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第99話 最終章・繋がる点と点

 編集部へ向かう道すがら、僕はポケットに突っ込んだ手をぎゅっと握りしめた。微かに汗ばんでいる。季節は冬で、冷たい風が頬を撫でるはずなのに、胸の奥は妙に熱を持っていた。


 屋上での会話が頭の中をぐるぐると回る。


 「……鈴ちゃんが亡くなった場所って、どこなの?」


 まるで他人事のように聞こえる自分の声が、今になって胸に引っかかる。ずっと気にも留めていなかったくせに、まるで最初から真実を求めていたような口ぶりだった。


 小夏ちゃんは僕をじっと見ていた。その瞳には感情が浮かんでいるようで、掴みどころがない。やがて、彼女は小さく息を吐いて、ためらうように口を開いた。


 「……鈴は自殺しました」


 「……え?」


 突然の言葉に、息を呑んだ。


 「彼女は西ケ丘にある廃病院の屋上から飛び降りたの。先輩、死因は知らなかったんですね?」


 「……鈴ちゃんが、自殺……?」


 その言葉が頭の中で何度も反響する。僕は思わず足を一歩引いていた。そんなはずはない。あんなに優しくて、あんなに明るかった鈴ちゃんが、自ら命を絶ったなんて。


 「嘘だ……」


 掠れた声でそう呟いた。だけど、小夏ちゃんの表情は微塵も揺るがなかった。むしろ、僕の反応を確認するような冷たい瞳をしていた。


 「嘘じゃないですよ。鈴はそこから落ちたんです。……どうして、って思います?」


 胸の奥が痛む。答えなんて分からない。でも、小夏ちゃんの目はそれを知っていると言っていた。


 「それも、知りたいなら調べてください」


 そう言い残して、小夏ちゃんは静かに歩き去っていった。


 雅と葵もいたけれど、彼女たちは一言も発さず、ただ静かに僕と小夏ちゃんのやり取りを見守っていた。


 「西ケ丘か……」


 呟くように言ってみるが、やはり実感が湧かない。けれど、ひとつ確かなのは、僕はもうこのまま目を背けるわけにはいかないということだった。


 ふと、目の前にある編集部のビルが見えてくる。小説の打ち合わせで何度も訪れている場所なのに、今日の目的はいつもと違う。


 「よし……」


 深呼吸をして、ドアを押す。


 「先生、珍しく真剣な顔してどうしたんですか?」


 受付を通り、編集部の一角にある緋崎さんのデスクにたどり着くと、彼女はパソコンのモニターから視線を上げて僕を見た。普段なら、ここに来たらまず世間話やら何やら軽い会話が始まるのに、今日はそんな気分じゃない。


 「……調べたいことがあるんです」


 「調べたいこと?」


 緋崎さんはキーボードを打つ手を止め、怪訝そうに眉を寄せる。


 「数年前の、西ケ丘にある廃病院で起きた少女の自殺事件。その記事を探したいんです」


 その言葉を聞いた瞬間、緋崎さんの表情が微かにこわばった。


 「……事件のデータですか? それって個人的なことで?」


 僕はゆっくりとうなずく。


 「どうしても知らなきゃいけない事なんです……知らないと、僕は前に進めないんです、お願いします!」


 僕は深々と頭を下げた。こんなことを頼むのは、本来なら間違っているかもしれない。それでも……。


 「ちょっと先生……!」


 緋崎さんは腕を組み、少し考え込むように視線を落とした。


 「先生、さすがに社外の人に編集部のデータベースを見せるのはルール違反ですよ」


 それは当然の返答だった。けれど、ここで引き下がるつもりはなかった。


 「お願いします、緋崎さん。僕には……知る責任があるんです」


 「……責任、ですか」


 緋崎さんの目が少し揺れる。僕がこんなふうに頼むのが珍しいのか、それとも僕の言葉に何かを感じ取ったのか、しばらく沈黙が流れた。


 そして、彼女はため息をつき、立ち上がった。


 「……ちょっと待っててください。上に確認してきます」


 そう言うと、緋崎さんは編集部の奥へと歩いていった。


 その背中を見送りながら、僕はゆっくりと息を吐く。お願いを聞いてもらえるかどうかは分からない。けれど、こうして頼むことすらせずに諦める事は出来ない。


 待つ間、編集部の中を見渡す。机に並ぶモニター、資料の詰まったキャビネット、忙しなく行き交う編集者たち。その中にいる自分が、今日はどこか場違いに感じる。


 僕はただ、小説を書いているだけの人間だ。だからこそ、こうやって過去の現実を掘り返すことが正しいのかどうか、本当は分からない。でも、知りたいという気持ちはどうしても消えなかった。


