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第98話 最終章・試される記憶

 「ほら、二人とも!そんなに乱暴しないで」


 僕は二人に近づいた。羽交い絞めにされ、足をばたつかせる小夏は、まるで捕まった小動物のようだった。


 「そんなことしたら危ないって」


 小夏を心配する気持ちを抑えきれず、僕は神楽の服の端をそっと引いた。彼女は一瞬僕を見上げ、拗ねた子供のように頬を膨らませた。


 「だって、この子が啓にチョコをあげたのよ!? それも私たちより先に!」


 「雅さん達ならいざ知らず、こんな後輩もどきに……許せません!」


 「お願いだから離してあげて、そんなに揺さぶったら危ないよ」


 なんとか気持ちを伝えようとする僕。


 「あ~もう!啓がそこまで言うなら……」


 神楽はわざとらしく大きなため息をついて、しぶしぶと小夏を解放した。


 「はじめ君は優しすぎます……」


 真凛も不満そうな顔で小夏から手を放す。


 そのまま二人がこちらに駆け寄ってきた。


 神楽は僕にべったりと寄り添いながら、小夏を睨みつける。その姿はまるで自分のテリトリーを守る猫のよう。真凛も負けじと僕のもう片方の腕に抱きついてきた。


「ちょっと二人とも、近すぎるって!」


 左右から挟まれ、僕の体がまたたく間に熱くなっていくのが分かる。


 小夏ちゃんが「ふ~」と深呼吸しながら、乱れた制服を整える。


 「酷い扱いですね!啓先輩の彼女たちってみんなこんなに怖いんですか?」


 そう言って彼女は僕らを睨みつける。


 「彼女じゃないわよ!」「彼女じゃありません!」


 神楽と真凛がほぼ同時に声を上げる。そして「まだ」と小声で付け加えるのも同時だった。


 「まぁまぁ、ちょっと落ち着いて、話が進まないじゃない」


 雅が穏やかな声で場を取り仕切る。葵も隣で頷き、全員で屋上の端に並んだ。風が冷たく髪を揺らす中、少しずつ緊張感が漂い始めていた。僕は落ち着かない気持ちを抑えながら、皆の様子を窺った。


 「じゃあ、改めて……」


 小夏が喉を軽く鳴らし、顔を上げる。彼女の表情が一変して、いつもの軽い調子から真剣な眼差しに変わった。その変化に、僕は一瞬息を呑んだ。


 「雅先輩、葵先輩、啓先輩……鈴村鈴って名前、覚えてますか?」


 その名前を聞いた瞬間、僕の胸に懐かしさと痛みが走った。


 ——鈴ちゃん。


 彼女の名前を久しぶりに耳にして、自分でも驚くほど鮮明に幼い頃の記憶が蘇る。


 「覚えてるよ……彼女は僕の最初の幼馴染だった」


 僕はゆっくりと口を開いた。どこか遠くを見るように、過去を思い返しながら。


 「幼稚園の頃からずっと一緒だった。雅や葵と知り合う前から、鈴ちゃんはいつも僕のそばにいてくれた」


 その頃の記憶が色鮮やかに蘇ってくる。小さな手を繋いで帰った道、笑い合った日々。何気ない風景が、今となっては懐かしい思い出だ。


 「鈴?誰?」


 真凛が首を傾げて、神楽に小声で尋ねるのが聞こえた。


 「わかんない。でも啓が話してるの初めて聴いた名前だし……」


 神楽も同じように首を傾げる。二人とも目をパチクリさせながら、情報を得ようと耳を澄ませている。


 「ふ~ん……もしかして啓の元カノ!?」


 神楽がピンと指を立て、大きな声で言い放った。


 「違うよ。そんな関係じゃなかった」


 僕は即座に否定する。そんな関係ではなかったけれど、なぜか顔が熱くなるのは仕方ない。


 小夏はその様子を冷ややかに見ながら、ほんの少しだけ唇を歪めた。それはまるで、僕の反応を確認するかのような表情だった。


 「鈴ちゃんのこと、小夏ちゃんがなぜ知ってるの?」


 僕が問いかけると、彼女は意味ありげに微笑んだ。


 「焦らないでくださいよ……さ、続けてください、先輩たちの話をもっと聞きたいです」


 明るい声で言いながらも、その目には冷たい光が宿っていた。それを察した葵が眉をひそめながらも、話を続ける。


 「私も覚えてるわ。夏祭りで迷子になって、啓に助けてもらってから啓と遊ぶようになったけど、その時にはもう啓の隣にはあの子がいたよね」


 葵の声には少し懐かしさが混じっている。


 「あの頃、私はまだ小学三年生で……雅のことを啓に紹介したんだっけ。それから三人で遊ぶようになって……でも、今思えば、鈴は啓のずっと前からの幼馴染で、私たちが来る前から二人はいつも一緒だったんだよね」


