第1話 きっかけ
はじめての投稿となります。よろしくお願いします!
「本条覚さん、あなたはタイムトラベル計画の被験者に選ばれました。中学3年生として1年間過ごしてみませんか?」
俺はいつものように生きているのか死んでいるのか分からないような1日を過ごしていた。昼過ぎにズキズキと痛む頭を抱えながら起床した。特にやるべきことがあるわけではないが、「何かしなければ」という焦りにも似た感情に突き動かされて外に出た。公園に寄って、パチンコで負けて、居酒屋で安い酒を煽って、ただただ眠るためだけに家に帰っている途中だった。
街灯に照らされた人影がすーっと俺の方に向かって伸びていた。前方にいる男は俺の顔を確かめると、こちらに向かって歩いてきた。目の前に立ち止まったその男は、俺と同じくらいの年齢に見えた。身長はやや低めで、整った顔立ちに優しい笑みを浮かべていた。一見すると人懐こい印象を受けるが、俺には何を考えているのか分からない不気味な奴に思えた。
「本条覚さんですね。」
「はい、どこかでお会いしましたか?」
「いえ、あなたとこうして言葉を交わすのは初めてになります。株式会社タイムマシン研究所 被験者支援課の日下部悠真と申します。今後ともよろしくお願いいたします。」
「はあ。」
タイムマシン研究所? こいつは何言っているんだ。変な奴に関わるとろくな目に遭いかねない。「先を急ぐので」と言いかけたとき、日下部は俺を無視して言葉を続けた。
「本条覚さん、あなたは中学校の教師をされていましたね。しかし、約2年前のある事件をきっかけに勤め先の中学校を退職。その後、無職のままダラダラとした生活を続けている。今日は昼過ぎに起床したかと思えば、公園に寄って、パチンコで負けて、居酒屋で安酒ですか。」
あの事件のことに触れられて、ちくりと心が痛む。それに、こいつは俺のストーカーか?
「あんた、一体何者なんだ?」
「タイムマシン研究所 被験者支援課の日下部です。私たちは、あなたのような人物を探していたんです。本条さんは一人っ子、両親・祖父母ともに既に他界されていますよね。結婚どころか彼女もいない。そして、あの事件以降、人と会うことが怖くなったあなたはこの2年間知り合いとは誰とも会っていないですよね。今後、連絡を取り合うようなこともない。何よりこのまま生きていくのは辛い、いつ死んだって構わない、そう考えているのではないですか?」
図星だった。へらへらと笑いながら、俺の傷口を抉る日下部に対して何か言い返したかったが、何も言葉は出てこなかった。俺が暫く無言でいると、日下部は肯定と捉えたようだ。
「やはり、そうでしたか。」
日下部が一瞬悲し気な顔をした気がした。しかし、すぐにへらへらとした笑みを取り戻し、わざとらしく咳払いした。そして、冒頭の発言。
「本条覚さん、あなたはタイムトラベル計画の被験者に選ばれました。中学3年生として1年間過ごしてみませんか?」
頭がフリーズした。たっぷり10秒間は固まっていた。
「タイムトラベル計画? 中学3年生? 何を言っているんだ?」
「悪い話ではないと思いますよ。タイムマシンを使って12年前に戻り、中学3年生として1年間を過ごしてもらう。それだけの話です。この実験に協力してもらえれば、本条さんの抱える500万円の借金も我々が面倒を見るつもりです。それとも借金を返す当てでもあるんですか?」
「借金のことまで...」
「当たり前じゃないですか。本条さんのことは、よくよく調べさせてもらいました。」
日下部は、俺を馬鹿にして純粋に楽しんでいるような、そんな顔をしていた。しかし、何故だか嫌な気持ちはしなかった。
「今日は本条さんに自己紹介するのが目的でしたので、この辺で失礼します。タイムトラベル計画の詳細については明日ご説明します。13時に本条さんのお宅に伺いますので、きちんと起きていてくださいね。できれば少しは部屋の掃除もしておいてください。」
日下部は一方的にそう告げると、俺の返事も待たず踵を返してしまった。あまりに颯爽とした振る舞いだったため、歩いていくのをただ見つめることしかできなかった。日下部が見えなくなってから俺は再び歩き始めた。俺はこのタイムトラベル計画に協力することになるだろうなと何となく分かっていた。
玄関のチャイムが鳴った。カーテンの隙間からは太陽の光が漏れていた。枕元にあったスマホを手に取ると画面には13:00と表示されていた。昨日あれほど衝撃的な提案を受けながら、今日も今日とてこんな時間まで眠っていた自分に嫌気が差す。重たい身体を無理やり起こして玄関に向かう。ドアの覗き穴を見ると、そこにはスーツ姿の日下部が笑みを浮かべて立っていた。
「5分ほど待ってもらえますか?」
ドアは開けずに声をかける。「はい。それにしても今起きたばかりですか?」などと嫌味が返ってくるが、俺は聞こえないふりをして、顔を洗い、歯を磨き、最低限身なりを整えた。そして、玄関のドアを開けて日下部を招き入れた。
「ここが本条さんのお住まいですか。思っていたよりもキレイですね。キレイというよりも物がほとんどないと言った方が正確ですが。早速ですが、タイムトラベル計画についてご説明いたしますね。」
余計な一言を付けないと話ができないのかと思いつつ、日下部の説明を聞いた。要約するとこういうことらしい。
株式会社タイムマシン研究所では5年ほど前にタイムマシンの開発に成功したらしい。しかし、このタイムマシンは不完全なもので5つの制約がかかっている。
①未来に行くことはできず、過去にしか行くことはできない
②遡った時間分だけ身体も子どもに戻ってしまう
③現在に戻ってきたときには過去で過ごした分だけ時間が進んでいる
④タイムマシンを使用して過去に行き、再び使用して現在に戻るまでには最低でも1年間のインターバルが必要になる
⑤タイムマシンで過去を現在を行き来するためには5日かかる
現在、タイムマシン研究所ではタイムマシンの改善のために実験データを集めているようだ。また、タイムマシンの活用方法の1つとして、何かしらのトラウマなど心に闇を抱えた人が更生するためのきっかけとして再び学生生活を送ってみる更生プロジェクトが検討されている。タイムマシン研究所の社長は、夕日中学・高校の理事長も務めているため、そこを利用するわけだ。
1年間いなくなったとしても誰も気に留めない人物を探していたところ、俺に白羽の矢が立った。そして詳しく身辺調査をしてみると、あの事件をきっかけに俺がトラウマを抱えて人とコミュニケーションを取れなくなっていったことを知り、更生プロジェクトにぴったりだと思ったようだ。タイムトラベル計画の実験に協力すれば、借金を全て肩代わりしてくれるだけでなく、過去での生活費も面倒を見てくれるとのことだ。しかも、過去での生活態度次第では新しい就職先まで紹介してくれるらしい。
「以上がタイムトラベル計画の説明です。どうですか? 今のあなたには破格の条件だと思いますよ。」
日下部はそう言いつつ、テーブルのうえに実験協力契約書と朱肉を差し出してきた。俺がタイムトラベル計画に参加すると疑っていないようだ。昨日まで何の希望なくただ生きているだけ、いつ死んだって構わないと思っていた俺にとってはまさに破格の条件だった。日下部の思い通りになっているようで少し癪だったが、返事は決まっていた。
「やってやるよ!」
そう宣言して、俺はタイムトラベル計画の実験協力契約書に署名・押印した。