Prologue 21時から異世界時間《2》
[3]
スマホを確認する。
20時45分。
異世界時間まで・・・あと15分だ。
ちょっとだけ遊具が豪華な住宅街の公園。
てんとう虫の形をしたコンクリート造りの遊具の内部に俺はいる。
そこにはシーツ、傘、飲み水のペットボトルが1本。準備物はこれだけ。
一番必要なものは、勇気、そして、覚悟。
現実はクソ。
クソクソのクソ。
今日の叱責だけじゃない。
毎日毎日、俺を叱る馬鹿。
パワハラ野郎。辺戸ヶ崎。
見て見ぬ振りをする奴ら。
いじめと同じだ。
そこそこ勉強して、色んなストレス受けながら、就活して、耐え抜いて。
やっと大人になったと思えばこれだ。
輝く現実なんてなくて、大人たちは夢だとか理想をカモにして俺たち社畜を育て上げているにすぎない。
こんな世の中、クソクソのクソ!
なんて、クソ、と20回以上、心の中で叫んでいると、時刻は20時59分になる。
てんとう虫の中から出て、その上に登る。
街を眺める。
ここは高台に位置していて、東の方向はさっきまで働いていた街の景色、ビルが並ぶ景色が見える。
見晴らしがいい。
人はいないけど、ビルは灯りがついていて、夜景が綺麗だ。
・・・さぁ、時間だ。
遠くで、鐘の音が鳴る。
異世界時間を知らせる、防災無線の声が聞こえる。
ー〝異世界時間になります、異世界時間になります〟ー
20時59分、59秒、コンマ、99。
そこと、21時00分の境目。
その瞬間の出来事は、
永遠のようにも思える光景。
景色が歪み始める。
森羅万象、目に映るもの、いや、目に映らないものさえも、その輪郭がぶれ始める。
ぐにゃりと曲がり、ゆらゆらと揺れていく。
そして、オーロラのように多彩な色を映し出す。
歪んでいる景色。
ぼやけた輪郭が正しい形に戻ろうとする時。
輪郭を取り戻す時。
全てが変換されていく。
車は馬に。
ビルは塔に。
カラスや猫は魔物に。
家は洋風の土壁の家に様変わり。
線路は大きく深い谷になる。
地下鉄はダンジョン。
俺のいる公園は密林の迷路に。
目の前のてんとう虫の遊具はカメの形をした岩石になった。
シーツは黒いローブに。
傘は剣になる。
スマホは懐中時計に。
お金はお金のまま、デザインが変わる。
変換されていく。
景色の歪みが戻っていく。
21時の空は、突如、明るくなる。
ヘリコプターは怪鳥に。
新幹線は人を喰らう大蛇になる。
電気の概念は無くなる。
都合良く、火の灯りが用意される。
防災無線の声は、いつの間にか変な波長を放って、消えていた。
電信柱は木々になる。
この一連の変化を〝異世界変換〟と言う。
そんな事象の名前はどうでもいいけど。
俺はこの景色が好きだ。
シンプルに綺麗だから。
そして、クソな現実が塗り替えられるからだ。
変換された懐中時計を確認する。
短い針が9を示す。
21時から0時までの3時間。
ここは、間違いなく、現実世界であり、異世界だ。
異世界時間の始まりだ。
21時からの、アナザータイム。
[4]
シーツを変換させた、黒いローブを身に纏う。
顔を隠す。
俺のスーツ姿は兵士のような格好に変換されている。現実時間でも、異世界時間でも、ソルジャーとして扱われる事に苦笑していた。
身体を包みそして顔を念入りに隠す。
兵士から暗殺者に様変わりである。
正体をバラさずに、辺戸ヶ崎を撃つ!
