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利家と成政 ~正史ルートVS未来知識~  作者: 橋本洋一
【第三幕】畿内制圧と甲州攻略編
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子供を利用する

 徳川家康は三河国から二万五千の兵力で出陣した。目標は遠江国の今川方の諸勢力である。現在の今川家にはこれを防ぐ力はないと予想した上での進攻だった。


 しかし三河国は豊かだが、僅か一国でかつての今川義元と同等の兵力をどうして持てたのか。その理由は工場にある。堺との交易で今や多くの銭を持つ徳川家はそれらで兵を雇い入れることが可能となった。いわゆる中間と呼ばれる流れ者だ。その中間を戦専門の兵に鍛え上げ、元々の三河武士に率いらせることで強力な軍団へと成長した。今では東海随一の精強さを誇っている。


 無論、これらを仕掛けた人物とは成政である。また、織田家で人質生活を送っていた家康もその案に賛同した。彼もまた信長の考えを聞いていたのだ。


 桶狭間の例もあるように、二万五千という大軍勢は国一つ落とすのに十分な戦力だ。さらに、今川家はあの武田信玄と戦っている。とても遠江国を助ける余裕などない。徳川家の進攻を防ぐ術はもはやありはしないだろう――


「曳馬城を攻め落とし、拠点として遠江国を制圧します。井伊家の皆様方もご協力お願いいたします」


 成政は自身の軍勢を率いて、井伊谷城に訪れた。

 そして大広間で当主の井伊直虎と話している。

 直虎は嫌悪感を隠さずに「……承知しました」と小さく頷いた。


「そのように嫌わないでください。私もやりたくてやっているわけではありません」

「……悪巧みを好む殿方など、女人には分かるのです」

「ま、虎松のこともありますから、仕方ありませんね」


 直虎は目の前の成政を蔑みながら「虎松は元気にやっておりますか?」と問う。


「ええ。若君と楽しく暮らしておりますよ」

「徳川家の若君と?」

「良い遊び相手になっています」


 真偽がはっきりしない。それに胡散臭い成政の言うことだから信用ならなかった。

 それが伝わってきたのか「実は虎松を連れてきています」と柏手を叩いた。

 すると大蔵長安に連れられて、虎松がやや緊張した面持ちで入ってきた。


「虎松……! 元気そうで何よりです!」


 喜びを露わにした直虎に対し、虎松は強張った顔で「酷いですよ、姉上」と文句を言った。


「佐々様にそのような態度を取るなんて。恩知らずもいいところです」

「……えっ?」

「せっかく徳川家の家臣に加えていただいたのです。井伊家の恩人ではないですか」


 何かが嚙み合っていない。

 直虎は「な、何を言って……」と言葉に詰まっている。

 すると成政が「言葉が過ぎるぞ、虎松」と叱った。


「姉君には敬意を払いなさい。戦働きができても、目上を敬う心がなければ駄目だぞ?」

「失礼いたしました。姉上、ご無礼いたしました」


 成政の言うことを素直に聞く虎松を見て衝撃を受ける直虎。

 しかも虎松の視線に成政への尊敬を感じる。


「虎松。呼んでおいて悪いが――」

「かしこまりました。外にて控えております」


 よく出来た小姓のように従う虎松。

 そして作法正しく大広間から出た。

 長安も一緒に出たのを確認してから「どういうことですか?」と直虎は問い詰めた。


「あの子があんなにも――」

「磨けば光る玉ですね、虎松は」


 利発な子なのは間違いなかった。

 しかし誰かの指示を聞くような礼儀正しい子供ではなかった。

 まるで人が変わったような――


「ほんの少々、教育しただけですよ。私の言うことを『なんでも』聞くように」

「……改めて、恐ろしいと思いましたよ」

「おや。実の弟のあんな姿を見て、案外冷静ですね」


 怒りを湛えた目で睨みながら「冷静ではありませんよ……」と低い声音で言う。


「いますぐ、あなたを八つ裂きにしてしまいたいくらいです」

「恐ろしい直虎殿ですねえ。ま、それが無理だと分かっておいでですが」


