Prologue 21時から異世界時間《1》
【Prologue 全7話】
これは世界観の説明でしかない。
[1]
鳴り響く怒号。
心臓を掴まれる感覚。後頭部がじわじわする感覚。
「オイっ!アホレイジっ!いつになったら見積出来んだよ!ドアホがよ!」
パーマのかかった中別の髪型。紫色のセンスのないネクタイ。社内の平均以下の身長。嫌味ったらしい顔。釣り上がる眉毛。
辺戸ヶ崎が俺を叱責すると、社内が静まり返る。
誰も助けちゃくれない。
これが俗に言うパワハラというやつだろうと、誰も助けちゃくれない。助けようがないのは分かるけど、まぁまぁ抑えて、的なこと、誰も言えないのかよ。
いつになったら見積もりができる?
そりゃあ、仕入れ先が見積をくれたら、だ。
くれなきゃ、客には出せない。
仕入れ先からの見積を元に、俺たちは客への見積を出している。
そんなのもわからんのか、このパワハラ上司め!
何が悔しいかって・・・。
そんな気持ち悪いパワハラ野郎に逆らえない自分自身の弱さ。
情けねぇ・・・。
ただ、優しく、弁解するように言い返すしかない。
「いや・・・あの・・・ですから・・・辺戸ヶ崎課長にもメールいてれるとは思いますけど・・・その・・・仕入れ先からの回答がまだでして・・・はい」
弁明する俺。
課長への恐怖と、静まり返る社内。
俺の発言に注目していることに、緊張し、声が震える。
「レイジィっ!てめえよ!催促の電話ぐらい入れたのか?あ?」
「すっ、すいません」
「そんなんだからダメなんだよテメェはよぉ!」
「はっ、はい・・・」
「今すぐ電話しろっ!」
「は、はいっ・・・」
萎縮しながら、自席に座る。
深呼吸をして、取引先に電話をかけてみる。向かいの席の事務の女の子は、モニタ越しの俺の視線に気が付いて、目線を逸らした。
『はい。アルファポリ物産ですが』
「もしもし、なろう物産営業部の天成零士と申しますが・・・」
担当者に代わってもらい見積の催促をする。
催促される側の俺は、催促するのが不得意だ。
担当者は、出来るだけ急ぐ、と言いながらも、言い訳のようにそれを繰り返した。
『ええ。急ぎますけど、まぁ、当社もね。19時までには帰らないと行けませんから』
そんな事は分かっている。
ある日を境に出来た法律。それがいつなのかは、分からない。
全ての労働者は19時に完全に終業して、帰宅しなければならない。
これは法律なのである。
公共交通機関も止まるのだ。
なんでこんな法律が出来たのか?
21時から、異世界になるからだ。
21時から、この世界は異世界になる。
21時から0時まで。
異世界になるのだ。
昔の俺に言っても、信じないと思うけど。
これは、現実であり、非現実なことだ。
もうずっと前からそうだったかのように、俺たちは異世界のルールも脳みそに刻まれているし、そうやって生活が出来ている。
21時から異世界時間。
そして、0時になれば、寝床に戻っている。
現実の世界に戻っている。これが、知らぬ間に俺たちの世界常識になっていること。
そして俺は・・・。
今日こそ。
着々と進めていた計画を実行しようと思っていた。
今日。
21時からの異世界時間で。
パワハラクソ上司。
辺戸ヶ崎をブッ殺してやる。
【Prologue 21時から異世界時間】
[2]
18時30分に社内に響く完全終業のチャイム。
皆、機械的な動作で仕事を辞める。
パソコンは少しの余地を残して強制的にシャットダウン。皆が帰り支度を始めた。
辺戸ヶ崎が離れた席から俺に語りかける。声、デケェよ。
「おい。レイジ。週明けに、途中でいいから見積を俺に見せろよ」
今日は金曜日だ。月曜日の話をすんなよ!
「はい・・・」
結局この日は、見積は出せなかった。
憂鬱な気分を抱えたまま土日を消費するのは精神的に良くない。
でも、社会人になって3年目、大体こんな感じだ。1日で、1週間で仕事が完結する事なんて、稀だ。
まぁ、そんな事はどうでもいいか。
辺戸ヶ崎よ。
お前はもうすぐ終わるのだ。
月曜日、お前は出社していないだろう・・・。
お前は、数時間後・・・異世界時間で死ぬのだから。
支度を済ませて、オフィスを出る。ビルのエレベーターを待つ。
この時間帯は大混雑だ。15階建のビルなのにエレベーターは2つしかない。バカかよここの建物造ったやつは。やっとの思いで乗る。
ぎゅうぎゅう詰めのエレベーターから解放されると、隣にいた女に声をかけられる。駅までは歩く方向が同じなので、仕方なく一緒に歩く。
俺の向かいの席にいる事務の女だ。
「天成さん、今日も辺戸ヶ崎さんにこっ酷くやられてましたね・・・」半笑いで問いかける彼女。
性格が悪いのか、それとも彼女なりの気遣いなのか、そこを見極めるまでの仲ではない。
「いや、催促しない俺も俺だし・・・」
などと自己反省を述べておくが、失態と叱責は別の話だ。
あのパワハラクソ上司め・・・。
「天成さんは、アナザーとかどうしてるんですか?」
返答に困ったのか、彼女は話題を変えた。
「俺はそこらへんをプラプラしてる。高橋さんは?」
「私ですか?私はもちろん自宅待機ですよ」
「そうだよね・・・女の子は特にそうだ」
「あっ、でも、最近は男の人でも危ないみたいですよ」
地下鉄駅に向けて、オフィス街を進んでいく。
フランチャイズ店の看板が消灯していく。
ビルは防犯上の理由で灯りはついているが、人がいないと、何故か暗く感じる。
地下鉄駅の看板が見えてきた。
「男でも危ない?」
「知らないんですか?憂鬱連合」
「へ?何それ?」
「あとは、自分で調べてください。それじゃあ」
そう言って彼女はウサギのように跳ねながら、去っていった。
俺はそれを見届けるようにして、踵を返す。人混み。帰宅を急ぐ人の流れに逆らう。
今日は家には帰らない。
作戦決行の為に・・・。
向かうは公園。
辺戸ヶ崎の住む家の近く。