第84話 新章・決戦は日曜日(7)
ホテルの廊下を足早に歩き、部屋のドアを開ける。中に入ると、すぐに僕の姿を見つけた神楽が駆け寄ってきた。
「啓!」
神楽は、僕の胸に勢いよく飛び込んでくる。細い腕が僕の背中に回され、温かな体温が伝わってきた。
「おかえり……!本当に大丈夫だった?」
心配そうな神楽の声に、僕は小さく頷く。
「うん、問題なく終わったよ」
彼女の背中を軽く撫でると、神楽がようやく僕から離れ、ほっと息をつく。
「よかった……。私、すごくドキドキしてたんだから」
「神楽もお疲れ様。響姉のこと、ありがとう……」
そう言うと、神楽がぱっと顔を輝かせた。
「ううん、私なんかより響子さんの方が凄かったよ!めっちゃかっこよかった!私、惚れちゃいそう!」
興奮気味に話す神楽に、僕は苦笑する。
「はは……響姉はカッコいいよ。昔も今もね」
その時だった。
――「じゃあ……私に任せてもらえますか……?」
突然、くぐもった声が部屋に響き渡る。
僕と神楽は、ハッとして音の発生源へと視線を向けた。
ノートPCの画面には、鮮明に映し出された隣室の様子。
蘭子が、幸田をベッドへと押し倒すような格好になっている。
「……っ!!」
僕は息を呑み、拳を握りしめる。
幸田の手が蘭子の腰を撫で、気色の悪い笑みを浮かべている。
「蘭子……」
込み上げる怒りを噛み殺しながら、画面に食い入る。ふと、僕の拳にそっと触れる感触があった。
「啓……」
神楽が、僕の手を優しく握っていた。心配そうな瞳が、僕を見つめる。
「蘭子から言われてたんだけど……『できれば見ないで、信じて待っててほしい』って」
「え……?」
困惑する僕をよそに、画面の中では更に事態が進行していた。
蘭子が、幸田の上に馬乗りになり、ゆっくりと顔を近づけている。
嫌な予感が背筋を駆け上がる。
「ダメだ、こんなことは絶対に……!」
思わず立ち上がろうとする。しかし、その瞬間、神楽が僕の腕を力強く掴んだ。
「待って!蘭子が自分で決めたことなの!彼女は覚悟してる!」
「覚悟って!?こんなの、限度があるよ!!」
胸の奥が軋むように痛む。
雅たちが伍代たちに襲われた時の悪夢が脳裏をよぎる。あの時の無力感、悔しさ、怒りが、僕の中で再び沸騰した。
「……っ!!」
堪え切れず、神楽の手を振り払った。
「啓!!」
神楽の叫びが耳に届くが、僕はもう抑えられない。
こんな事、絶対に許しちゃいけない!。
そう決意した瞬間――
「ほらぁ!これがいいんでしょ!?」
突然、蘭子の強い声がPCから響いた。
「え……?」
僕は呆然と画面を見つめる。
次の瞬間、
「ああ~!もっとだ!もっと締めてくれ!」
幸田が、恍惚の表情で蘭子の手を首に巻きつけられながら、歓喜の声を上げていた。
……何?
いや、どういうことだ?
「……な、なに……これ?」
僕は理解が追いつかず、神楽の方を見る。すると神楽は額を押さえて、ため息をついていた。
「あ~……やっぱりね……」
「やっぱりって何!?」
「……蘭子から事前に聞いてたんだけど……つまり、その……幸田さん、ドMらしいのよ……」
「……は?」
何かの間違いだと思いたかった。
だが、画面では更なる地獄が繰り広げられていた。
「ほら!どうなの!年下の女に虐められて嬉しい!?気持ちいいの!?何とか言いなさいよ、この変態!!」
蘭子が光悦の笑みを浮かべながら、幸田の股間を足でぐりぐりと踏みつけている。
「ああぁっ!最高ぉぉ!!」
幸田は涙を浮かべ、歓喜の叫びを上げていた。
「……」
開いた口が塞がらない。
僕は、ただ画面を凝視することしかできなかった。
神楽も沈黙し、視線を逸らしながら呟く。
「うん……そりゃ好きな人にこんな姿見られたくないよね……ごめん、蘭子……」
「ああああああっ!!もっと!!もっとぉぉ!!」
幸田の断末魔のような声が響き渡る。
――気持ち悪い……最悪だ。
「……もう充分だよね……?」
僕は胃の中がひっくり返りそうな感覚を抑えながら、神楽に言う。
「……そうね……行きましょうか……」
そう呟く神楽。
僕はPCの録音を停止させ、画面を閉じる。
そして、深く息を吐き出した。
「えと……この場合、どっちを助けるのが正解?」
僕が呆れたように呟く。
「……どっちでもいいわよ……」
神楽も同じように深くため息をついた。
二人して、重くなった気分を引きずりながら、蘭子の救出――もとい、どちらかの救済に向かうことにした。




