第5章 マルスのお姉ちゃんでいたい
玲子は伯父と小母の心の内がわからないまま、レナに事情を聞こうとします。事情をしった玲子は・・・
マルス:プレスと海軍の戦闘用アンドロイド。大好きな玲子と引き離されようとしている。
玲子:マルスのマスターでお姉ちゃん。マルスのことをかわいがっている。
トリオ:敷島の策で玲子に与えられた新しい男の子のアンドロイド。
敷島:玲子の母方の伯父、マルスの開発者の一人。
上原:玲子の母親がわりの女性。マルスの開発者の一人。
レナ:ダグラス社が開発した海軍のアンドロイド。今は玲子と同じ高等学校に通っている。
川崎:プレスト海軍の副司令官。ロボット部隊の運用総責任者でもある。
朝食のとき、もやもやとした思いを抱きながらも、玲子はマルスのことを敷島と上原に聞けないでいた。
「玲子、トリオのことは気に入ったようだね」と敷島に聞かれ、「ええ」と答えるのが精一杯だった。正直、伯父である敷島に対しては苦手意識がある。なにを考えているのか解らず、とりつきにくいのだ。結局、朝食の間、差し障りの無い話をして終わった。もちろん、学校にきても、胸のもやもやは解消はしない。玲子はふと思いついてレナに聞くことにした。
昼休み、昼食もとらず、玲子はレナを人影がまばらな、まだ暑い日差しが照りつける屋上に連れ出した。
「お昼食べないの?」とレナは聞いてくる。レナは食事の必要は無いが、レナとしては玲子のことが気にかかる。
「そんなことより大事なこと」と、玲子は譲らなかった。
あたりに人影が無いことを確認して
「ねえ、海軍は私からマルスを引き離そうとしているの?」
「まさか、そんなことしないわよ」とレナは即答した。玲子は重ねて、
「軍用のロボットを民間人に任せられないってことはないの?」
「玲子は別格よ。それにマルスはこれからたくさん配備される同型のアンドロイドの1人でしかないの。マルス1人くらい、玲子に預けても支障は無いわ」
玲子はその話を聞くとますます解らなくなった。
「そうかあ」
見かねたレナは、すでに知っていることを話そうと決心した。
「これは本来私の口から言うべきことではないけれど、敷島博士がマルスを玲子から引き離そうとしているの」
「伯父さんが?」
「そう、敷島博士はね、かねがねマルスが玲子に負担を与えているって不満を持っていたの。だから、昨日の朝、マルスを引き取ってほしいと、ダグラス大佐に言ってきたのよ。たぶん、玲子の所にきたアンドロイドは敷島博士がマルスの代わりにしようと連れてきたのじゃないかしら」
やっと玲子は伯父の考えを理解した。しかし、受け入れることはできない。
「そんなことを・・・ ほんとにもう、伯父さんたら・・・」
「玲子としてはどうなの? ほんとにマルスのことが負担なら、軍はマルスをダグラス大佐に預けるつもりよ。玲子は未成年だし、無理はさせられない。リヨン大統領の護衛任務とか、高野長官のお嬢さんのことでは、無理させちゃったからね」
玲子は首を振った。
「あんなこと、大したことじゃない。私はマルスと一緒に過ごせたらそれでいいの。負担とかそんなものはないわ」
「それなら、そうと敷島博士に言ったらどうかしら。敷島博士が納得したら、収まると思うけど」
「そうね・・・ そうかもしれない」
レナは玲子の手をひくと
「さあ、玲子もお昼を食べないと体にわるいよ」
しかし、机に戻った玲子はサンドイッチをかじりはじめたものの、さして味わいもせず、コーヒーで胃に流し込んでしまった。敷島と対峙するというのは気が重かったのだ。
玲子は部活の練習を早めにあがると、家路につく。道すがら、敷島にどう話したらいいのか迷っていた。結局、さしたる思いつきもなく、家についてしまっていた。
「ただいま」
「お帰りなさい、お嬢様」とロビーが出迎える。
「今日は少し早いですね」
「早めにあがったの。伯父さんと小母さんはまだよね」
