てんごく 死者のいくところ
ある国王が天寿を全うして死んだ。
彼は死の間際に親しく、そして信頼できる臣たちを呼んだ。
「私はこれから死ぬ」
呼ばれた者達は皆、王と共に理想を追い、時に支え合い、時に対立をして、それでも共に生きて来た者達ばかりだ。
出身、思想、宗教……あらゆるものを超えて王の目指すもののために進んできた者達に彼は告げた。
「それでもこうして安心して逝くことが出来る。友たちよ。全てあなた達の結束を知る故だ」
それが最期の言葉だった。
集まった者達は友にして偉大なる指導者である国王の死を悟り、そして泣き叫んだ。
王は自分の体がずっと上の方へ行くのを感じた。
どうやら天にある国へと行くらしい。
皆が同じものの喪失で嘆き悲しむ様をどこか嬉しく思いながら王は穏やかに逝った。
気づくと王は温かな場所に居た。
花畑だ。
注ぐ光も温かい。
ここはどこだ?
そう考えながらも王は何となしに答えを知っていた。
「いらっしゃいましたか」
女性の声が響く。
それはあまりにも懐かしい声。
王は振り返る。
「やはりお前か」
そこに居たのは自分より十数年前に亡くなった友の姿だった。
「はい。再びこのようにしてお会い出来る日を夢見ておりました」
彼女は十数年前、王が理想を追う過程で対立していた勢力により毒の盃を受けて死んだ臣だ。
死した時の彼女は黒々とした炭のような肌と真っ白な雪のような髪の毛となっていたが、今、王の前に立つ彼女は往時の頃と同じく穏やかな心の音をそのまま反映したような薄桃色の肌だった。
「やはり、ここは死後の世界か」
「はい。仰る通りです」
王は近づき友を軽く抱擁して尋ねた。
「ずっと見守っていたのか」
友は抱きしめ返しながら答える。
「ええ。見るだけですけれど」
「そうか」
そう言って離れると王は辺りを見回し始め、それを見た彼女はくすっと笑う。
「変わりませんね。残してきた者が気になりますか」
「あぁ。奴らなら大丈夫だとは思うがな」
臣にして友である彼女は一瞬、間を置いた後に静かな口調で問いかける。
「今しばらく、私とお話をしませんか。つもる話もあるでしょう?」
その響きに奇妙なものを感じた王は友へ振り返る。
「何かあるのか?」
「何故そう思われるのですか?」
「お前は何か言いづらいことを言う時、間を置くだろう」
それは生前、彼女が毒の盃を受けても最後まで周囲のために無言を貫いた事に起因する王の苦々しい学びだった。
主君にして友である王の答えを受けて彼女はため息をつく。
「お見通しですか」
「あぁ」
「では、はっきりと申し上げましょう。生者の世界を見ることはお勧めできません」
「何故だ?」
再びの間。
「私を見れば答えが分かるでしょう?」
温かな世界の中で自分の背筋に冷や汗が伝うのを王は感じた。
彼は言われずとも何となしに答えに辿り着いたのだ。
それでも王は友に聞いていた。
「世界を見る方法を教えてくれ」
「かしこまりました」
友は答えた。
そう言って、彼女は王を伴い泉の前に連れて来た。
「ここから世界が見えます。あなたの死後の世界が」
身を乗り出して王は泉を覗き込む。
そして。
「……なんということだ」
そこには偉大なる指導者を失った故に統率が乱れ、各々が再び争い始めている光景が見えた。
あっさりと裏切られた自分の願い。
それでも王は失望こそすれど揺らがなかった。
そもそも王自身が生前、多くの犠牲を払って皆をまとめ上げたのだ。
その中には死後、ようやく再会を果たせた彼女の命も含まれる。
だからこそ、王は泉を顔をつける勢いで泉を覗き込んで一人の男を探した。
「あいつはどこだ! あいつならばこの状況さえも平定できる!」
遺してきた者の中でも最も能力が高く、信頼できる者を。
そして、遥か離れた死者の国からかつて自分が生きていた生者の国に生きる男を見つけた。
彼は今、まさに決断しようとしていた。
つまり、戦争か和平かを。
「とどまれ! ここで感情に身を委ねるな!」
王は怒鳴らんばかりの声で呼びかけた。
男は苦悩の表情のままに戦争の道を選んだ。
「そんな! ここで動けばさらに死人が出るぞ!」
王は頭を抱え、そして隣に座っていた彼女に尋ねる。
「教えてくれ! どうすれば私の声はあいつに届く!? 今、止めなければ多くの死人が出る!」
しかし、彼女は首を振る。
「死者の声は生者に届くことはありません」
「なっ……」
あまりにも残酷な答えに王は言葉を失う。
「私の声が一度たりともあなたに届かなかったように」
彼女はそう言うと涙を零してその残酷な事実を伝えた。
「ここから出来るのは覗き見ることだけ。私たちは無力にも見つめることばかりなのです」
直後。
王は先ほど彼女が何を言わんとしたか気づいた。
『私を見れば分かるでしょう?』
確かにその通りだ。
『私の声が一度たりともあなたに届かなかったように』
彼女は死後もここで王を待っていてくれたにも関わらず、王に一度たりとも声を投げかけてくれることはなかった。
泣き崩れる王の体を友は優しく抱きしめた。
「王。我らは死者なのです。生者に干渉することは決して許されぬことなのです」
その言葉共に王は理解する。
ここは天の国にして、天の牢獄なのだ。
牢屋越しに生者の世界を見ることは出来ても触れることも声を投げかけることも出来ない。
ただ無力なままに眺めるだけだ。
「王」
ようやく再会出来た友が穏やかに背中をさすりながら言った。
「少しばかりの辛抱です。皆がこっちに来たら存分に叱ってやりましょう」
彼女の諦めに満ちた言葉が王に対する唯一の慰みだった。
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