第一章 ~ 私の仕事? ~ (4)
疲れているとは大変ですな。
でも、大丈夫ですぞ。
4
まだ朝のHRが始まる前なのに、まるでフルマラソンを完走したような疲労感が全身に居座り、机に突っ伏してしまう。
それもこれも、すべてあのウサギのせいである。朝からあんな騒ぎに付き合わされなければ、これほど疲れることはなかった。
自然と眉間にシワが寄り、苛立ちから机を指先で忙しなく突いてしまう。
疲れや苛立ちに浸食されながらも、今降りかかっていることを考えてみると、あのウサギは現実なのか、と疑ってしまう。
「ーーそういえば……」
ふと上体を起こし、教室を見渡した。
教室は、登校した生徒で賑わっている。そこに、昨日感じていた奇妙な視線を感じることはなかった。
ウサギは言っていた。自分がじっと見ていたのだ、と。
あいつは姿を現したから、もう睨む必要もなく、視線もなくなったのかと疑ってしまう。
見えない縄が解け、開放感に浸れる一方、ウサギに対する気味悪さに、額を抱えてしまう。
教室のざわめきに、忘れていた睡魔が起こされそうとしていたとき、ふと視線が一点に止まる。
教室の中央に位置するところに、ポツンと空間を開けて机が並べられていた。
ほかの机は綺麗に並べられているのに、そこの一席だけ不自然に抜けていたのである。
「あそこって、確か……」
「おはよ」
頬杖を突いて首を傾げていると、優太が眠そうに口元を手で隠し、あくびをこらえながら声をかけてきた。
「またゲームで寝てないのかよ。好きだな、お前」
「バ~カ、違うよ。昨日はバイトをずっと探していたんだよ。遊んでなんかいないし」
「でも、スマホをイジってるのは変わらないだろ?」
前の席に座った優太に、皮肉っぽく茶化すと、平然と手を振って否定した。
そこでこらえられなくなったあくびをし、口元を手で隠した。
こいつには多少の嫌味なら通じないらしい。
「あ、そうだ。なんであそこの席、ないんだ?」
「ーーん? 席ってどこが?」
眠そうに首を擦る優太に聞くと、優太は机が抜かれたところをあくびをしながら眺めた。
「あそこって、風間の席だろ。机がないけど、なんかあったの?」
風間とは、クラスの男子生徒。正直、親近感を持てる人物ではなく、どことなく敬遠をしていた人物であった。
それでも、机がなくなっていると、気になってしまう。
優太はしばらく空間を眺めていた。何か考えているのか、動きを止め、唐突に顎を上げると、顔をこちらに向けた。
呆然とした様子の優太の目と合い、首を傾げてしまう。
「何、言っているんだ? あそこって初めから机なんてなかったじゃん」
「ーーえっ? だって風間の席じゃーー」
「いや、だから誰だよ、それ?」
ーーえっ? と問い返すと、優太は同じように首を傾げる。
「何、言ってんだよ。お前らしくないな。それこそ、疲れてるのか?」
笑いながら心配する優太に、言葉を失ってしまう。
そんなことないだろ、と反論することができない。優太が嘘をついたり、惚けている様子はない。
元からなかった? それにしては不自然でしかないのだけれど。
「いや、でもやっぱ、風間の席だろ、あそこってーー」
「何、必死になってるんだよ?」
引き下がらずにいると、横から淡々とした声が入ってくる。
明である。
優太と口論していると勘違いしたのか、明は訝しげに腕を組み、通路に仁王立ちしていた。
「おぉ、おはよ。別にそんなんじゃないよ。なんだっけ、風間? って奴がいたって言うんだよ、こいつ」
優太は困り顔で、風間のいたはずの席を顎でクイッと指すと、明もそちらに振り向く。
明ならば、理解してくれると願っていると、しばらく眺めたあと、軽く首を傾げる。
「いたっけ、そんな奴?」
「ーーだろ。やっぱ、変なんだって、こいつ」
淡い期待はすぐに崩れてしまい、二人は不思議そうに苦笑していた。
返す言葉が見つからず、唇を強く噛むことしかできない。
悔しさだけが嘲笑うように渦巻いていた。
二人だけではない。教室にいた生徒の誰もが風間の席に意識を傾ける者の姿がなかった。
辺りを見渡しても、初めから何もなかったみたいに接していた。あれだけ違和感があるのに。
「んなことよりさ」
そのまま深い暗闇に堕ちていきそうななか、優太が話題の向きを変えた。
「なんかさ、変わったことない? 最近、暇でさ」
「なんだよ、もうスマホのアプリ飽きたのかよ」
「いやぁ、あれは課金しないと難しくてさ」
抱いてしまった違和感は、ただの勘違いでしかないのか、二人はすでに意識が別の方向に行ってしまっている。
ここは下手に騒がず、二人に合わせるべきなのか、と悩んでしまう。
優太の言う変わったこと。
そんなことは…… 都合よく大いにある。そう、ウサギである。あれほどの変わったことはない。
ただ、口を噤んでしまう。
あんなバカげたことを話せるわけもないし、信じてもらえるわけでもない出来事であるし、難しいことである。
他愛ない話で明と優太が盛り上がっているなかで一人、イスに深く凭れて腕を組んでいた。
深く唸りながら、難しい表情を緩めることはなかった。
ふざけたダンスをするウサギが脳裏から消えてくれなかったので。
あれ?
私を想像しているのですか?
なるほど、なるほど。