Prologue 3 21時からの速度《1》
〔1〕
「マジ?」
【Prologue 3 21時からの速度】
本気と書いて、マジと読む。
そういう意味では、私の問いかけ・・・貼り紙に対する問いかけは不適切。
シャッターの降りた店の入り口、小さな入り口に貼り出された紙に『閉店のお知らせ』と書かれていた。それを目の当たりにする。
本気だったら閉店なんてせずに経営を頑張る訳だから、本気?という問いかけはやはり不適切。
15秒考えて、私はそのシャッターに向かって、蹴りを入れる。
ガシャァン、という音がして、それで終わった。虚無。何が終わったかは分からない。
「よー、ササラちゃん」
私の姿に気がついたおじさんがタバコ片手に近寄ってくる。
名前は忘れたが、店の常連だ。
「閉店ってマジなの?」貼り紙を指差す私。
「そうみたいだね。店主も突然いなくなったみたいだよ」
「飛んだってこと?」
「さぁ、詳しくは知らね」
そう言いながら、タバコの煙をプハーと吐く常連。その目線は私の露出した太ももを見ている。イライラする。蹴ろうと思ったが、それはそれで逆に喜ばれる可能性がある。
「ササラちゃん、これからは違う箱でやるの?」
「考えて無かった」
目の前のシャッターが閉まったその、先・・・その地下へ繋がる階段の先には、小さなライブハウスがある。
いや、あった。
私はそこでアマチュアのシンガーとして、歌っていた。
それだけの存在。
本気でそれで稼ごうと思っている訳じゃない。いや、本気だったのかもしれないけど。
この店が潰れた今、私は他のライブハウスにまで出向いて歌を歌う気にはなれなかった。
そう思った途端・・・背負っていたエレキがアホみたいに重く感じた。
この華奢な身体で、よくもまぁこんな楽器を担いでいたな、私。
「ササラちゃん、ファン多いからさぁ、続けて欲しいなぁ」
その言葉を無視して、私はその場を後にする。
〔2〕
店の閉店がどれほどのショックなのか、私には分からない。けれど、イライラする。
夢中になって遊んでいたゲーム機を取り上げられた小学生、そんな気分。
私は今、マンションの一室で夕暮れの空を窓から眺めていた。
ここは私の父が私に買い与えた部屋。
煤理ささら。
それが私の名前。
煤理家はここら辺では大きな市立病院を始めとしたグループ企業体を経営していて、簡単に言えばヤバいくらいの金持ち。
そんな煤理家の3兄妹の落ちこぼれが私。長男、エリート。次男エリート。私、落ちこぼれ女。何が悔しいかって、煤理家は私が落ちこぼれという事について、何も考えていない、という事。
ー〝お前は女だから、家を継ぐ必要もない。自由に生きていいんだ〟ー
確か、大学を中退するって話をした時。
パパがそう真剣な眼差しで答えた。自由に生きていい、と。
本当に怒りが込み上げた。期待されていない自分、そして、期待されていない理由が、女だから、という事。
なので、啖呵切って、独立宣言。
ちょっと容姿が良いから、歌でも歌えば成功すると思って、大学中退と同時にギター一本で鳴り物入りの音楽業界へ飛び込んだ。
そして、お察しの通りの今の生活。
私は自分でもダサいと思うけど、パパに買い与えられたこのマンションは手放せずにいる。独立宣言したのに。
いつか成功して、ここを出る。そう思っている。
〔3〕
ぼんやりと過ごしたまま、もうすぐ21時になる。
そろそろ異世界時間が始まる。
目の前のスタンドに飾られたままのエレキ。ぼんやり、それを見ていた。
音楽業界に行きたくて、レーベルに飛び込んでみたら鼻で笑われて、芸能事務所に行ってみたら、音楽じゃなくてグラビアアイドルにならないかと打診され、路上ライブをしたら、変なプロダクションの人間に怪しい仕事のオファーを受けて。
その度、私はそいつらの事を蹴り飛ばしてきた。
唯一、蹴り飛ばさなかったのが、閉店したライブハウスの店主だった。あの男だけは、来るもの拒まず、歌いたきゃ、歌え、のスタンスで歌わせてくれた。いいやつだった。でも、金は無さそうだった。
そんな店が潰れた。
今、そんな事を振り返ったところで、現実は変わりない。
リビングの景色が歪み始める。異世界時間が始まる。
オーロラみたいに、目に映るものはぐにゃりぐにゃりと歪んでいく。
観葉植物はちょっと変わった植物になる。
部屋は土造りのシックな感じになっていく。マンション全体が土づくりの集合住宅になるのだ。窓から見える景色、夜の景色は昼になった。
目の前のギターは、ギターのまま。エレキがアコギになるだけ。
異世界でもある程度の楽器は楽器のまま存在する。嬉しい事だった。
私はこの異世界時間に興味がない。
現実時間でいう、21時から0時まで。たった3時間の謎の時間。
誰もが何もかもを証明しようのない、けれども現実的な3時間。
私は異世界時間になっても、家を出ない。いつも、この時間も、エレキからアコギに変わったそれを掻き鳴らすだけだ。
けれど今日は、歌う気にはなれなかった。
ああ、そういえばあのライブハウスは、異世界時間にはどうなるんだろう?
気になったので、出かけることにした。