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利家と成政 ~正史ルートVS未来知識~  作者: 橋本洋一
【第二幕】天下布武と厭離穢土編
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道三の遺言

 成政はこれまでの戦において多くの者を殺めてきた。

 戦国乱世とはいえ、人殺しの罪悪感で、酷くうなされる夜を過ごしたことがあった。

 しかし、意外なことに親しい者を看取るということは、前世を含めても初めてだった。

 信長の父、信秀の死を見届けているものの、ここまで心通わせた者となると皆無である。


 もはや意識は無く、このまま眠るように逝ってしまう美濃のまむし、斉藤道三を見送るのは、彼には心苦しいものがあった。出会った当初は威厳を感じ、呆けてしまった後でも、尊敬の念を持って接した老人が死ぬ。


 見たくはない気持ちのほうが大きい。

 しかし見届けるべきとも考えていた。

 斉藤道三という男の生き様を最後のほうしか見てこなかった成政だったけど。

 最後の死に様は目を逸らさずに見続けなければいけないと感じたのだ。


「……殿。道三様の意識は」

「戻らぬわけがない」


 成政が訊ねると、信長は確信をもって力強く答えた。

 絶対に覚醒すると分かっているような、予知に近い回答。

 斉藤道三という男を信じているような、信頼に近い言葉。


「このまま、舅殿は逝かぬ。きっと何かを遺してくれるはずだ」

「それに、私が立ち会って良いのですか?」

「当たり前だ。今まで、お前は文句の一つ言わずに面倒を見てくれたじゃないか」


 それは、道三から何かを学べるかもしれないという打算からだった。

 同時に信長への覚えがよろしくなるかもしれないという計算だった。

 損得を考えれば得のほうが大きいと思ってやっただけだ――しかし。


「私が、この方から学んだことは、少なくありません。どれだけ助けられたか、分かりません」


 あるいはどれだけ救われたのか――そうとも言えた。

 成政は道三のことを無意識に師と仰いでいた。

 国盗りを成し遂げた道三から、戦国乱世を生き抜く何かを盗もうとしたのだ。


 滑稽な話かもしれないが、盗むつもりだった成政だったけど、呆けた斉藤道三を看ているうちに、逆に心を動かされ、心を奪われてしまったのだった。


「だからこの方の世話ができたことは、むしろ喜ばしいことなのです」

「……で、あるか」

「感謝させてください、殿。私をこの方の――」


 言い終わる前に、道三が咳き込んだ――目覚めたのだ。

 泣き崩れていた帰蝶が「父上!?」と顔を覗きこむ。成政と信長も布団の傍に寄った。

 道三は苦しそうに咳き込んだ後、目を大きく開けてきょろきょろと三人の顔を見る。


「……なんだ、帰蝶。泣いているのか」

「父上!? 私が分かるのですか!?」

「ああ……婿殿もいるな……」


 呆けてしまった頭が、死に際に正常へと切り替わった。

 以前と同じ奇跡が起きていると成政は考えた。

 道三は「なんだ、若者がいるな」と微かに笑った。


「小生意気な若造……佐々成政、だったな」

「え、ええ。そのとおりでございます」

「ということは、わしは死ぬのか」


 明晰な頭脳で己の死期を悟る道三。

 信長は無言のまま、頷いた。


「婿殿。国譲り状は大事にしているか?」

「舅殿の大事な贈り物だ。当たり前だろう」

「帰蝶、この婿殿と末永く幸せに暮らせ」


 帰蝶が泣きながら頷いた。声も出せないくらい、悲しんでいた。

 それを満足そうに見つめた道三は、無表情の信長に「帰蝶と美濃国を頼む」と託した。


「帰蝶はわしの娘だ。目に入れても痛くないほど可愛い娘だ。どこに出しても恥ずかしくない娘だ」

「任してくれ」

「それから美濃国は……わしが生きた証だ」


 道三はそこで大きく深呼吸をした。

 呼吸はつらく無さそうだが、気を張っていないと死んでしまいそうなのだろう。

 死に瀕しているとは思えない力強い声で言う。


