もしヒトラーが、ビスマルクかアデナウアーだったら
ヒトラーが独裁権力を握った時代。 ヒトラーではなく、ビスマルクやアデナウアーのような人物がドイツのトップだったらという歴史のIF です。
4年前に セバスチャン・ハフナー氏の著作「ヒトラーとは何か 」を読んだ際の感想を、フェイスブックに書いた文章です。
2018-107 ヒトラーは、優劣的な人種思想を持ち、レーベンスラウム(生存圏)を、ヨーロッパ・ソ連にまで及ぼす大ドイツあるいは、大ゲルマニア帝国を、おのれの寿命のある内に実現させようと夢想した。
第二次世界大戦後、世界は、米ソの二極化構造となり、それに対抗するため、EUに至るヨーロッパ統合の理念が実現する方向に向かったことを思うと、あの時代、その国のある場所から言っても、人口から言っても、ヨーロッパの中枢になる国をひとつ選ぶとしたら、おそらくは最も適しているであろうドイツが主導するヨーロッパ統合の動きというのは、間違ってはいなかったのではないか。
ヒトラーのような、偏見と独断に満ちた思想を持ち、単純な善悪二元論で大衆を煽動するような人物ではなく、例えばビスマルクが、あるいは、西ドイツの初代首相となったアデナウアーが、あの時代のドイツのトップとなっていたら。
第二次世界大戦は起こっていなかったであろう。そして日本も、満洲国の事実上の承認のみを条件に、日中戦争を停止し、それまでの中国占領地域から撤兵していたら。
大東亜戦争(太平洋戦争)も起こってはいなかったであろう。
1945年以降の世界は、米・ソ・ヨーロッパ・日本の四極化構造となっていたのではないか。
ソ連の覇権は東ヨーロッパには及ばず、マルクス・レーニン思想に基づく国家は、ソ連のみの一国完結。満洲国は存続し、中華人民共和国は誕生しない。
そして、日本が大東亜戦争開戦の大義としたアジアの解放を、その後の歴史で、平和裡に実現させていたら。
現実にあった世界史より、幸福な歴史となっていた、と断言はできないかもしれない。
しかし、現実の歴史よりも、戦争による犠牲者、政治的理由、思想的理由による犠牲者がはるかに少数であった歴史となっていた、ということは、言い切ってもよいのではないだろうか。