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第75話 新章・揺れる足元

 部屋の暗いベッドに平穏になって、足の裏がヒヤリと冷たく感じる。部屋の暗さまでもが素っ気なくて、身体だけじゃなく、心の中まで冷えてくる。


 ただじっと天井を見つめていると、頭の中にずっと浮かんでくる昨日の光景が隠しようもなく浮かび上がる。


 ホテルに入っていく啓と神楽。その後、ホテルから出てきた啓と公園で向かい合った私。けれど、私は啓の言葉を一言も聞きもせず、逃げ出してしまった。


 何で逃げたんだろう。何で一言だけでも話してみようって思えなかったんだろう。私自身が信じられない。ずっと啓のこと誤解して、傷つけてきたのに、また同じことしてる。本当に自分ってバカみたい。


 あの時、やっと決心したはずなのに。啓と向き合おうって、もう逃げないって決めたはずなのに、結局自分はこれ。自分が悪いのは分かってるけど、じゃあ何が正解なのかはまだ分からない。


 神楽も真凛も雅も、皆美人で、堂々と啓の周りにいられる。でも私は違う。何も取り柄がなくて、あの人達と比べて自分のことが小さく見えて……。


 自信が欲しい。そんな大それた願い事じゃないはずなのに、何ひとつ掴めるものがない。


 誰でもいい。誰か私の背中を押して、前に進む勇気をくれる人がいてくれたら…。


 スマホが響く。画面を見ると、表示されたのは幸田さんの名前。少し意外だった。初めての電話に少しだけ緊張する。何の話だろう。もしかして何かあったのかな。


 連絡先を交換した時、幸田さんが言っていた言葉を思い出す。


「雅ちゃんに連絡先交換したこと言ったら、やきもち妬かれちゃうかもね。ほら、雅ちゃんって葵ちゃんのこと大事にしてるし、僕みたいな大人が間に入ると余計な誤解を生むかもしれないからさ。だから、二人だけの秘密ってことにしとこうか」


 あの時、幸田さんが冗談めかして言ってきたから、私もつい笑ってそのまま連絡先を教えたんだった。


 雅にはちょっと悪いかなって思ったけど、最近は誰にも本音を話せてなくて、頼れる相手が幸田さんくらいしかいないのも事実。


 私は意を決して電話を受けた。


「あ、こ、こんにちは幸田さん……どうかしましたか?」


 声がちょっと上ずってるのが自分でもわかる。だけど、幸田さんはそんなこと気にも留めないような、以前と変わらない穏やかな声で返してくれた。


「良かった、出てくれて。突然電話なんかして迷惑じゃなかったかな?」


「だ、大丈夫です。それに今日、学校サボっちゃったし……あはは」


 情けない言い訳だなって思う。けれど、幸田さんは笑うでも呆れるでもなく、そのまま優しい声をかけてきた。


「何かあったの?」


 その声を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。この人になら、話してもいいんじゃないか。そんな考えが一瞬よぎる。


 でも、そんな簡単に話せるはずがない。


「別に、大したことじゃ……」


 口にした途端、自分でも苦しくなるくらい、嘘くさい声だった。 幸田さんはすぐにそれを察したのか、否定もせずに少しだけ間を置いて、 穏やかに声をかけてきた。


「葵ちゃんってさ、人に相談するの苦手でしょ?」


「えっ?」


 図星を突かれ、反射的に声が上ずる。 なんでわかるんだろう。 私、そんなにわかりやすい?


「無理に話せとは言わないよ。ただね、抱え込み過ぎると、自分でも気づかないうちに心がすり減っちゃうんだよね」


 押しつけがましくなくて、ただそっと寄り添うような言葉。 この人なら大丈夫かも……と思える、そんな柔らかい空気が伝わってくる。


「僕もこの業界に長くいるからさ。新人の子って、最初はみんな色々悩んでるんだよね。うまくいかないことばっかりで、自分が何してるのかもわからなくなったりしてさ。だから、もし葵ちゃんが少しでも辛いなら、僕でよければ話聞くから」


 言葉の端々から、優しさと気遣いが伝わってくる。押しつけがましくなくて、ただそっと差し伸べられた手。そこにすがりたくなる自分がいた。


 それでもやっぱり、すぐには話せない。


 どうせ何を言ったって、どうにもならないって、そんな気持ちがまだ奥に張り付いてる。


「本当に、些細なことなんですけど……」


 それでも、押し殺した声でやっと一言だけ漏らした。


 そこから少しずつ、少しずつ、言葉がこぼれ始める。啓とのこと、神楽や真凛、雅のことを話し始めた。言葉を紡いでいるうちに、胸の中のぐちゃぐちゃが、少しずつ外に溢れ出してくる。


 全部話し終えた時、スマホ越しに聞こえる幸田さんの小さな息遣いが、なぜか心地よく感じた。


 少しの沈黙が流れたあと、幸田さんの声が優しく響く。


「葵ちゃん……ずっと一人で頑張ってきたんだね」


 その言葉が胸に染みて、気づいたら涙が頬を伝っていた。


「そうだ、今度二人で会わない?」


「え……?」


 涙を拭おうとした手が止まる。


 あの伍代や鷹松のことが一瞬頭をよぎる。あの二人のせいで、人を信用することが怖くなった。けれど、幸田さんはあの人たちとは違う。


 責任ある立場の大人で、私みたいな高校生を相手にするような人じゃない。


 それに、あの人気俳優の幸田さんが、わざわざ私なんかに特別な感情を抱くわけがない。私なんかより、もっと素敵な人はいくらでもいる。


そう、自分なんかより、よっぽど綺麗で、自信を持っている人が――。


「あ、誤解しないでね。やましいこと考えてるわけじゃないよ。気分転換にもなるし、この際だから、相談したいこと、全部聞いてあげる。声優の演技のことでも、プライベートなことでも、なんでもさ」


 優しくて、ちょっとだけ茶目っ気のある声。その声が、私のこわばった心を少しずつ溶かしていく。


「静かな喫茶店があるんだ。そこなら人目もあるし、二人っきりになることもないよ。それにパンケーキが美味しいって評判なんだよ。僕は甘いもの苦手なんだけど、はは」


 その砕けた声に少し安堵しながら、私は頭に思い浮かべた。雅や真凛、神楽の姿。


 みんな啓のそばにふさわしくて、私とは比べ物にならない。


 それでも、こんな私の話を聞いてくれる人がすぐそこに……。


 その思いが、そっと背中を押した。


「……わかりました」


 気恥ずかしさもあるけど、今は誰かに話を聞いてほしい。そんな思いが、私の口を開かせた。


「良かった。この歳で葵ちゃんみたいな若い子に誘い断られたら、結構ショックだったかも」


「この歳って、幸田さんまだ若いじゃないですか」


 つい軽口を返してしまった自分に驚く。でも、ほんの少しだけ心が軽くなった気がして、私はスマホを握りしめたまま、久しぶりに小さく笑った。

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