 西ケ丘にある廃病院。


 鈴ちゃんが、最後にいた場所。


 僕はその名前を初めて聞いたとき、すぐには実感が湧かなかった。ただの場所の名前でしかなかった。でも、時間が経つにつれ、少しずつその言葉が重く心にのしかかる。


 どうしてそんな場所にいたんだろう。


 本当に、自ら命を絶ったのか。


 小夏ちゃんは、それを知っていた。それなのに僕は、何も知らないまま今まで過ごしてきた。


 知らなかったことが、申し訳ない。


 また、ひとつ息を吐いた。そのとき、奥の部屋から緋崎さんが戻ってくるのが見えた。


 「先生、大丈夫みたいですよ」


 僕の前に戻ると、彼女はどこか呆れたように笑った。


 「上の人が、『相沢大先生なら特別に』って、むしろ『率先しないで手伝わなくてどうする!』って小ごと言われちゃいましたよ……」


 「……本当ですか?」


 「ええ、まったく。先生には編集部も頭が上がらないようですね」


 そんな冗談を交えつつも、緋崎さんは僕を資料室へ案内した。


 中へ入ると、空調の低い音が響く静かな部屋だった。壁際にずらりと並んだ書棚の間を抜け、緋崎さんが一台のパソコンの前に座る。


 「さて、社内のデータベースには過去の記事や資料が保存されてるので、ここから検索できます」


 「お願いします」


 緋崎さんは軽く頷き、手際よくキーボードを打つ。


 「で、検索するキーワードは?」


 僕は一瞬だけ考えた後、口を開いた。


 「西ケ丘 廃病院 自殺 事件……それと、200……」


 未成年の事件だから、きっと名前は出てこない。だけど、場所と年数が分かれば、何かしらの記録は残っているはずだ。


 緋崎さんがエンターキーを押すと、画面にいくつかの記事が表示された。


 「該当件数は……あ、ありましたね。、西ケ丘の廃病院で発生した自殺事件200……」


 僕は息をのむ。


 「開きますよ」


 クリックすると、記事の本文が画面に映し出された。


 「少女の飛び降り自殺、200……」


 その文字が、まるで重く圧し掛かるように目に飛び込んできた。


 「少女の飛び降り自殺、200──年」


 その文字が、まるで重く圧し掛かるように目に飛び込んできた。


 画面のスクロールバーを握る指先に、力がこもる。


 記事の内容は淡々としていた。どこかの新聞の過去記事をそのままデータ化したものだろう。日付、場所、簡単な事件の概要が記載されている。そこには、鈴ちゃんが亡くなったとされる西ケ丘の廃病院の名前もはっきりと書かれていた。


 管理人によって発見された当初、彼女はまだ息をしていたらしいが、救急車が辿り着く前に、息を引き取った……。


 けれど、僕が最も知りたかったこと──なぜ、どうして鈴ちゃんがそこにいたのか、その答えはどこにもなかった。


 「……遺書はなし、事件性もなし」


 緋崎さんが静かに記事を読み上げる。


 「警察の判断では、家庭の事情による自殺として処理……」


 まるで、それが確定した事実のように、無機質な文字列が並んでいる。


 何か違和感がある。でも、どう言葉にすればいいのか分からない。


 「……先生、これだけでは何も分かりませんね」


 緋崎さんの声に、僕はゆっくりと頷いた。


 「他に何か、関連する記事はありませんか?」


 僕の問いに、緋崎さんは再び検索をかける。


 すると──


 「……もう一つ、関連する記事がありますね」


 画面に、新しい記事が表示された。


 「少女が妊娠していたことが判明……これを悲観しての自殺か?」


 息をのむ音が、自分の中でやけに大きく響いた。


 「……鈴ちゃんが……妊娠……?」


 思わず、呟いた。


 喉がカラカラに乾く。そんなはずはない。だって、鈴ちゃんは──


 遠い記憶の奥底から、幼い頃の彼女の笑顔が浮かび上がる。


 「私、早くママになりたいんだ……」


 「どうして?」


 「だって赤ちゃん可愛いんだもん。私がママなら、大切に育ててあげたいの」


 真剣な目をして、恥ずかしそうに笑っていた鈴ちゃん。


 ──そんな鈴ちゃんが、本当に自分の子供を抱ける未来を手放してしまったのか?


 「違う……鈴ちゃんが、自殺なんてするわけがない……」


 気づけば、声が震えていた。


 「せ、先生……?」


 緋崎さんが戸惑ったように僕を見ている。


 けれど、僕は彼女の声に答えられなかった。


 視線はまだ、画面の中の文章を追いかけていた。


 「……先生、もう一つ気になる記事がありましたよ」


 緋崎さんがスクロールを続けると、別の新聞記事が目に入った。


 「仲の良い姉妹に起きた、突然の悲劇」


 記事の内容は短かった。事件の数日後、遺族は離散し、妹は母方に引き取られた、と記されていた。


 「……妹?」


 思わず声に出してしまった。胸の奥がざわつく。


 家族が離散? 妹が母方に?


 記事の短い文面を何度も読み返すうちに、頭の中で何かが繋がり始める。


 「まさか……」


 小夏ちゃんの言葉、行動、視線、そして彼女が鈴ちゃんの死にこだわり続けていた理由。


 それらが一本の線になり、今まで気づかなかった答えを浮かび上がらせる。


 「小夏ちゃん……?」


 もしかして――。


 「君は……鈴ちゃんの、妹だったのか……」


 指先が震える。視線を画面に釘付けにしたまま、思考は深く沈んでいった。

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