっと天気が心配で……ねえ、そんな風に階段で走らないの!
それにしても、あなたから連絡があった時は驚きました。私が知る限り、“墓作り”の件は口外を禁じられていたのですが……まあ、完全に情報を隠す仕組みもありませんし、人の口に戸は立てられぬものです。こうして今、私自身があなたに自分の口で話そうとしているのですから、秘密を背負うことに耐えられなかった者が過去にいたとしても責められません。
それでも……あの、申し訳ないのですが、これから私が話すことについて、出来る限り孫の耳に入らないようにしてもらえませんか。亡くなった夫やその親族、実の娘にすら私は“墓作り”のことを話せなかったんです。娘は潮の臭いが苦手だと言って今もほとんど海に近寄りませんが、あの子は……待って、止まって!車が来てるでしょう!
は~い。でもさ、ばあば達さ、歩くのおそいもん。ボク先に行きたい!
ダメよ、そう言って走ってすぐ転ぶんだから!……あの子は、砂浜によくついてくるもので、あそこを遊び場だと思って、一緒に行きたがるんです。今日も留守番は嫌だと駄々をこねて聞かなくて……一人で家に残しても抜け出してついてくるかもしれないし、連れてくるしかありませんでした。あなたの知りたいことは全てお話しますので……どうか、孫には内密にお願いしますね。
ええ、こちらの小さな砂浜がその場所です。町の反対側には広くて綺麗な海水浴場があるので、ここは地元の者もほとんど来ません。沖に島が見えるでしょう。昔はここから定期的に船が出ていたのですが、あの島が無人になってからそれもなくなりました。私はずっとここで……
ねえねえ、ばあば!“おまじない”するでしょ?ボクが探す!
はいはい、お願いね。でも遠くに行かないで、あの岩のところまでよ。……ええ、あの子はここで私がやっていることを知っています。私について来るうちに、材料を集めたり並べたりするのを真似したがって、少し手伝わせてみたら楽しかったようで。私としては複雑ですが、あの子がやってるのはただの“おまじない”ですから。……ねえ、どうして“おまじない”をするのかは教えたわよね?
知ってる!海で死んじゃった人のためにさ、お祈りするんでしょ!
そうそう、だから真剣に探してちょうだいね。……そうですね。まずは、なぜ“墓作り”が始まったのかを説明しましょうか。百年ほど前、あの島へ向かう船が事故で沈没し、大勢の人がこの海で亡くなったんです。その海難事故の犠牲者遺族がこの砂浜に集まり、亡くなった人への思いを込めて“墓作り”をするようになったと伝えられています。私達はその遺族の子孫なんですよ。
“墓作り”は、この砂浜で集めた材料で、この場所でのみ行います。材料は三つ。まず、「微生物が付着した漂着物」、「二股にわかれた流木」、最後に「大きな石」です。ええ、墓といっても故人のご遺体や所縁のある物を使う訳ではありません。実際、事故犠牲者の遺体や遺品はほとんど見つからなかったそうで……あら、もう戻ってきたの?
ねえねえ、ばあばも来て!もっとさ、海近づかないとさ、見つかんないじゃん!
仕方ないわね、じゃあ皆で探しましょう。ほら、波!足元に気をつけて!……はあ、帰ったらあの子の靴を洗わないと。ええと……そうそう、微生物について説明しなきゃ。海中の微生物が、貝や岩に付着した時に膜状の塊を形成することがあります。この辺りの海ではそれが発生しやすいみたいで、砂浜に漂着したものが乾燥し、奇妙な形に固まった状態でよく見つかるんです。
あの沈没事故以降、その「微生物が付着した漂着物」は、海の底に沈んでしまった犠牲者の魂が宿ったものだと考えられていたようです。私はずっとこの砂浜で“墓作り”のためにそれを探してきましたが、本当に様々な漂着物がありました。珊瑚の欠片だったり、外国の文字が書かれたブイだったり、生きている姿が想像できないような生物の骨だったり……。
こんなに広い海から、こんなに小さな砂浜に、必要としている漂着物が流れ着いて、それを運良く見つけられる可能性ってどれほどあるんでしょうね。でも不思議と、私がこうして砂浜を探すと何かしら見つかるんです。ここで“墓作り”を続けよという何らかの意思を感じるほどに……あら、これだわ。よかった、ちょうど見つかりました。これが“墓作り”で最も重要な漂着物です。
ねえ、見つけたわよ!一旦戻ってきてちょうだい。……ああ、これはフジツボの殻ですね。触っても大丈夫ですよ、乾燥していますから。しばらく雨が降ってなくてよかった。これが濡れるとベタベタして臭うので、あの子が嫌がるんです。
ええ~、またばあばが見つけたの?ボクが見つけたかったのに……
ねえ、他のはさ、ボクが探すから。ばあばはそこにいて!
