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第69話 新章・手渡された秘密

 カーテンの隙間から差し込む柔らかな光で目を覚ました。


 今日は祝日。いつもより少し遅くまで眠れて、気持ちにも余裕があるはずだった。


 それなのに、目覚めると同時に胸の奥がそわそわと落ち着かない。理由は分かっている。


 今日、啓くんと神楽と三人で過ごすはずだったから。


 朝、スマホに表示された名前を見て、私は小さく息を飲んだ。


 遠野志穂とおのしほさん。


 私が女優を目指すきっかけをくれた人。憧れであり、尊敬してやまない大先輩。第二の母のような存在。


 祝日だというのに、朝一番で直接電話をもらうなんて初めてだった。志穂さんは丁寧な口調で、でもどこか緊張した声で「どうしても真凛ちゃんと二人きりで話したいことがあるの」と伝えてきた。


 理由も内容も分からないまま、断る理由なんてあるはずもなく、私はすぐに約束を受け入れた。


 それが今日の朝。


 そして、その直後に神楽へ電話をかけた。


「神楽、ごめん。今日の約束なんだけど、ちょっと行けなくなっちゃった」


 まだ寝起きのままっぽい声の神楽が「えー、なんで?」と不満そうに言う。


「遠野志穂さんに呼ばれたの。朝一番で、二人きりで話したいって」


「え、マジで?すごくない?」


「うん……。私もびっくりしてる」


 神楽には何でも話せるけれど、さすがに志穂さんからの電話の内容まではまだ話せない。ただ、大事な話があるんだろうなという予感だけは、神楽にも伝わったみたいだった。


「そっか……。じゃあしょうがないね」


「ごめんね。でも、また今度三人で会おうね」


 少し申し訳なく思いながらそう伝えると、神楽の声が少しだけ明るくなった。


「じゃあさ、私今日、啓に告白するかも」


「……そっか」


 思ったより、心は静かだった。たぶん、神楽が啓くんのことを好きだって気づいてたから。神楽なら、っていう気持ちもあった。


「でもね、私も啓くんのこと諦めるつもりはないから」


「ふふっ、お互い様だね。私、真凛なら許せるかも。もしかしたらさ、私たち二人で啓を愛する未来も、あるかもね?」


「……えっ?」


 思わず変な声が出た。


 二人で啓くんを愛する未来——そんなこと考えたこともなかった。でも、神楽が笑いながら言ったその言葉は、なぜかすごく自然に耳に馴染んで、心の奥にふわりと落ちていく。


 もしかしたら、そんな未来も本当にあるのかもしれない。


「二人で……ふふ、それ、いいかも」


 自分で言いながら、胸が少し熱くなる。


 神楽だからこそ言えた、そんな言葉。


「勢いでホテルに連れ込んじゃうかもよ?」


「それは啓くん次第。私だって負けないんだから」


 いつもの私たちらしい、軽口交じりのやり取りで電話を終えた。


 だけど、心の奥でほんの少しだけ、静かな決意が芽生えていた。


 私は私のやり方で、ちゃんと啓くんと向き合おう。


 そう思いながら、私は支度を始めた。


 いつもより少し落ち着いた服を選び、髪を丁寧にまとめる。


 少し背筋を伸ばして、遠野志穂さんが待つ高級ホテルへ向かった。





 車の窓から流れる景色をぼんやりと眺めるうちに、次第に気持ちも切り替わっていく。どんな話をされるのか、何が待っているのか。期待と不安が交互に胸を叩く。


 ホテルのロビーにあるカフェテラスに着くと、志穂さんはすでに窓際の席に座っていた。


 テーブルの上にはコーヒーカップが置かれ、志穂さんは静かに外を眺めている。いつも画面越しに見てきた美しい横顔。そこにあるはずの余裕や自信とは違う、どこか沈んだ空気がまとわりついている気がした。


 挨拶を済ませ、私が向かいに座ると、志穂さんはほんの少しだけ笑って「忙しいのにごめんなさいね」と言った。


 そんなことないですと返しながら、私の胸には得体の知れない不安が広がる。


 飲み物を勧められたけど、やんわりと断った。早く話を聞きたい、そんな気持ちが言葉より先に表情に出ていたのかもしれない。


 そして、静かな声で語られたのは、あまりに重たい現実だった。志穂さんは、少し目を伏せながら言葉を選ぶようにして口を開いた。


「週刊誌に撮られてしまったの……」


 志穂さんの言葉は穏やかだったけれど、その中に微かに震えが混じっていた。


「相手は……三島監督」


 三島洋平みしまようへい監督。遠野志穂という名を輝かせ、アカデミー女優賞の候補にまで押し上げた作品の監督。その人と、不倫関係にあったという。


 信じられない、けれど、志穂さんは淡々と事実だけを口にした。


「記事はね……うちの事務所じゃなくて、スターフェイスが動いて潰してくれたの。でも、その条件として——幸田さんが、そちらの事務所の篠宮神楽さんと香坂真凛さんと、ゆっくりお話ししたいって……」


 そう続けられた言葉に、息をのんだ。


 もみ消したのは、うちの事務所じゃない。


 スターフェイス——。


 その名前を聞いた瞬間、背中を氷の刃でなぞられたような感覚に襲われた。


 あの幸田昴が関わっている。


「本当にごめんなさい……真凛ちゃんにまで、こんな話をすることになって……」


 志穂さんは俯き、両手を膝の上でぎゅっと握りしめる。


「どうしていいか分からなくて……事務所にも迷惑をかけるし、自分で全部背負うつもりだったの。でも、隠していずれ知られるくらいなら、私からちゃんと話さなきゃって……それでも、真凛ちゃんを巻き込んでしまったことだけは、どんなに謝っても足りないくらい申し訳ないと思ってるの」


「ごめんね……本当にごめんなさい……」


 絞り出すような声で、志穂さんは何度も頭を下げた。


「でも……もう、どうすればいいのか分からなくて……」


 それでも、志穂さんはふっと微笑もうとした。


「ごめんなさいね、こんな祝日の日に……今日は、私の話を聞いてくれてありがとう……」


 小さく息を整えると、志穂さんは椅子を引き、静かに立ち上がった。


「また……近いうちにちゃんと話すから」


 背筋を伸ばして歩き去るその姿は、スクリーンで見続けてきた大女優そのものだった。


「またね、真凛ちゃん」


 残された私は、ただ呆然と椅子に座ったままだった。


 静かに流れるBGM。志穂さんが飲みかけたままのコーヒーカップ。グラスに残る氷がわずかに音を立てる。


 全部が現実で、全部が嘘みたいに感じる。


 何がどうなっているの?


 頭の中が混乱して、考えがまとまらない。


 でも、このまま一人で抱えきれるほど、私は強くない。


 神楽……。


 気がつけば、私はスマホを手に取っていた。


 指先が震える。何度も押し間違えそうになる。それでも、神楽の名前を見つけると、ほんの少しだけ息が楽になった。


「お願い……出て」


 小さく呟き、私は通話ボタンを押した。


 呼び出し音が静かに耳に響く。


 私はただ、神楽の声を待っていた。

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― 新着の感想 ―
どうせお話だけで済ます気がないのはお互いわかるんだから 直球で肢体を要求すればいいのに、まどろっこしい、と思ったけど それを言葉にすると脅迫罪が適用されるから濁すか。
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