「ええ、先ほど、まもなく帰ると連絡がありました」
ロビーは玲子が浮かない顔をしているのに気づいたのか、
「どうかされましたか?」と言った。
「何でもないの」
部屋着に着替えて台所にいくと、トリオがマルスのエプロンをつけて、夕食の支度をしていた。マルスより幾分か小柄なトリオが着けると、少し大きめである。
「トリオが夕食の支度をしたいというので、とりあえずマルスのエプロンを貸しました」
トリオは家庭用だけあって、家事は手慣れたものだった。くるくると動き回りながらスムーズに準備を進めていく。玲子が手伝うまでもなかった。なにもかもが、マルスの代わりにトリオが来ることが決まっているように見え、玲子の胸はぎゅっと痛む。そんな玲子の気持ちを察したかのように、ロビーは、
「お嬢様、今日はマルスのことを敷島博士に話されるのですね」と言った。
「えっ?」
「上原博士も私も、お嬢様の気持ちが一番大事だと思っています。お嬢様がマルスをどうしたいか、敷島博士にはっきりとおっしゃってください。敷島博士はお嬢様の意志を無視することはしないでしょう」
「ロビーは知ってたの?」
その問いにロビーは直接には答えなかった。
「上原博士はお嬢様に弟が1人増えてもいいだろうともおっしゃってます。マルスをお嬢様のそばに残したからと言って、トリオを返品するようなこともしません。だから心配せずに本心をおっしゃってください」
「知らないのは私だけだったのね」
「ずいぶんトリオと馴染んでおられたので、我々もお嬢様の気持ちを推し量れないでいました。お嬢様がレナに本心を話されたので、やっと安心できたのです」
玲子はやや恨めしそうに、
「もう、あなたたちに話すと、みんな仲間に筒抜けなのね」とは言ったものの、いやではない。それだけ玲子のことを皆が思っていることを理解していたからだ。
「私たちはお嬢様は好きなのです。現時点で状況を飲み込めていないのは、敷島博士だけです。上原博士もレナからの報告で、このことを存じています。上原博士も気にされていましたので」
敷島と上原が帰ってきたので、そのまま夕食となった。トリオとロビーがテーブルのセッティングしているのをみて、敷島は満足感を覚えていた。その瞬間までは・・・
敷島と上原が席に着き、玲子も座った。トリオはロビーの手伝いでパタパタと配膳をしている。
「伯父さん、マルスのことで話があるんだけど」
「何だ? 心配はいらないぞ、マルスは軍で引き取ってくれるからな」
玲子は一呼吸おいていった。
「私はマルスと一緒にいたいの。だから、マルスを軍に返さないで」
敷島には意外な展開だった。
「いや、玲子、それはだめだ」
「なぜだめなの? 理由を聞かせて」
マルスのこととなると玲子は一歩も引かなかった。
「マルスは玲子に負担をかけすぎる。リヨン大統領の時とか、高野長官の娘の時なんかひどかったじゃないか」
「あれぐらいなに? 大したことじゃないわ。私がマルスにしてもらっていることに比べたら」
「マルスが玲子になにをしたというのだね」
「マルスは私に生きていたいと思わせてくれた。私はマルスなしではここまで変われなかったわ。だから、私からマルスを取り上げないで」
敷島のいらだちは傍目でもわかるほどだった。
「マルスの代わりがトリオではいけないのか」
「トリオはトリオ、マルスはマルスよ。マルスは私のためにいろいろしてくれたわ。だから私もマルスのために、マルスのお姉ちゃんでいたいの」
いらだつ敷島に対して、玲子も一歩も引かなかった。玲子の強情なところは敷島の知るところでもある。いっぺんに、敷島の心が平静を取り戻す。
「そうか・・・」
「いままでどおり、マルスを家においてくれない?」
「わかった、今までどおり、マルスをこの家においておこう」
「ありがとう。それで、トリオなんだけど」
「トリオもおいておこう。マルスが軍務でいないとき、玲子が寂しくないようにな」