 成政は悪そうに笑った。

 それでいながら己でもあくどいことをしているなと自嘲した。

 こういう曲がったところが三河武士の好感を下げるのだと気づいていた。


「それで、ただの報告と虎松を引き合わせるだけが、あなたの目的ではないですよね?」

「ご明察です。流石、領主様ですね」

「少し考えれば分かることです……さっさと言ってください」


 そして帰ってほしいと願っている目で成政を軽蔑する直虎。

 成政は「では単刀直入に言います」と姿勢を正した。


「井伊家、徳川家に降伏してもらえませんか?」

「…………」

「今なら本領安堵で何も変わらずに、今まで通りを過ごせますよ」


 直虎は天井を見上げて、それから不俱戴天の仇と同じ憎しみを込めて言う。


「これが狙いだったのですか……はっきり言って気分が悪く、不愉快です」

「ええ。まさしく狙い通りです。もはや虎松は私の言うことをなんでも聞く子供となりました。あなたが頷かなくても……分かりますね?」


 女人でありながら一領主である直虎は「後悔しても遅いですね」と一筋の涙を流した。

 美しいと思いながらこの涙を流させたのは自分だと成政は思った。


「私は、どこで間違ったのでしょうか?」

「間違っていませんよ。私が正しい道筋に導いたからです」

「今川家から徳川家に鞍替えするのは甘んじて受けます。けれど、私の弱さのせいで、虎松が……悔やんでも悔やみきれない……」


 ぽろぽろと涙の粒が直虎の顔を濡らす。

 成政は「いずれ、虎松も気づきます」と呟く。


「自分のせいであなたが苦しんでいたことを。そして私が悪人だということを」

「そのとき、傷つくのはあの子です。私が傍にいても……罪悪感が増すだけ……」

「そうでしょうとも。それ以外にない」


 ゆっくりと立ち上がった成政は「しばらくは私の指示に従ってもらいます」と去り際に言う。


「虎松が元服したら、彼にお返しします。直属の配下としてね。それまでは耐え忍んでください」

「酷いお方ですね……」

「これだけは言っておきます」


 既に成政の顔には表情は無く。

 悪そうな笑みも消えていた。

 一切の感情も表さないまま告げる。


「大事なものを守るために、大事なものを犠牲にするのは愚かしい。ですから優先順位を決めておかねばなりません」

「…………」

「選んで捨てて、選んで守って。そうやって残されたものをしっかりと握りしめていないと――結局、すべて失う」


 成政が去って、一人残された直虎。

 彼女の胸の内は後悔に占められていた。

 それ故に空虚でもあった。


「自らの愚かさを恥じ入るばかりですよ……」


 大広間に響かない呟き。

 悲しみだけが残された。



◆◇◆◇



 曳馬城を攻め落とした家康と合流した成政は、そのままの勢いで遠江国を制圧することを提案した。

 同時に遠江国攻略のための拠点を築くことも挙げた。


「ふむ。確かに岡崎城では進軍が遅くなる。このまま駿河国を狙うとなると不便だな」


 家康も頷いて、曳馬城を改築して城を建てることを許可した。

 成政は「ありがたく思います」と頭を下げた。


「岡崎城は若様にお任せなさってください」

「まだ元服もしていないぞ?」

「我らがお支えします。それにもうすぐ、織田家からおごとく様が嫁いでまいりますから」


 家康は爪を噛みながら「それも心配なのだ」と悩みだす。


「織田家の娘と竹千代が上手くやっていけるのか……」

「ご心配ならば、私が様子を見ましょう」


 家康は「そなたに任せきりで申し訳ないな」と苦笑した。

 おそらく瀬名のことや竹千代のことを言っているのだろう。


「いえ。これも武士の務めですから」


 成政は家康を敬愛している。

 だから井伊家のように竹千代を『懐かせよう』とは思っていない。

 むしろ昔を思い出して竹千代を可愛がっていた。

 利用しようとは思っていない。

 それどころか傷つける者は決して許さない姿勢だった。

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