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第97話 最終章・凛と咲く決意

 昼休みの屋上には、生徒たちの喧騒から切り離された静けさが漂っていた。冬の冷たい風が吹き抜けるが、日差しが心地よく感じられる。校庭からは生徒たちの笑い声が微かに聞こえてくるものの、ここは別世界のように穏やかだった。


 けれど、そんな環境を感じる余裕は今の僕にはない。


 目の前で両手を合わせ、深々と頭を下げる。


 「お願いします、雅」


 静かな空気の中、僕の声だけが響いた。


 だけど——。


 雅は腕を組んだまま、そっぽを向いている。


 「……」


 聞こえていないはずがない。けれど、反応がない。


 ちらりと顔を上げて雅の表情を窺うと、彼女は少し頬を膨らませ、どこか拗ねたような顔をしていた。その後ろでは、葵が面白そうに僕と雅のやり取りを眺めている。


 昨日、小夏ちゃんに頼まれたことを思い出しながら、改めて気を引き締める。


 昨日の放課後、小夏ちゃんと幸田早苗に呼び止められた喫茶店での出来事——。


 「先輩、私を雅先輩に会わせてください」


 そう頼まれた瞬間、僕は正直戸惑った。雅と小夏ちゃんは過去の出来事を通じて決して良い関係ではなかった。むしろ雅にとっては、まだ許せない相手のはずだった。


 小夏ちゃんの頼みは、あくまで取引だった。けれど、いつもの余裕たっぷりな彼女とは違って、どこか必死さが滲んでいた。単なる気まぐれではなく、何かそれなりの理由がある——そう思わせるだけのものが、確かに感じられた。


 だから僕は、自分なりに考えた上で、雅に話をする場を設けようと決めた。でも——。


 「み、雅……?」


 もう一度声をかける。だけど、雅はツンとしたまま、相変わらず僕を見ようとしない。


 そんな僕の様子を見て、葵がクスクスと笑いながら、僕のそばに寄ってきた。


 「ねえ、啓」


 ひそひそ声で耳打ちされる。


 「雅は昨日渡したチョコの感想が聞けると思ってここに来たんだよ、まあ私もだけど」


 そう言って、小さく笑う葵。


 「え……?」


 思わず目を瞬かせる。


 そういうことだったのか。


 雅が拗ねてるのは、小夏ちゃんのことだけじゃなくて……昨日のチョコのこと?


