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第91話 最終章・愛を選んだ証

 リビングにはお茶の香りが広がり、湯呑みから立ち上る湯気が柔らかく揺れていた。曜子は静かに湯呑みを手に取り、一口含むと、その温かさに目を細めた。


 「やっぱり日本に帰ってくると落ち着くわね」


 口から漏れた言葉は、どこか懐かしさを含んでいた。


 曜子の言葉に、神楽は肩をすくめながらお茶をすすった。


 「そんなに落ち着くなら、もう少し帰ってくれば?」


 曜子はクスッと笑い、「あなたに言われなくても、そのつもりよ」と楽しげに返した。


 雅たちは曜子を見つめていた。神楽の母親であることはすでに知っていたが、名前までは聞いていなかった。


 神楽は湯呑みを置き、改めて雅たちを見渡した。


 「……まあ、みんな気づいてるだろうけど、一応ちゃんと紹介しておくわね」


 軽く息をついてから、神楽は言葉を続ける。


 「篠宮曜子。私のお母さんよ」


 静かな空気が流れた後、葵は湯呑みを持ったままピタリと動きを止めた。


 「……篠宮曜子?」


 その名を口にした途端、彼女の表情が驚きへと変わる。


 「ちょっと待って……うちの親が大ファンだったんだけど!たしか、有名なバンドのボーカルで、妊娠して電撃解散したって聞いたことがある!」


 曜子は微笑みながら、お茶を口に運ぶ。


 「あら、懐かしい話ね。今でもそんなふうに語られてるなんて」


 「じゃあ……その時の子供が……神楽?」


 葵が信じられないといった様子で神楽と曜子を見比べると、曜子は静かに頷いた。


 「そういうこと」


 そして、クスクスと笑いながら冗談めかして言う。


 「曜子お姉さんって呼んでくれてもいいのよ?」


 神楽は呆れたようにため息をついた。


 「……絶対呼ばないから」


 曜子はクスクスと笑い、「冗談よ」と肩をすくめた。


 葵は思わず吹き出しそうになりながらも、すぐに真剣な表情に戻った。


 「でも……うちの親が言ってたけど、当時は“父親不明”って話題になってたって……?」


 曜子は懐かしむように微笑み、ゆっくりとお茶をすすってから言った。


 「ええ、そうね。当時は私も桜も、世間を騒がせていたわね」


 「桜……?」


 雅は少し間を置いて曜子を見つめた。


 真凛は静かに微笑みながら、穏やかな口調で答えた。


 「私の母です。香坂桜」


 蘭子は驚いたように目を瞬かせた。


 「香坂桜……けっこう有名な舞台女優ですよね?映画にもよく出ていたし、パリで活躍していたのに、ある日突然引退して……」


 蘭子は言葉を詰まらせ、ハッとしたように顔を上げる。


 「えっ?」


 神楽は軽く笑いながら言う。


 「そうよ、つまり、私のお母さんと真凛のお母さんが愛した人が、私たちの父親ってこと」


 雅と葵が「えええっ!?」とさらに驚く。


 曜子は昔のことを思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。


 「私と桜は、同じ人を愛してしまったの。でも、それは世間に受け入れられる関係ではなかった……」


 曜子は静かに湯呑みを置き、遠い目をした。


 「画家だった彼も、私と桜の間で苦しみ、悩んでいた。でも、どちらかを選ぶことができず、最終的に私たちのもとを去ったの」


 曜子は深く息をつき、神楽と真凛を見つめながら、静かに微笑んだ。


 「でもね、たとえ世間から後ろゆびを指されようとも、それでも愛する人と一緒にいたい。私と桜はそう考えて、彼と共に生きる道を選んだのよ。そしてそんな私たちを、彼は受け入れてくれたわ」


 真凛はクスッと笑いながら尋ねた。


 「母は元気でやっていますか?」


 曜子は微笑み、「ええ、元気よ。久々にあの人と二人っきりにさせてあげたら、大喜びしてたわ」と軽く笑った。


 その言葉に、雅は少し言葉を詰まらせた後、神楽と真凛を心配そうに見つめる。


 「二人は、それで大丈夫だったの? 世間の目とか、色々と大変だったんじゃない?」


 しかし、その慎重な雅の声音に、神楽と真凛は迷うことなく答える。


 「全然問題ないです」


 「お母さんたちもお父さんも、私たちを大切に育ててくれた。だから感謝する事はあっても、恨む理由なんて一つもないわ」


 神楽は肩をすくめ、「まあ、マスコミなんかはしつこく嗅ぎ回ってたけど、そんなの関係ないでしょ?私は気にしてないし、当人たちが幸せならそれでいいじゃない」と強気に言った。


 神楽の言葉を聞いていた蘭子が、ふと考え込んだ後、核心を突くように問いかけた。


 「もしかして、お二人が先生の小説にはまったのって……」


 真凛は穏やかに微笑みながら口を開く。


 「初めて読んだ気がしないような物語でした……」


 真凛はそっと湯呑みを手に取り、少し目を伏せる。


 「周りのみんなが認めてくれない母たちの関係を、まるで肯定してくれたように感じました。嬉しくて胸がいっぱいになったのを覚えています。それがきっかけで、この物語を演じてみたいって、心から思ったんです」


 その言葉を受け、神楽が続くように笑みを浮かべる。


 「それにね、こんな素敵な物語を書いてくれた人って、どんな人なんだろうって興味が湧いたのよ」


 しんみりとした空気が流れる中、曜子はふっと微笑み、軽く肩をすくめながら言った。


 「まさか自分の娘たちが、私たちと同じ運命をたどりそうになってるなんてね」


 その場にいた全員が一瞬驚き、雅や葵が思わず目を見開いた。


 曜子はそんな反応を楽しむようにお茶をすすり、「ところで、他の子たちは学校の友達?」と話題を変えた。


 神楽が「あ、うん、今日はみんなでバレンタインのチョコ作りの練習をしようと思って」と説明すると、曜子は興味深そうに頷いた。


 「へ~いいわね~。なんか恋する乙女って感じ。みんな好きな人がいるってことね?」


 その瞬間、雅、葵、蘭子の動きが微妙にぎこちなくなり、一斉に「~その……」と気まずそうに視線をそらした。


 曜子が「ん?」と首をかしげる。


 神楽と真凛が互いに視線を交わし、言いにくそうにしながら、しどろもどろに言った。


 「え~とね、その……ここにいるみんな、同じ人に渡そうと思ってるわけで……」


 その言葉に、曜子は一瞬きょとんとした後、思わず吹き出した。


 「ちょっと待って、それってつまり……全員ライバルってこと?」


 雅と葵はバツが悪そうに顔をそらし、蘭子は静かに微笑んでいた。神楽は頬をかきながら、「まあ、そういうこと……」と苦笑する。


 曜子は楽しそうにお茶をすすりながら、「これは面白くなってきたわね~」と満足げに呟いた。

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