#005.留守中のお客様
大変お待たせ致しました。申し訳ありません。
「はあー……暇だな……」
私、ルナ・シャインはお店の中で溜息を吐いた。お父さんとティフィちゃん、フィアちゃんが出て行って、コルトとグレイスはもういないのでお店の中はがらんとしていて寂しい。
「定休日だからお客さんも来ないし、依頼も来そうにないしな……」
ブツブツ呟いていると、お店のガラス戸にノックの音がした。定休日の看板は掛けてあるのに……と思いながらガラス戸に向かうと、そこにいたのはアデムさんと、私より少し幼めの女の子だった。
「アデムさん、すみませんが今日は定休日でして……」
「ああ、別に店に邪魔しようと思ってきたわけではないんだ。大賢者様……ではなく、マスターはいるか?」
「マスターはついさっき街に出ていきました。私はただのお留守番です。」
「丁度行き違いになってしまったか……流石に、ここで帰りを待たせて貰うことはできないよな?」
私は少し逡巡した。別に定休日だからって、お客様をお店に入れちゃいけないってルールはないし、そもそもここはお父さんの家だから、別に入れても問題はない……はず。それに、誰も店に入れるななんて一言も言われてないし。
「いえ、そんなことはありません。待つくらいなら問題ありませんよ。どうぞ。」
「良いのか?」
「ええ。」
「じゃあお邪魔させて貰う。悪いな。」
「し、失礼します……」
アデムさんと女の子はお店に入って来た。私は椅子を勧めると、
「何か飲んでいかれますか?」
と聞いた。私は茶葉には触るな、と厳命されているけど、コーヒー豆なら挽いてもいい、と許可は貰ってる。まだ味はお父さんの淹れるのとは比べるのが烏滸がましいくらいで、遠く及ばないけど。
「いや、今日は定休日なのだろう? 流石にそこまでさせる訳には……」
「私には気を遣わないでいただいて大丈夫ですよ。訪ねていらっしゃった方にお飲み物をお出しするのは礼儀ですから。私が茶葉に触れるのはマスターに禁止されているので紅茶はお出しできませんが、それ以外ならとりあえずは。味はマスターには遠く及びませんけどね。」
「ふむ……ならば、お言葉に甘えよう。アイスコーヒーを頼む。豆はお勧めで。」
「かしこまりました。そちらのお嬢さんは……」
「……ジュースってありますか?」
「ええ。ジュースでしたら多数取り揃えています。ミックスもできますし、果物からお絞りすることもできますよ。」
「えと、じゃあブラッドオレンジジュース14%、オレンジジュース17%、完熟パイナップルジュース39%、アップルジュース11%、グレープジュース19%のミックスジュースをお願いします。」
アデムさんについてきた女の子は凄いことをサラッと言った。
「パーセンテージブレンドのミックスジュースですね。かしこまりました。少々お待ちください。」
私はお辞儀をして厨房に引っ込むと、
「ああああ……どうしよう……つい癖で『かしこまりました』って言っちゃった……」
盛大に頭を抱えて呻いた。アイスコーヒーはまだいい。コーヒー豆の選定はお父さんが昨日やっていたから今月のお勧めは決まっているし、ブレンドは私でもできる。でも、パーセンテージブレンドのミックスジュースはお得意様と依頼人専用の特別メニューで、お父さんしか作れない。お父さんによると、ただ混ぜるだけじゃなくて他にも色々することがあるらしい。見てる分には私でも簡単に出来そうなんだけど、私が手を出したら大惨事になる、ってお父さんに言われて、まだ作り方を教えて貰っていないから作れない。%指定されてないミックスジュースなら作れるけど。
「うう、私のバカバカバカ……何で安請け合いしちゃうのよ……全く……バカなんだから……」
「ああ、全くもってその通りだな。」
急にお父さんの声が聞こえた。いつ帰ってきたのか、私の隣にお父さんがいる。
「おと……じゃなくてマスター、いつお帰りに?」
「たった今だ。ティフィとフィアは公園で遊んでいくっていうから、監視用の使い魔だけ放っておいて帰ってきたんだが、なぜアデムがいるんだ?」
「えっと、それは……」
「別に定休日だから客を入れてはいけないなんていう法律はないが、特別扱いされているように見えたら不審がられて経営に打撃が出るかもしれないだろう。お前の頭が飾りじゃないならもう少し物事を考えろ。」