はいはい。どんな物が必要か、ちゃんと覚えてる?
わかってる!それより大きくて、ふたつにわかれた木の棒が四本!
そうそう、流木よ。探してきてちょうだい。……どうです、見れば見るほど奇妙でしょう。今回は小さくてよかった。さっきあの子に言った通り、この漂着物のサイズを基準にして流木や石を探さなくちゃいけないので。大きな物を見つけた時は、それだけ残りの材料を探して並べるのに時間も手間もかかります。年寄り一人だと大変ですが、最近は孫が手伝ってくれるので……ええ、あんな風にね。
ばあば、ねえ、棒あった!これでいいでしょ?
どれどれ、見せて。うん、大きさもちょうどいいわ。では、その漂着物を砂の上に置いてもらえますか。その横にこの流木を……
ダメ!ボクがやる!ボクがやるの!ねえ、ばあば!
はいはい、じゃあお願い。どうすればいいかわかってるわね?見せてあげて。
いいよ!あのさ、まずさ、この貝を置くでしょ?
そしたらさ、それにさ、棒のまっすぐな方を向けてさ、こう並べるの!
ねえ、ばあば、こうでしょ?
ええ、上手に出来たわね。じゃあ、最後に必要なものは何かしら?
大きな石!あっちにさ、石あったからさ、探してくる!
そうね、じゃあ見つけてきてちょうだい。あまり大きいのじゃダメよ、ちょうどいいサイズね。……わかりますか、これらが人を象っているのが。この海で亡くなった人の存在をこの砂浜で再現し、ここで弔うのが“墓作り”の儀式です。材料がそろったら上に砂をたっぷり被せて、大きな石をのせ、それを墓とします。
……そうです。こんなものは、雨が降って風に吹かれて潮が満ちれば跡形もなく消え去ります。すると、また私達遺族が砂浜にやってきて同じように“墓作り”をします。……ええ、町の中には墓地がありますよね。でも、あそこに先祖の墓はありません。正確には、建てられないんです。彼らの“墓作り”をすることはこの砂浜で、これしか許されていないので。
そうですよね、普通は重大な事故があれば現地に慰霊碑のひとつでも建てて、ちゃんとした墓だって作りますよね。そう思いますよね……。
……孫に教えていない、“墓作り”の儀式の最も重要な工程があります。お見せしますので、こちらに近づいてもらえますか。あの子に見えないように、あなたの背中で隠してほしいんです。……いいですか?これは絶対、秘密にして下さいね。砂で覆う前に、並べた漂着物と枝の間に、こうして線を引くんです。
……もういいですか?で、こうやって砂をかけて……しっかり両手で固めます。この上に、大きい石を載せれば、“墓作り”は全て完了です。
そうです。これは死者を弔うための儀式ではありません。あの島……昔、処刑場があったんです。船で島に輸送されていたのは、死刑囚達でした。彼らが刑罰を受ける前に海で命を落としたため、死刑囚の遺族達は、彼らの死後も尚この場所で罰を与える役割を果たすことを命じられたのです。名目上は“墓作り”ですが、その実態は死者をこの砂浜に縛り付ける呪いです。
私達遺族にとっては、先祖の罪と罰の是非について考えることすら禁忌とされていました。彼らがどんな罪を犯したのか、それは百年に渡る呪いを子孫から受け続けるほどの悪行だったのか、もはや誰も知りません。処刑場が移転してあの島が無人になっても、私達はここで“墓作り”を続けていました。誰もやめろと命じなかったからです。
今、“墓作り”について儀式の全てを知って続けているのも、もう私一人でしょう。あなたから連絡を受けた時、私はこの儀式を終わらせようと決めました。もうこれ以上、娘や孫に呪いを引き継ぎたくありませんから。私が死ねば、百年続いた刑罰も終わります。この砂浜に縛り付けられていた先祖も解放され、彼らの魂は孫が死者を悼む純粋な祈りと“おまじない”で慰めてくれるでしょう。それでいいんです。
ばあば、石あった!ほら、まんまるでキレイでしょ!