「今まで盗んでばかりの人生だった。しかし、美濃国はわしが作り上げた国だ。斉藤道三という男が遺せる唯一のものだ」

「分かっている。必ず義龍から獲ってみせる」


 信長は道三の手を布団から出して握った。

 もはや道三は握り返すことはできないけど、それでも決して放さない。

 道三は「成政、世話になったな」と彼に笑って見せた。


「おぼろげだが、お前のおかげで実りある最期を迎えそうだ」

「もったいないお言葉です……」

「お前は、婿殿と違って、危ういところがある。だから、教えておこう」


 道三の最後に教え。

 成政は背筋を正した。


「ははっ。ありがたき幸せにございます!」

「お前は以前、無様な死に方をしたくないと言っていたな」

「……ええ、言ったかもしれません」


 数年前の出来事なので、詳細は覚えていない。けれどしっかりしていた道三となら、そのような会話をしてもおかしくないと成政は思った。


「今一度問う。今のわしは無様か?」

「…………」

「自分の息子に国を追われて、しかも息子を二人殺された。仇を討つこともできずに、死に行くのは無様だと思うか?」


 成政は――答えられなかった。

 彼の価値観からすれば無様と言うほか無い。

 みっともない最期だ――


「ふふふ。だが、わしは今、満ち足りているよ」


 顔を伏せた成政に、道三は思いもよらないことを告げた。

 成政は驚いて「意味が分かりません!」と喚いた。


「だって道三様もおっしゃっていたでは――」

「我が愛娘が幸せになれること。我が婿殿が美濃国を守ってくれること。それらを思えば――何も望まない。これ以上の幸福はないからな」


 改めて信長と帰蝶を見る道三。

 二人は何も言わずに目を合わせた。


「後を任せられる者がいて、遺せるものを託せるとは、これほど心地の良いことか。これほど安心できることか。そして、穏やかに死ねることか……」


 信長は道三の手に力が少しだけ入ったのを感じた。

 最後の力を振り絞って、伝えようとするのが分かった。


「成政よ……無様な死に方とは、他人が決めること、ではない。己自身が……決めることぞ……」

「道三様……私は……」

「笑って死ねたら、どれだけ……」


 道三の目がゆっくりと閉じる。

 帰蝶が思わず「父上!」と叫んだ。


「ああ、もう何も要らぬ……満足だ……」


 油売りから武士となり、美濃国の国主となった男、斉藤道三。

 最期の言葉は心から満ち足りていて。

 末期の表情は心から笑いに彩られていた――



◆◇◆◇



「……死を見届けるのは、これで三度目だ」


 道三の遺体から離れようとしない帰蝶を侍女たちに任せて、信長は成政を伴って清洲城の庭で夜空を見ていた。

 星たちが漆黒の空で瞬いていて、成政は初めて人を殺した日を思い出していた。あのときは確か、帰蝶を助けるためだった。そして傍にいたのは利家だった。


「一人は親父殿。二人目は平手の爺や……そして舅殿」

「殿……私は、こんなに淋しい気持ちになったのは、初めてです」

「ああ。俺もだ。何度見届けても、淋しさは変わらない」


 寂寥感に心を支配されている二人。

 すると信長は「竹千代は元気だったか?」と不意に訊ねた。


「ええ。立派にご成長されました」

「であるか。ならこちらの意図は伝わったな」

「ええ。後は今川義元を討ち取るだけ……」


 舅の死のすぐ後に戦の話をする。

 戦国乱世とはいえ、情の無いように映るが、織田家の存亡を懸けている話だったので、早めにしなければいけなかった。


 信長は成政に「俺は残酷か?」と訊ねたりしない。

 成政も信長に「良いのですか?」と確認しない。

 二人は道三の遺言を心に刻んでいた。


 成政は幸福な死に様を目指すため。

 信長は道三が遺した美濃国を獲るため。

 尾張国を守ることを優先している。


 これは主従の絆というよりも、死人との約束みたいなものだった。

 共通の恩義ある者のために、各々に託された思いを果たす。

 それこそが斉藤道三の生きた証なのかもしれない――

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