お父さんは前半を淡々と、後半は釘を刺すように言った。返す言葉もない。
「それと、安請け合いもするなといつも言っているはずだ。2年前の茶葉全滅事件、忘れたとは言わせないぞ。お前は回復担当のはずなのに茶葉に触れたそばから腐らせるだの変色させるだの……店を1か月閉める羽目になったんだからな。」
「うう……あの時のことは反省してますよ……」
「反省して済む問題じゃない。あの茶葉たちの無念を思ってみろ。涙が溢れるぞ。とりあえずお前はアデムのところで世間話でもしていろ。オーダーのものは俺が作る。アイスコーヒーとB14、O17、P39、A11、G19のミックスだろ。」
「……その通りですけど……オーダーの時いませんでしたよね? マスターはエスパーですか?」
「その程度、お前の脳を覗けば分かる。そのくらいの魔法は使えるしな。」
「じゃあ魔法の天才である元大賢者様、よろしくお願いします。」
「ルナ、今回は容認するが今月はこれから俺のことを大賢者と呼ぶたびに減給1%だ。」
「えーっ……」
「話は終わりだ。邪魔だからさっさと出ていけ。客を退屈させるな。」
お父さんは私を追い払った。私は渋々ながらアデムさんのところへ戻ろうとする。しかしその前に、
「オーダー上がりだ。持っていけ。」
とお父さんが私に銀のトレイを渡した。そして、その上にコーヒーとミックスジュースを載せる。
「い、いつの間に……」
「本気を出せばこの程度、余裕だ。お前にはまだ不可能だろうがな。」
お父さんは涼しい顔で言うと、私より先にアデムさんたちのところへ行ってしまった。私は慌てて後を追うと、
「お待たせしました。アイスコーヒーとB14、O17、P39、A11、G19のパーセンテージミックスジュースと当店のマスターでございます。」
と満面の営業スマイルを浮かべた。瞬間、思いっ切りお父さんに爪先を踏まれたけど、私の営業スマイルはその程度では崩れない。オーダーの品をアデムさんと女の子の前に置くと、一礼してお父さんの隣の椅子に座った。その際お父さんの爪先を思いっ切り踏んでやろうとしたけどサッと躱されて、その上返り討ちでもう1回容赦なく爪先を踏まれた。流石に思わず涙目になる。
「アデム、今日は何の用だ?」
「マスター、今日は素か。」
「アデムは今、客であり依頼人じゃないだろう? 客に対しては素で接する。」
「フッ、やはりマスターはソウル・シャインだな。」
アデムさんは口元に笑みを浮かべると、話し始めた。
「まあ、今日の用事は別だ。この子が私の娘のクレア。この店のおかげでこの通り、今では外を出歩けるほどまでに回復した。クレア、挨拶しなさい。」
「は、初めまして……クレアです……この度はお父さんがお世話になりました……」
女の子はアデムさんの娘さんだったらしい。おどおどしているけど、礼儀正しそう。
「いや、大したことはしていない。礼も既に貰っているしな。」
お父さんは軽く返す。表情も変わらない。
「マスター、ちょっとくらい愛想よくできないんですか?」
「俺の愛想が悪いと思うなら、お前がその分補えば問題ないだろう。」
私の詰りにもお父さんはどこ吹く風。
「それに、クレアだってニコリともしていないぞ。表情も変わらないしな。」
「ふぇっ?」
いきなり話を振られたクレアちゃんは変な声をあげた。
「わ、私……変ですか?」
「いや、変ではないが、はっきり言って何を考えているか分からない。」
「ちょっと、マスター! はっきり言いすぎですよ!」
クレアちゃんはアデムさんの大切な一人娘。アデムさんが激怒するかもしれない。そう思った私は代わりに謝ろうと立ち上がりかけたけど、アデムさんは笑っていた。
「ハハハ、マスター。クレアが考えていることなんて分かる訳がないぞ。なあ、クレア?」
「は、はい……私はよく何を考えてるか分からないって言われるんですけど、実際のところ何も考えていないので私自身も何を考えているのか分からないんです……」
「へっ?」
「クレアは何もないところで転んだり、砂糖と塩を間違えたりする。何も考えていないからな。おっちょこちょいなんだ。」
「お、お父さん……それは言わなくてもいいでしょ……」
クレアちゃんは赤くなってアデムさんをぽかぽかと叩く。可愛い反応。