ああ、とてもいいわね。ありがとう。じゃあ、この砂山の上にそっと置いてちょうだい。さあ、これで“おまじない”の準備ができたわね。亡くなった人達が海の底から天国に行けるように、皆でお祈りしましょう。さ、目を閉じて……
………………。
……やだ、すみません、私の携帯だわ。ああ、娘からです。何かあったのかしら。ちょっと電話に出てきますね。そこで待ってて下さい。もしもし?どうしたの……
……ねえ、ねえねえ。
あのさ、ばあばさ、さっき、線、書いてた?
ボクさ、知ってるんだ。ばあばがやってるのさ、前に見たから。
あれってさ、悪いヤツのさ、首さ、切ってるんでしょ?
授業でさ、昔のことを調べた時さ、昔の新聞にさ、沈んだ船の写真があったんだ。
船についてる印さ、古い地図に書いてた印と同じだった。
あそこの島にさ、昔あった、悪いヤツを捕まえる場所の印。
船に乗ってさ、海で死んだのはさ、悪いヤツらだったんだよ。
ボクさ、ユーチューブで見たんだ。
悪いヤツはさ、捕まえてさ、首切ってさ、殺しちゃうんだよ。
ばあばはさ、テレビとかでもさ、人が死ぬとか殺されるとかするとこは見たくないって言うんだ。
それぐらい怖がりだからさ、“おまじない”やってるけどさ、ばあばは知らないんだと思う。
ほんとは悪いヤツをやっつける大事なことだって。
だからボク、もしばあばができなくなっても、一人で“おまじない”やるんだ。
さっきはさ、テンゴクに行けるようにってさ、ばあばは言ってたけどさ。
悪いヤツはさ、ちゃんと殺してさ、ジゴクに落とさなきゃ。
ねえ、これ、ばあばにナイショだからね。
だってさ、悪いヤツとかさ、みんな死んだ方がいいじゃん。
……すみません、お待たせしました。思ったより早く用事が済んだので、娘が車で迎えに来てくれるそうです。帰りは駅までお送りしますね。今日は、来て下さって本当にありがとうございました。ずっと不安でしたが、こうしてお話ができて、ようやく気が晴れた心地です。ああ、私ったら何をあんなに心配してたのかしら。よかったわ、本当に。
あらやだ、ズボンも靴も砂まみれ!お母さんが見たら怒るわよ。迎えが来る前にちゃんと砂をはらっておかないと、アイスは無しだからね。いい?
ええ~、やだぁ~!
MEMO
概要/フジツボの外殻にバイオフィルムが形成され、砂浜に漂着後乾燥したもの。
保存/バイオフィルムがこのように乾燥・固定化するのは現地海域特有の現象かと思われる。試しに数日天日干しにしても変化は見られなかった。除湿剤を入れた密閉容器にて保存。
備考/帰路で購入した絵葉書で礼状送付。後日、簡素な封筒に入れられた返信あり。案内人の孫が描いたというクレヨン画(帰りに駅の売店に寄ってアイスクリームをごちそうした時の光景と思われる)も同封されていた。裏面にはサインペンで“おまじない がんばるよ”と書かれている。収蔵済。