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第81話 新章・決戦は日曜日(4)Real bout

 地下駐車場はひんやりと湿り気を帯びている。打ちっぱなしのコンクリート壁には、うっすらと水気が浮かび、鈍い光をぼんやりと反射していた。響子のヒールが硬い床を打つ音だけが、静まり返った空間に響いている。


 ゆったりとした足取りは、あえて警戒を解かせるための演技。背後をついてくる阿久津の存在を、振り返らずとも肌が感じ取っていた。背中に突き刺さる視線。その圧は、体温を奪うほどに冷たい。


 平静を装ってはいるものの、響子の指先にはわずかな震えが残っている。駐車場の奥、暗がりにひっそりと停められた幸田の車。その影に、真凛と神楽が身を潜めている。普段なら目立たない地味なセダン。しかし今夜は、仕掛けの中心に据えられた特別な存在だ。


 真凛はスマホを握りしめ、事前に録音しておいた防犯ブザーの警報音を再生する。神楽と目が合い、わずかに頷くと同時に、甲高い警報音が地下に響き渡った。


 無機質な音がコンクリートに反響し、方向感覚を狂わせる。音の発信源を掴むよりも早く、阿久津の足が止まった。響子はその動きを見逃さない。阿久津の歩調は乱れず、慎重に、しかし迷いなく幸田の車へ向かう。ブザー音が響いているのに、ハザードは無反応。その不自然さに、阿久津の口元がわずかに歪んだ。


「こんな子供騙しで何がしたいんだ……?」


 低く、嘲るような声が地下に響く。足を止めた阿久津は、その背後に立つ響子の存在を感じ取っていた。


「全てお見通しというわけか……?」


 響子が余裕を装った笑みを浮かべる。しかしその目の奥に滲んだ僅かな緊張を、阿久津が見逃すはずもない。


 阿久津が口端を歪め、にやりと笑う。


「でもお前をここまで連れてくること自体が目的なんだ、何も問題ないさ」


 響子の声は冗談めかしていたが、その内に秘める覚悟だけは確かだった。


 しかし、阿久津はまるで気にする様子もなく、肩を竦めて笑う。


「問題ない?何か勘違いしているな」


 響子は阿久津を睨みつけ、短く問いかける。


「何……?」


 阿久津の口元が再び僅かに歪み、不敵な笑みが浮かぶ。


「俺の足止めか?残念だがそれは無理だ……今からお前の口からすべて聴きだし、俺が直ぐに部屋に戻れば済む事。むしろ問題ないのはこちらの方だ」


 そう言って、阿久津は上着を無造作に脱ぎ捨てる。シャツ越しでもわかる鍛え上げられた身体。無駄な贅肉は一切なく、強靭な筋肉が鎧のように張り詰めている。


 その姿を見ても、響子は笑みを崩さなかった。だが、その奥に秘める微かな動揺は、既に阿久津によって見破られている。


 その瞬間だった。物陰に身を潜めていた真凛と神楽が、駐車場の出口目掛けて飛び出した。全力疾走で逃げる二人。阿久津の目が鋭く光る。


「逃がすか……」


 恐ろしい速さで阿久津の身体が動く。だが、その進路に割り込むように、響子が立ちはだかった。


「お前の相手は私だ……!」


 響子の声が鋭く響き渡る。阿久津はその言葉にさらに口角を上げる。


「ぬかせ!」


 一瞬で間合いを詰めると、阿久津の拳が唸る。すさまじいワンツーから胴廻し蹴りへ。響子は紙一重で拳を交わし、蹴りを避けると同時に低くしゃがみ込む。そこから回転しつつ、すぐさま放つ鋭い水面蹴り。


 しかし、阿久津はその蹴りを読んでいたかのように軽々と跳び上がり、逆に空中から飛び蹴りを放ってくる。


 両腕でその蹴りを受け止めるが、衝撃の重さに後方へ弾き飛ばされた。響子は床を滑るように着地し、肩で息をしながらも構えを解かない。


 阿久津はボクシングのステップを踏みながら、響子を品定めするように近づく。


「空手か?」


「そう言うお前は総合ってとこか?」


 火花を散らすような視線の応酬。次の瞬間、阿久津が鋭い踏み込みと共にジャブの嵐を浴びせる。響子は空手特有の捌きでそれを受け流し、反動で肘打ち、掌底と畳み掛ける。


 だが、阿久津は全てを見切っていた。軽やかにかわされる攻撃。それでも響子は怯まず、そのまま懐へ飛び込み、鋭い膝蹴りを放つ。


 だが、それすらも阿久津は両手でがっちり受け止めた。


「ちっ…!」


 響子が舌打ちして距離を取ろうとするが、阿久津は逃がさない。そのまま響子の膝を抱え込み、強引に持ち上げると、堅いコンクリートの床へ背中から叩きつけた。


「ぐっ…!」


 響子の口から苦痛の声が漏れる。鈍い音が駐車場に響き、響子は身体を強く打ち付けられた衝撃に、わずかに身をよじる。


 阿久津の戦闘経験の差。その圧倒的な壁を目の当たりにし、響子の表情から余裕の笑みが消えた。


「どうした?息が上がってるぞ?」


 阿久津が余裕の笑みを浮かべ、わざと響子を見下ろす。


「はあっ!」


 響子の叫びが地下に響く。空気を切り裂くような踏み込みと同時に、阿久津の懐へ飛び込んだ響子。瞬時に放つ正拳突きは寸分の迷いもない。だが、阿久津は僅かな体重移動だけでそれを躱し、響子の腕を払いながら逆の手でカウンターのフックを繰り出す。


 紙一重で首をひねって避けた響子。その体勢のまま回転を加え、肘打ちを狙う。しかし、阿久津の視線はすでに先を読んでいた。肘が放たれるより先に、響子の上腕を掴み、そのまま軸足を払って響子の体勢を崩す。


 ――ガンッ。


 床に響く響子の膝。すぐさま立ち上がろうとするが、阿久津の膝蹴りが容赦なく迫る。響子は両腕を交差して防御しつつ後退。しかし、その先には壁。逃げ場のない状況に追い込まれる。


 それでも響子は怯まない。壁を背にしたまま、蹴り足を捌いて軸足へローキックを叩き込む。響子の蹴りは確実に阿久津の足を捉えた。だが、阿久津は表情一つ変えず、そのまま軸足に体重を乗せて拳を打ち下ろしてくる。


 咄嗟に横へ転がり回避する響子。しかし、立ち上がるより早く阿久津が距離を詰める。息を整える暇すら与えない猛攻。ジャブ、ストレート、フック、膝蹴り。波のように押し寄せる攻撃を響子は必死で捌き、受け、いくつかは体に受けながらも反撃の糸口を探す。


 だが、響子の動きが徐々に鈍り始める。呼吸は浅くなり、腕も僅かに重い。阿久津はその変化を見逃さない。


「どうした?もう終わりか……?」


 余裕の笑みを浮かべながらも、阿久津の目は獲物を追い詰める猛獣のそれ。反撃の機会を探る響子の視界が、わずかに霞む。


 (このままじゃ……押し切られる……)


 響子の胸に、心を蝕んでいくような焦りが、徐々に広がり始めていた。

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