「で、アデム。今日は何の用だ。まさかクレアの回復だけを伝えに来たわけじゃないんだろう?」
お父さんはクレアちゃんの反応には興味を示さず、アデムさんに話しかける。
「ああ、本題を忘れるところだった。実は、マスターに頼みがあるんだ。依頼ではない。」
「何だ? 頼みを引き受けるとは言い切れないぞ。」
「その、だな……クレアをこの喫茶店で雇ってくれないか?」
「クレアを、か? それは流石にすぐ「はい、そうですか」とは言えないな。給料を満足に払えるかも分からないし、そもそもうちの従業員は何かしらの分野に長けてもらう必要がある。長ける分野が無ければ俺がしごくが、知り合いだろうが幼かろうが手加減も容赦も一切しない。その程度アデムなら分かるだろう?」
お父さんはクールに言い切った。でも、嘘は一つもない。お父さんはティフィちゃんやフィアちゃんに護身術を教える時も容赦していなかったし、グレイスに至っては窃盗後の逃亡訓練で毎回捕まって半殺しにされている。
「見習いでも何でもいい。給料だって少なくてもいい。何ならタダ働きでも受け入れる。」
「それはクレアが決めることだろう。」
「これはクレアが言ったんだ。この子が意思表明をすることなんて滅多にないからな。回復祝いも兼ねて、叶えてやりたいんだ。」
「……そう言われてもな……うちで雇うということは、うちの仕事を知られるってことになる。そうなると、業務中は勿論だが、私生活にも相当な危険が伴うぞ。」
「マスター、クレアちゃんには通常業務だけっていうのは……」
「特別扱いは一切できない。そもそもそんなことをしたらティフィとフィアが怒って暴れるだろう。自分たちはこき使ってるくせに新入りには優しくしてる、ってな。」
「だからって、うちの仕事は一般人にそう簡単にできるものじゃ……」
「それはそうなんだが……」
お父さんは渋面だ。何だかんだ言ってお父さんは結構優しいから、クレアちゃんを受け入れてあげたいって気持ちはあるんだろう。でも、2階の仕事の関係上、どう答えればいいのか分からないって感じ。
「マスター、何か試験をしてみるというのはどうだ? 試験に受かったらクレアを雇う。受からなかったら雇わない。」
「試験か? 別にできないことはないが、最悪死ぬぞ?」
「ひっ……」
サラッと言ったお父さんの『死ぬ』の一言にクレアちゃんは悲鳴を上げた。私は慌てて助け舟を出す。
「そんなことないですよ。マスター、試験を危険性がないのにすればいいじゃないですか。」
「危険性がないもの? 何だ?」
「ティフィちゃんとフィアちゃんのお迎えです。」
「あいつらの? そんなことは誰だってできるだろう。却下だ。」
「……監視用の使い魔放ってるって言ってましたよね? 監視用ってゲイザーちゃんでしょう? あの子がいれば勤務態度が見れるじゃないですか。それに、何よりもまずゲイザーちゃんが連れてるイビルアイの見た目が受け入れられないようならうちで雇うのは不可能です。」
「……そうだな……」
お父さんはしばし考え込むと、
「……仕方ないか。」
と諦めたように頷いた。
「よし、じゃあ試験をしよう。クレア、今から1時間以内に、ここから490m離れたところにある公園で遊んでいる女の子3人を連れて帰って来てくれ。『ソウル・シャインに頼まれて迎えに来た』といえば拒絶されることはない。それができたら取り敢えず試用期間として1週間雇ってもいい。」
「本当ですか?」
「俺は嘘は言わない。勿論、勤務態度が良ければ正式採用してもいいし、満足するだけの給料も保障する。ただ、それはすべて今日の試験をクリアしたら、の話だ。」
お父さんは淡々と、一切の感情が感じられない平坦な声で言った。そこには贔屓目など一切存在しない。この喫茶店の従業員全員が『鬼』と称する無機質な試験官がそこにいた。
「受けるか受けないかをすぐ決めろ。チャンスは1回だ。」
「え、えっと……」
「クレアちゃん、こうなったマスターはもう人の意見を受け入れないから、どうするか1分以内に決めて。」
「……分かりました。受けます。」
「よし。じゃあ開始だ。条件はさっき言った通り。以上だ。」
相変わらず平坦な声でいうお父さん。クレアちゃんはしっかりした足取りでここから出ていった。