失敗のリスクもある。顔は隠す。傘を用意したのは、剣を手にする為だ。それを腰に携えて密林を抜ける。ペットボトルは木の入れ物に入った飲み水になった。
現実とその様相は変わるが、物理的な感覚は変わらない。
密林の迷路に思えても公園ぐらいの大きさに変わり無い。位置関係も現実世界の通りだ。
この密林・・・公園を出て、東へ350歩。
そして、北へ620歩。
ここだ。俺は少し離れた場所から、その黄色い壁の家を睨みつける。
煙突から呑気に煙が出ている。甘い香りがした。パンでも作っているのだろうか。
ここが辺戸ヶ崎の自宅であることは、会社の住所録から手に入れているし、この日の為に事実確認を何度も行った。呑気な黄色の壁の家。ここに間違いなく、あのパワハラ野郎が住んでいる。
俺の胃を痛める、最低人間。
非常に悔しいのは、辺戸ヶ崎に家族がいると言う事だ。それだけが、少しだけ剣を握る力を弱めるのかもしれない。
でも、やる。
やってやる。扉をノックし、出てきたところを、突く。それだけの事。
・・・この異世界時間には重要なルールがある。
それは、異世界時間までに、死んでしまった者は現実時間でも死ぬ、と言うこと。
あえて、この言い方をしているのには、訳がある。
異世界時間に死ななかった者。
死ななければ、異世界時間前の身体の状態に戻る、というルールがあるのだ。
つまり、どんな致命傷を受けて虫の息になったとしても、0時を過ぎれば、生き返る、と言っても良い。
なので、俺は、辺戸ヶ崎を何が何でも、殺さなければならないのだ。
奇襲の一撃が失敗すれば、逃げられるかもしれない。そうなれば作戦は失敗に終わる。だからこそ、顔を隠してはいる。ノーリスクで暗殺だ。
周りには誰もいない。静かな住宅街。
今は西洋風の街並みが広がる。
レンガの道路。街が賑わう前に、暗殺を完了させる。
深呼吸をする。
大丈夫。失敗したとしても、バレることはない。
俺はついに、辺戸ヶ崎の家の扉をノックした。
ドンドン、と音を立て、しばらくすると、はぁい、と間抜けな聞き覚えのある声が扉を開く。
開いた瞬間、俺は、その姿を確認する。
間違いなく、辺戸ヶ崎だ。村人Aみたいな格好をしてやがる。呑気な奴め。
俺は何も言わず、その剣を勢いよく(本当はちょっと躊躇いがあったが)辺戸ヶ崎向けて突いた。
カキン。
想定外の感覚。剣の突先に、半透明の六角形の防御壁。魔法による防御!?
この世界で魔法を使えるのは、20歳以下の人間だけだ。
この瞬間。
この一撃をミスった瞬間。俺は作戦の失敗を悟った。直ぐ様逃げる為に、振り返って走り出す。
「待てやオラァッ!」
怒鳴り声。異世界でも、足がすくんだ。聞き慣れているはずの声が、恐ろしい。耳にこびりついているのだ。
その手が俺のローブを引っ張る。顔を見られてはならない。ローブの途中を剣できる。引っ張っていた反動で転ぶ辺戸ヶ崎。
「逃げるなァッ!」
俺は声でバレてはならないから、喋らない。
辺戸ヶ崎の怒号が静かな街中に叫び、ギャラリーが現れ始める。
それらのせいで、逃げ道が塞がれた。・・・いつの間にか、周囲には人がいる。
俺と辺戸ヶ崎は対峙していた。
ローブを被っているから、一応は姿はバレていないはずだ。背格好は俺そのものかもしれないけど、確定はできない。
街の人間がざわついている。「おい、決闘か?」「こりゃあ見ものだぜ」「死んだら終わりだぞ」「そりゃあ現実でも同じだ」「違いねぇ」なんてモブ達の声。
「喋らねえって事は、身バレを恐れてる奴か・・・」
辺戸ヶ崎は小型の斧を持っていた。コイツの武器か。身長も相まってドワーフ族と言った感じだ。
「俺ァよ、自慢じゃねえが恨み買ってる自信はあるからよ・・・その為に発現してるんだよ。異世界技能をな」
俺は声を出しそうになるが、抑えた。
異世界技能。簡単に言えば、スキルだ。
辺戸ヶ崎はそれを習得しているというのか!?
各個人が備えていて、いつか発現するという力。全く持って、異世界っぽい要素だ。「アナタレ持ちかよ」「あいつ終わったな」「初めてみたわタレント持ち」「凄え」とモブ。
俺は無言を貫き、冷静に分析する。
周りの観衆を掻い潜り、逃げる事は難しそうだ。ならばやはり、ここで辺戸ヶ崎を殺さなければならない。
ローブで顔を覆っているが、いつ、顔バレするか分からない。その状態で現実に戻ったら、きっとパワハラは加速するだろう。
顔バレせず、戦って、勝つ。
これしかない。
俺は剣を構えた。
喋らずに。
周りが盛り上がる。決闘だ!決闘だ!と。
「恨みっこ無しだぜ?顔を隠した卑怯者さんよ!」
やるしかない。そうだ。
もう。嫌なんだよ。
怒られて、仕事も進まない。そんな毎日。
辛い、辛い、仕事の日々。
俺の現実をよくする為に、やらなきゃならない。
右足に力を込めて、動き出す。