説法
「よう! 久しぶりだな、じじい!」
「相変わらず、敬う心を知らんのか!」
尾張国の政秀寺を訪ねた利家は、住職である沢彦宗恩に気安く挨拶した。無礼な物言いに青筋を立てる沢彦に「ちょっと痩せたか?」となんでもなさそうに利家は笑った。
「少し会わないうちに老け込みやがって。仏様にはまだ会わねえよな?」
「老けたのは貴様のほうだ!」
「お? そうか、貫禄が出てきたってことか。良いこと言うじゃねえか」
「ふん。小賢しくなりおって。それで、何の用だ?」
利家は首の後ろを掻いて「伊勢長島のこと、知ってるだろ」と低い声になった。
「森長可っていう俺が面倒見ている野郎がいてな。そいつが首供養したいって言い出したんだ。俺はしたことねえから教えにもらいに来た」
「ほう……」
首供養とは三十以上の首を取った者が行なうことのできる法要だった。長可は初陣ながら多くの首級を上げた。
「長可とやらはあの森可成殿の息子だったな。いいだろう。その者を呼んでくれたらしてもいい」
「話が早くて助かるぜ」
「可成殿は何度か会ったことがある。誠実で丁寧な方だった。貴様と違ってな」
「うるせえよ」
「その方の息子ならきっと同じく礼儀を弁えているだろう」
実際は無礼者だが「ああ、助かるぜ」と利家は本当のことを言わなかった。断られるかもしれなかったのもあるが、知らずに会わせたほうが面白いと思ったからだ。
「ま、伊勢国からの帰り道ってこともあったけどよ。じじいの顔拝んでおきたくて」
「素直に会いに来たと言え」
「それと湯漬けも欲しい」
「昔から言っているが、何度も言っているが、わしは飯屋ではないわ!」
政秀寺の一室に案内された利家は沢彦自ら作った湯漬けを美味しそうに食べる。
なんだか昔を思い出すなと沢彦は頬を緩ませた。
「あん? 何笑ってんだ?」
「笑ってなどおらん。それよりもだ。他に何か用事はないのか?」
首供養のことなら手紙で済む。
わざわざ会いに来たのは何か意図があるはずだと沢彦は考えた。
「やっぱり、じじいはすげえなあ……」
「珍しいな。貴様がわしを褒めるなど」
「伊勢長島のこと聞いたか?」
「大勢死んだと聞いている」
迂回せずに真っ直ぐ答えた――その物言いを利家は望んでいる――沢彦に「ああ。大勢殺した」と利家は応じた。
「説法を受けようとか考えた訳じゃねえ。なんつーか、じじいの顔が浮かんでよ。しばらく会ってねえから会いたくなったんだ」
「……それだけのことでここに来たのか? 他に理由があるのではないか?」
いつになく神妙な顔で沢彦が聞くものだから、利家は「次の戦が決まってんだ」と素直に明かした。
「場所と日時は言えねえが……また一向宗門徒を殺すことになる」
「そうか……小僧、貴様はわしに止めてほしいのか?」
「じじいが止めても俺ぁ戦う。殿の命令だからだ。それでも――休みたい気分になる」
気分となるだけで、実際は戦うのだろう。
利家は信長の天下統一のために生きている。その先兵となることを自ら選んだのだ。
そんな彼でも――ひと休みしたい。伊勢長島の戦いはそれほどまで悲惨なものだった。
「ここは休憩所ではないぞ」
「有名な坊さんいたろ? ひと休みって名前の奴」
「一休宗純のことか?」
「そうそう。坊さんだって休んでいるんだ。俗人も休んでも仏様は文句言わねえ。三度までは許してくれそうだ」
こやつ、屁理屈が上手くなりおってと沢彦は感心した。
よほど俗世の泥に塗れたんだなと判断すると「休んでいる暇はないぞ」とそっぽを向きながら沢彦は言う。
「わしはもうすぐ京に戻るからな」
「あん? ここの住職じゃねえのか?」
「今は妙心寺の住職だ。ここに来たのは僧の様子を見るためだ」
聞いた利家は嬉しそうに「なんだよすげえ偶然じゃねえか!」と沢彦の背中を叩いた。
「痛い! やたら強く叩くな! わしは高僧なのだぞ!」
「てめえで言うなよ。ま、俺たちは巡り合う運命だったんだな」
「……不気味なことを申すな。気味が悪いわ」