 そういえば、昨日は色々あって、ちゃんと感想を伝えてなかったかもしれない。


 雅が少し顔を赤らめ、でもまだそっぽを向いたまま、ぽつりと呟いた。


 「……小夏のことは正直、今でも思うところはあるわ」


 一瞬だけ視線を僕に向けるが、すぐに逸らしてしまう。


 「許せない気持ちもあるし……できることなら、顔を合わせたくなんてない。でも……」


 雅はそっと息を吐いた。


 「……それ以上に、私は啓が何かに巻き込まれる方がイヤだから」


 「雅……」


 思わず息を呑む。雅はまだ小夏ちゃんを信用していない。それでも——。


 「だから、別に……啓の役に立てるなら会うのは構わないわ」


 そう言った雅は、少し居心地が悪そうに視線を逸らす。


 葵がそのタイミングを逃さず、にやっと笑いながら言葉を挟んだ。


 「素直じゃないね、雅」


 「なっ……!」


 雅の肩がピクリと跳ねる。


 「別にそんなつもりじゃ……!」


 顔を赤くしながら慌てる雅。


 そのやり取りを見て、僕はぼんやりと考えてしまう。


 確かに、昨日はチョコをもらったのに何も言えていなかった。それも含めて、僕のことを心配してくれていたんだ。


 ふと、雅がこちらをチラッと見た。そして、小さな声でぽつりと呟く。


 「……そ、それより先に、何か言うことあるんじゃない?」


 「え?」


 一瞬考え込んで、ようやく僕は気づく。


 「——あっ!」


 僕は顔を上げ、ぱっと笑顔になる。


 「昨日もらったチョコなら、すごく美味しかったよ!」


 雅の肩がびくりと動く。


 「二人とも、僕が甘いものが苦手なのを気にして、ちょっとビターな味にしてくれたんでしょ?ありがとう、雅、葵!」


 そう言うと、雅が一瞬固まり——そして、顔をぷいっと背けた。


 「そ、その顔は、ズルいわ……」


 ぼそっと、かすかな声が風に乗って僕の耳に届く。


 「え?」


 聞き返そうとしたけれど、雅は「な、何でもないわ!」と大きな声で誤魔化すように言った。


 その勢いに僕は思わず身を引く。


 「と、とにかく! 小夏と会って話をすればいいんでしょ!」


 雅は勢いよくそう言い切ると、またぷいっと顔を背けたまま、腕を組み直した。


 横で葵がにやにやと笑いながら、肘で僕の腕をつつく。


 「良かったね、啓。雅も協力してくれるって」


 「え、あ、うん……ありがとう、雅」


 改めてそう言うと、雅は何かを言いかけたけれど、結局黙ったままそっぽを向いたままだった。


 けれど、その耳が赤くなっているのを、僕はちゃんと見ていた。


 その微笑ましい光景に、少しだけ安堵しかけた、その時——。


 「話、まとまりました~?」


 屋上の扉から不意に聞こえた声に、僕たちは一斉に振り返る。


 そこに立っていたのは、小夏ちゃんだった。


 雅と葵の表情がわずかに曇る。やはり、過去の出来事を思い出したのか、二人とも警戒心を隠そうとしない。葵は鋭い視線を向け、雅はわずかに唇を引き結ぶ。


 その様子を見た小夏ちゃんは、軽く両手を上げて肩をすくめる。


 「おおっと、そんなに睨まないでくださいよ。今はお二人に構ってる暇はないんで、そこまで警戒しなくてもいいですよ、先輩方」


 そう言いながら、ニヤリと笑う。その表情はいつも通りの余裕に満ちたものに見えたけど、どこか違和感があった。


 雅は一瞬黙り込むが、深く息をついて表情を引き締め、口を開く。


 「啓から聞いたわ。私に会いたいって言ってたみたいだけど……何の用かしら?」


 冷静な声音に、まるで相手の本心を見極めるような鋭い視線を小夏ちゃんに向ける。


 しかし、小夏ちゃんはその視線を楽しむかのように微笑み、わざとらしく考える素振りを見せると、挑発するような口調で言った。


 「雅先輩、何か変わりましたね? 以前はもっと、悲劇のヒロイン気取りのお嬢様って感じだったのに」


 雅の目がわずかに細められる。空気が張り詰める。そのまま睨み合いに発展しそうな雰囲気だったが——。


 「そんな安い挑発、無駄だよ」


 割って入ったのは葵だった。


 「私も雅も、それなりに色々経験してきたの。アンタのおかげでね」


 口元に不敵な笑みを浮かべながら言い放つ葵。


 小夏ちゃんの表情が一瞬揺れる。わずかに目を細め、舌打ちしそうな雰囲気を漂わせるが、すぐに肩をすくめて表情を整える。


 「まっ、今はそんな事どうでもいいんです。今日は雅先輩に頼みがあって来たんですよ」


 そう言いながら、真剣な瞳を雅に向ける。


 雅はじっと小夏ちゃんを見つめる。わずかに目を細め、考え込むような間が生まれる。


 そして——。


 「いいわ」


 その即答に、僕も葵も、そして何より小夏ちゃん自身が驚いた。


 「え? 内容聞かなくていいんですか?」


 思わず聞き返す小夏ちゃん。


 雅は微かに口角を上げ、くすっと笑いながら言った。


 「それが啓の役に立つことなんでしょう? だったら聞くわ」


 堂々としたその言葉に、葵も隣でくすりと笑いながら頷いた。


 小夏ちゃんは少し戸惑い気味に「は、はは、本当に変わりましたね……」と苦笑いを浮かべる。


 しかし——。


 「ただし、啓が危険な目に遭うことだけは絶対に許さないから」


 雅の声が静かに響く。冷静な口調だけど、強い意志が滲んでいる。


 小夏ちゃんの瞳がわずかに揺れた。そして、何かを考えるように僕をちらりと見やる。


 「はは、相変わらず愛されてますね、先輩」


 小夏ちゃんの視線を感じ、僕はどう返すべきか迷う。その沈黙の間に、小夏ちゃんはふっと息を吐き、どこか意味ありげに目を細める。


 「まあ、先輩がそう言うなら……」


 そう呟いた瞬間——。


 「あ~見つけた、このちびっこ!」


 「発見しました!」


 突然、別の声が響き渡り、僕たちは驚いてそちらを振り返った。


 「わっ! 何するんですか! 離し……離せ!」


 声の主は——神楽と真凛だった。


 神楽が小夏ちゃんを羽交い絞めにし、そのまま軽々と持ち上げる。


 「うるさい! あんた一体何者なのよ! 昨日から啓の周りをちょこちょこと!」


 神楽は鋭い目を光らせながら、小夏ちゃんをさらに持ち上げようとする。


 「そうです! 何者なのか白状なさい!」


 真凛も加勢し、羽交い絞めにされた小夏ちゃんの脇腹を容赦なくこしょこしょとくすぐる。


 「ぶはっ! や、やめっ! はは、はははっ!」


 小夏ちゃんが耐え切れず笑うしかない。


 その光景に、雅と葵も思わず目を丸くする。


 場違いなほどに明るい笑い声が屋上に響く中、僕はただ、その光景を呆然と見つめた。


 ——まったく、ここまで騒がしくなるなんて、誰が予想できただろうか。

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