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第77話 新章・決戦前夜の誓い

 カーテンの隙間から差し込む街灯のぼんやりした光が、薄暗い部屋の中に滲んでいる。外のかすかな車の走行音が、静まり返った部屋に染み込んでくるようだった。机の上には雑然と広がる資料とメモの山。何度も見返したノートのページには、走り書きの文字が重なり合い、僕の迷いの痕跡が刻み込まれている。


 それでも、不安は消えない。どれだけ段取りを確認しても、どれだけ対策を練っても、この胸の奥に巣くった冷たい塊は溶けないままだった。僕は肘をついて、スマホの画面を見つめる。


 グループ通話の画面には、僕、真凛、神楽。三つの名前が並んでいる。明日の作戦に向けて、最後の打ち合わせ中だ。


「じゃあ幸田の事務所には、要求をのむって伝えたんだね?」


 僕の問いに、スピーカー越しの神楽の声が響く。


『うん。幸田のマネージャー、阿久津だっけ?なんかやたら気持ち悪い声のおじさんが、"伝えておきます"だってさ』


 神楽らしい軽口に、張り詰めていた肩の力が少し抜ける。


『でも本当に上手くいくのかな……なんだか心配になってきちゃった……』


 真凛の声が、ふっと弱さをにじませる。普段のきちんとした彼女が見せる、こういう素直な声に少しだけ胸がざわつく。


「一応、蘭子からも最終確認のメッセージが届いてる。緋崎さんにも昨日連絡して、ホテルの部屋も確保してもらった。例のものも用意済み。小説の取材って言い訳はしてるけど……たぶん、色々バレてると思う」


 苦笑いしながら、緋崎さんのじとっとした視線を思い出す。あの目は、絶対に僕の言葉を信用してなかった。頭を下げながら、心臓がきしむようだったことを思い出す。


『よ~し、ここまで来たらやるっきゃないよね!』


 神楽が明るく言う。


『そうだね……響子お姉さんも協力してくれてるし、私たちが弱気になってたら、ダメだよね』


 真凛も静かに覚悟を固める。


「うん、明日は絶対に成功させよう」


 僕の声に、二人が『おう!』と元気よく返してくれる。その力強さに、少しだけ支えられる気がした。


 でも──安心したのも、ほんの一瞬だった。


『ねぇ啓?今日は眠れそうにないから、啓のちゅ〜で眠れるようにして〜?』


 突如、神楽が猫なで声で甘えてくる。


『あ!ズルい!はじめ君、私も!』


 真凛まで参戦して、グループ通話は一気に修羅場と化す。


「む、無理だよ!そんなの!」


 慌てて言い訳しながら、強制的に通話を切った。画面が消えると同時に、どっと疲れが押し寄せる。


 スマホが震え、神楽と真凛から次々に通知が入る。


『啓の意気地なし〜』


 あっかんべぇのスタンプ付き。


『おやすみなさいはじめ君、チュッ』


 キスマークのスタンプ付き。


 全く……。


 決戦前夜だっていうのに、この二人のマイペースっぷりには呆れる。でも、そのふざけたやり取りが、カチカチに固まった胸の奥をほんの少しだけほぐしてくれる。


 そんな安心感に支えられてる自分がいることを、否応なしに実感する。


 スマホが再び鳴る。今度は蘭子からの着信だ。


「もしもし?」


『先生〜、起きてますかぁ?』


 いつもの明るい声。ほんのり甘えが混ざったその声を聞くだけで、さっきまでの緊張感が更に薄れていく。


「うん、まだ起きてる。どうしたの?」


『いえ〜、特に用事はないんですけど、なんとなく先生の声が聞きたくなって。えへへ』


 なんでもないように言うけれど、そうやって気にかけてくれることが、今は妙にありがたかった。


「ねえ蘭子……」


 ふいに、胸の奥で燻っていた言葉が零れる。


『ん?何ですか?』


「本当に……やるの?」


『何言ってるんですか、今更!ここまで来たら、やるっきゃないですよ〜』


 笑い飛ばす蘭子。でも、僕の中の不安は笑いじゃ消せなかった。


 作戦の中心は蘭子。体を張ってあの男を追い詰める役を、彼女が担う。どれだけ準備しても、何かあれば──


「でも……もし蘭子に何かあったら……僕は……」


『……先生』


 急に、蘭子の声が柔らかくなる。


『私ね、あの時本当に嬉しかったんです。先生と初めて会った時……覚えてますか?』


「あの時……?」


『高校中退して、東京に出てきたばっかりの頃、右も左も分かんなくて、夢だけ持って、どうにかなるって思ってたのに……全然ダメで。イラストの仕事も全然うまくいかなくて、お金もなくて……』


 蘭子の声はどこか遠くを見るように、少しかすれていた。きっと当時の不安や焦りが、今も胸の奥に残っているんだろう。思い出すたびに、胸を締め付ける何かがあるのが伝わってくる。


『体だけは売りたくないからって、ギリギリのとこで我慢してやってたけど、それでも、あれほど嫌だったのに、生活に困るとすぐパパ活に逃げて……』


 苦笑するような息が混じる。


 軽く言葉にしてるけど、そこにあるのは割り切れない葛藤や、自分への嫌悪感。


 そのひとつひとつを飲み込んで、それでも口にしようとする声が痛いほどに伝わる。


『辞めようって何度も思ったのに、気づいたらまたやってるんです。そんな自分が一番嫌いでした。でも、現実は甘くないから……』


 かすかに湿った笑い声が、スマホ越しに響く。


 自分を責めることに慣れてしまった人の声。


 でも、その奥にある「変わりたい」という小さな光も見える気がした。


『そんな時、先生に会ったんです』


 その声は少しだけ明るく、強く光った。


 初めて僕と出会った、あの喫茶店の記憶が蘭子の中に蘇っているのが伝わる。


『何も聞かないで、何も求めないで、ただ……「大好きな仕事に胸を張って、好きって言えるようになろう」って言ってくれた。その言葉に……今までの私が、救われたんです』


 言葉を絞り出すような声の中に、震えるような温かさが滲む。


 蘭子の中で、あの言葉がどれだけ支えになったのかが、痛いほど伝わる。


『先生の言葉、ずっと宝物です。だから……今度は私が先生の力になりたい。先生のそばにいたいんです』


「……ありがとう、蘭子」


『えへへ、お礼は後でたっぷり貰いますからね〜!』


「お、お手柔らかに……」


『ダメでーす!』


 ふざけ合う声の中に、さっきまでのあたたかさが残っていた。


 決戦前夜。何があっても、蘭子のためにも成功させよう。その確信が、どんな作戦の準備よりも、僕の胸を強くする。

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