「じゃあ気味悪いついでに言ってやろうか」
利家は得意げな顔で「あんた、俺がここに来るの分かっていたんじゃないか?」と切り込んだ。
「……なにゆえ、そう考える?」
「伊勢長島で戦が起きたことを知っていた。岐阜城への帰り道に政秀寺はある。だったら俺が寄るかもしれないと考えてもおかしくないよな」
沢彦は「なるほど、筋は通っている」と頷いた。
「たまたまじじいが政秀寺にいるのも意図を感じてならねえよ」
「良いか小僧。偶然は二回まで重なってもおかしくはないのだ」
「だったらじじいがここにいるのは偶然なのか?」
「妙心寺の住職は重い務めだ。貴様一人のためにここに出向くと思うか?」
「……そうかもな」
腕組みをしてしばらく考え込んだ利家だったが、よくよく思い返せば偶然としか判断つかなかった。
「なんだよ。俺とじじいは縁があっただけか……」
「その気味の悪い言い方やめんか!」
「なんでえなんでえ。俺はあんたのこと尊敬しているんだぜ。いくら俺のことが嫌いでも縁を切らしゃしねえよ」
沢彦は嫌な顔をしたが利家は満足そうだった。
「そうだ。久しぶりに説法聞かせてくれよ」
「いつも途中で寝ておったではないか!」
「最近寝てねえから、ぐっすりしてんだ」
こやつ、尊敬していると言ったが嘘だなと沢彦は怒ったが、ふと考え直す。
「いいだろう。説法してやる」
「おっ。珍しく怒鳴らねえんだな?」
「……餓鬼道という世界を知っているか?」
利家は横になりながらも「がきどう? なんだそりゃ?」と合いの手を打つ。
沢彦は「小僧にも分かりやすく言うのなら」と説明し始めた。
「常に飢えており、食物を皆で奪い合う世界のことだ」
「なんだ。戦国乱世と似ているじゃねえか」
「現世よりも悲惨で残酷な世界だ。この世界において飢餓――飢えと渇きは罰に相当する。仏教における六道輪廻の概念だ」
すると利家は身体を少しだけ起こして「確かにそりゃあつらい罰だな」と頷いた。
「小僧。貴様は即身仏を知っているか?」
「さっきから質問ばかりだな……なんか聞いたことあるぜ。土の中に埋まって死ぬやつだろ」
厳密には土の中に埋まるのではないが、沢彦は「呼吸のできる管がある」とだけ言った。
「経を唱えて精神を統一し、静かに御仏となる究極の修業だ」
「けっ。好き好んでそんな苦しい死に方するのか。気がしれねえぜ」
「そうだ。とても苦しい死に方だ。だが崇高で美しくある。そこまで分かったか?」
利家は完全に起き上がって「まあ分かるけどよ」と言う。
「では貴様に問う。餓鬼道と即身仏。同じ飢餓で苦しむのだが、どうして二つには貴賤がある?」
「…………」
「餓鬼道の在り方は卑しい。しかし即身仏は尊い。その違いを貴様は説明できるか?」
常人には答えがたい問いだった。
仏道を歩む者も懊悩するだろう。
武士である利家には難問に思えた。
「……分からねえ。さっぱりだ」
寝ることなどすっかり忘れた利家に「わしはこう考える」と沢彦は言う。
「餓鬼道は奪い合う世界だ。飢餓を他人の責とし、自分だけは助かろうとする心が卑しいのだ。一方、即身仏は飢餓をありのまま受け止めて――乗り越えようとする」
利家は眉をひそめて「乗り越えるって、死ぬんだよな?」と訊ねる。
「意味があるのかどうか分からねえよ」
「そもそも、即身仏は現世をよりよいものになってほしいという願いを込めて、自ら成るものだ。それは美しくあり、決して醜いものではない」
熱のこもった語り口のまま、沢彦は続けた。
「貴様は武士として人を殺す。それは変えられぬものだ。しかしそこに意味を持たせることはできる。天下国家のためか、私利私欲のためか。はたまた信長のためか。ひと休みした後、じっくりと考えるべきだ」
「……なんだよじじい。立派な説法じゃねえか」
利家は笑って「あんたはいつも、俺を救ってくれるよな」と頭を下げた。
「ありがとな。おかげで道を惑うことなく、真っすぐ進めるぜ」
「ふん。礼など要らぬわ」