「リース料は・・・」
「お金のことは玲子が心配しなくていい。ロボット1人のリース料くらい、私の収入の範囲でなんとでもなる」
「ありがとう」
「しかし、ロボット1人で、玲子がここまで変わるなら、早いとこアンドロイドをリースすべきだったな。それだけが心残りだよ」
玲子はにっこりと笑いながら言った。
「伯父さん、まだ、解ってない。マルスは特別なの。ソレイユとも違うしトリオとも違う。マルスは私にとってほんとに特別なのよ。マルスが私にとって特別なんだって言うことだけは解ってちょうだい」
上原はそれを聞くと笑みを浮かべたが、敷島は解らないと言ったふうで首を振った。
「わからんなあ。なにがちがうんだ」
「いろいろあるの。マルスにはできて、今のトリオにはできないこと」
ぱんと上原は両手を打つ。
「さあ、話はそこまで、ご飯にしましょう。さめちゃうわ」
話の間、準備の手が止まっていたトリオとロビーは3人の前に料理をならべ、3人は食べ始めた。トリオは玲子の隣の席にちょこんと座る。上原はその様子をみて、
「トリオのいすもいるわね。明日、私が買ってきましょう」
「ほんとに?」と玲子がうれしそうに返す。
「食卓は賑やかな方がいいものね。この際、ロビーのいすも買おうかしら」
あわてて、ロビーが口を挟む。
「私は配膳の仕事がありますので、遠慮します」
「そう?」
「はい」
上原は思い出したように、
「ああ、そうそう、玲子。マルスが家にいるときは、トリオは私の所で寝かせるから」
「ええ、そう?」
「あなたのベッドに3人は無理でしょう。マルスがいないときはトリオと一緒に寝なさい。トリオはマルスとメンタルが違うから、大丈夫よ」
「じゃあ、そうするわ」と玲子は納得した。1人理解できなかったのは敷島である。
「上原君、トリオとマルスはなにが違うんだ」と敷島は質問した。
「簡単に言うと、マルスは玲子に深く依存しているけど、トリオにはそんなこだわりはない。そういうことです」
「ほお」と半ばよくわからない風であったが、ロボットの思考プログラムの専門家である上原の言葉を一応は飲み込んだ。しかし理解とはほど遠かった。
翌日、上原は軍の嘱託と言う立場で副司令の川崎に面会を申しいれた。オフィスに迎え入れ、川崎は上原にいすを勧める。
「マルスのことですかね」と川崎が聞くと
「その通りです」と上原が応じる。
「で、どうなるのですか?」と川崎は身を乗り出す。
「マルスのことは引き続き玲子が面倒を見ます。昨夜、敷島も玲子に説得されてそのことを認めました」
「おう、展開が早いですな」
「レナがことの子細を玲子に話したので、意外に早く話がまとまりました。それで、このことを作戦行動中のマルスにも伝えてやりたいのですが・・・」
川崎は大きくうなずいた。
「ああ、マルスの稼働に大きな影響を与えることなので、早速伝えましょう。実際、マルスの能力に若干の低下が見られたので、我々も憂慮していたところです」
予想していたこととはいえ、実際起こっていたと知った上原は、
「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。
「いえ、お嬢さんにいろいろ負担をかけているのも事実です。引き続きマルスの面倒を見てもらうことになって、お嬢さんにはお礼の言葉もありません」
「でも、マルスのおかげで玲子は前向きに生きるようになってくれました。以前はなぜ家族と一緒に死ななかったんだろうと、生きることに後ろ向きなところが見られてどうしたものかと思ってましたが、マルスが来てからそういうところが見られなくなって、ほっとしているのです」
川崎はやや心配そうに、
「それはそれで、問題なのではないですか? マルスなしでは生きられないと?」
「正直、解りません。ただ、玲子の心に変化があったのは事実ですから、この変化がよりいい方向に向かうように見守りたいとは思います」