 葵は少し目を伏せた。


 「鈴は……啓のことが好きだったわよね。当時の私にも分かるくらい」


 雅も静かに頷いた。


 「そうね……鈴は啓にべったりだった。私も葵も、最初はそれを見て少し……」


 言葉を選ぶように一瞬躊躇い、


 「少し諦めていたわ」


 静かに呟く雅。


 「開き直り姉妹も最初からそんなに強気じゃなかったんだ~」


 神楽が感心したように呟くと、真凛が「あなたもでしょう?」と小声で突っ込む。真凛の一言に神楽はぷいっと顔を背けた。


 小夏はその会話を聞きながら、表面上は愛嬌のある表情を保ちつつも、時折視線が鋭く冷たくなるのを僕は見逃さなかった。彼女は何かを探るように、僕たちの反応を注意深く観察している。


 「でも、ある日……」


 雅の声が変わる。ほんの少し、沈んだような声。


 「三人で遊んでいた時、突然そこへ……ボロボロの姿の鈴が現れたの」


 それは僕にも鮮明に残る記憶だった。あの日、雅と葵と公園で遊んでいた。いつもなら鈴も一緒だったけれど、その日は何かの用事で来られないと言っていた。そこへ突然、彼女が現れた。


 服は泥で汚れ、髪は乱れ、目は虚ろだった。


 「私、つい口にしてしまったの……『どうしてそんなに汚れているの?』って。でもその後の彼女の表情が……」


 雅が申し訳なさそうに呟いた。


 「私も……『服が汚れちゃってるよ』って言った。もちろん心配で……でも、鈴のあの時の顔……今でも忘れられない」


 葵も同じように俯く。


 そして僕はあの日、何を言ったのか。


 ——ほんの一言だ。


 「可哀そうに……」


 僕は思わずつぶやいていた。鈴ちゃんの汚れた姿を見て、気の毒だと思ったから。どうしたんだろう、何かあったんだろうかと心配で。


 だけど。


 「その瞬間、鈴ちゃんは……まるで魂が抜けたような顔になった」


 言葉につまりながら、僕は続ける。


 「それから彼女は走り去って……それが最後だった。そのあと直ぐに引っ越してしまって、もう二度と会うことはなかった」


 誰も言葉を発さない静寂が屋上に広がる。風だけが僕たちの間を通り抜けていく。


 ずっと思っていた。鈴ちゃんに、僕は嫌われたのだと。あの時、「可哀そうに」という言葉が彼女を傷つけたのではないかと。事情は知らないけれど、彼女にとってそれが決定的な言葉だったのかもしれない。それが理由で姿を消したのだとしたら……僕は何も知らずに彼女を傷つけていたんだ。


 心の奥でくすぶり続けていた後悔。それを言葉にすると、胸の奥がざわめく。


 「本当にそうだったんだ……」


 小さな声が聞こえた。見ると小夏ちゃんが拳を握りしめていた。彼女の表情が変わる。普段の愛嬌たっぷりな笑顔は消え、まるで何かに耐えているかのように顔が歪んでいる。唇を強く噛み、震える指先がその感情を物語っていた。彼女の瞳には、冷たく燃え盛る炎が宿っている。


「小夏ちゃん……?」


 僕が声をかけると、小夏ちゃんはハッとしたように我に返り、すぐにいつもの笑顔を取り戻そうとした。しかし、その笑顔はどこかぎこちない。


「あ、いえ、何でもありません、気にしないでください……」


 言い訳じみた声とともに、彼女は視線をそらす。そしてふっと口元の笑みを消し、ゆっくりと身構えた。その瞳が、一瞬だけ鋭く光る。


「私は、ある疑いを持っています」


 その声は、凍てつくように冷たい。さっきまでの柔らかい雰囲気は完全に消え、鋭い刃のような言葉が場の空気を支配する。


「鈴の死に、天音瑞樹という人物が関わっている可能性が高い、と」


 雅の眉がわずかに寄る。


「……どういうこと? それになんで瑞樹兄さんが……鈴ちゃんの死に関係してるって?」


 雅の声には困惑が滲んでいる。動揺しつつも、すぐに小夏ちゃんの言葉の意図を探るような鋭さが戻った。


 神楽と真凛はこの急展開について困惑した様子で顔を見合わせている。二人は瑞樹の名前を知らないため、話についていけず、ただ様子を伺うしかなかった。


「……でも、それは本当なの?」


 雅は言葉を選ぶように問いかける。驚きこそあれど、すぐに否定はしない。冷静に状況を整理しようとしているようだった。


「ねえ真凛、?」


「その人ってどんな人なの?」


 二人は状況が飲み込めず、混乱の中で必死に情報を繋ぎ合わせようとしている。


 小夏ちゃんは彼女たちの会話には興味を示さず、静かに皆の表情を観察していた。自分の言葉がどう影響するか、その効果を確かめているかのように。


 僕は小夏ちゃんを見つめた。


「小夏ちゃん、もう一度聞くよ……君は鈴ちゃんと一体どういう関係なんだ?」


 小夏ちゃんは僕の視線を静かに受け止める。わずかに微笑み、その目の奥に読めない感情を浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。


「それは……いずれ分かりますよ。嫌でもね……」


 屋上の風が、少し穏やかになったように感じた。しかし、それとは裏腹に、僕の心には冷たいざわめきが広がっていた。


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