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後篇

しかしこの政の母親は権力に座ったが、夫である先王が薨去(こうきょ)してから孤閨(こけい)に堪えきれず、呂不韋を自分の寝室に招き入れていた。

それもそのはず、先王の妻になる前は呂不韋の妾だったのだ。


政は呂不韋が後宮に入っていると聞き驚いた。

後宮は男子禁制。自分以外は不可侵だからである。

政は母の言いつけで呂不韋を仲父(ちゅうほ)と呼んでいる。

父の次に敬っているという意味だ。


「仲父。最近後宮に入っていると聞きますが?」


そう聞かれて呂不韋の背中に嫌な汗が流れていくのが分かった。

秦王政の冷たい猛禽のような目に凍り付く。

人が信用出来ない性格。

まかり間違えばいくら功績があろうと死を贈られる。

そればかりは怖かった。


「いえ……。王太后さまが寂しいとおっしゃいますので話し相手になって差し上げているのです」


母と聞くとじんわりと温かいものがこみ上げてくる政。

自分は政務で忙しいところに、昔なじみの呂不韋が話し相手になってくれるのは良いこととついそれを許した。

呂不韋は何とか窮地を脱したが、早々に何とかせねばなるまいと、巨根の嫪毐(ろうあい)宦官(かんがん)と偽って後宮へ入れ、王太后の世話係とした。


世話係と言えば聞こえがいいが、ただれた関係だ。

昼夜を問わず、王太后にのしかかるだけ。

王太后を腹の下で悶えさせおねだりすれば、侯爵の位まで貰えた。


嫪毐の野望はとめどなかった。

秦王の尊敬する母親はもはや自分無しでは生きていけない。

この帝国の実際の権力者は自分。

笑いが止まらなかった。


ただれた生活を送れば出来るものがある。

王太后の腹の中に塊となって現れた。

それは嫪毐の子だ。二人は秘密裏に別の宮殿に移り住み、そこで二人の子を産んで育てた。

そしていつしか、嫪毐は我が子を秦王の位につけ、政を廃しようという野望にとりつかれていった。

王太后も、国母(こくも)の重責より愛人の女となっていっていた。


韓非の思想を受け継いだ政は、「罰」、「恩賞」を王の権利として、他の親族にそれを渡さなかったが、母である王太后に兵権の印綬を預けていた。

嫪毐はそれを奪い、謀反を起こした。いわゆる『嫪毐の乱』である。

しかし、秦王は嫪毐の動きを察知しており、これをすぐ鎮圧した。


政は母親にすら裏切られたと感じた。

たった一人の心の拠り所は父親以外の男に抱かれ、その子どもを二人も産んでおり、間男に兵権まで渡し、あろうことか自分を王の座より追いやろうとしていたのだ。

それはつまり死を意味する。母が子の死を望んだ。

これほど苦しいことはなかった。


秦王政の猛禽のような目が母親である王太后と、その愛人である嫪毐を冷たく睨みつけた。

嫪毐は捕縛され、御前で命乞いをした。


「へ、陛下。お慈悲を……」

「殺せ」


己の男の武器のみを頼った王太后の張型である嫪毐はひと言で刑場に連行されていった。

続いて王太后と嫪毐の子どもが二人。父は違えど兄弟だ。


「石に打ち据えて殺してしまえ」

「は、はい」


何の罪もない、自分が望んで産まれてきた訳でも無い。二人にしてみれば異父兄である。それが冷たく自分たちに死を贈ってきた。

幼い兄弟は次の日を見ることは出来なかった。


王太后は己が身を削って産んだ子が殺され伏して泣き出してしまった。


「坊や。坊やァ!」

「謀反の元凶、王太后を……」


政の目が猛禽の目。もはや母でも子でも無い。

大きな首切り包丁で胴体と首を泣き別れにするつもりであろう。

それは余りにも酷いと周りの者は縮み上がった。

政の怒りの指先は王太后を指し示した。


「……雍城ようじょうへ幽閉せよ。誰も近づけるな。(めい)(たが)えば殺す」


そう言いながら今度は役人を猛禽の目で睨みつけた。

一同震え上がった。


政の心は完全に壊れた。

仲父である呂不韋も嫪毐の連座として殺そうとした。

秦に貢献し、政の父が王になれたのは呂不韋の尽力があってこそだ。それがなければ政は王になれていない。

だがどんなものでも無価値となれば殺すだけ。

呂不韋は恐れて服毒自殺した。

呂不韋の葬儀に際し泣き出すものもあったが、政はそのものも処罰した。


同時に天下統一と言う大事業を進行していたこともあるだろう。

心のよりどころである母の乱行。

精神の均衡を保つことが出来ず、人を許すことが出来なくなった。

しかしこの冷徹な権力者は母が元凶とは言え、母にだけは死を贈ることが出来なかった。


後に外国の使者が


「王太后さまが罪を犯して幽閉されていると聞きましたが考としてあり得ないこと」


と諭した。

「考」は政の嫌いな儒教の思想だ。

父母や先祖があって産まれてきたのだから子は敬わなければならないと言うことだ。人を人とも思わぬ合理的な思想を持つ政はそれを一笑に伏すと思われたが、政はにこやかに笑い


「足下の申すとおりである。まさか実母にそんなことをする者はおるまい」


と答え、しばらくして自ら雍城へ赴き王太后の幽閉を解いた。

これも外国に見栄えが悪いと合理的な考えからだろうか?


だが当然、政と王太后は昔のような関係には戻れなかった。

二人は必要最小限に会うだけで、王太后を宮殿の片隅でわずかな侍女とともに生活させた。王太后も悔いながら、秦の天下統一を見ることなく53歳でその生涯を閉じた。


死出の旅路に遺体を納めた石棺にはおびただしいほどの彩り溢れる花、花、花。

そして小さな少年の(よう)が一つ。それは見事な作りであった。

……秦は元々、殉死の文化があった国。昔は尊敬する貴人が亡くなると家臣たちは自殺してそのはなむけとした。それがため国はそれを禁止し、俑を代理として共に埋めたのだった。


花と俑の送り主は誰にも分からなかったが、共に埋められることになった。







「ねえ、おかあたん。この田蛙(でんじい)おいちい」

「じゃ、母さんの分もお食べ」


「え……でも」

「いいんだよ。母さんお腹いっぱい」


「えへ、うれちい!」

「坊や。大きくなりなさい。天下を呑み込むほどに。きっとお父さんが迎えに来るから」


「……うーん。でも僕、おとうたんはいいや」

「どうして?」


「おかあたんと二人がいい」

「まぁ。この子ったら。……あら? あそこのお人形」


「うん。僕が野原の土で作ったんだ。こっちがおかあたん。こっちが僕」

「まぁ。すごく上手よ! 秦の人はこういうのが巧いのかもね!」


「えへへへへ」






政は趙を陥落させたとき、自ら都の邯鄲かんたんに入り、自分と母親をいじめたものを集め生き埋めとした。

そして始皇帝となった後、王太后を帝太后と追号(ついごう)したのだ。

本来であれば秦の王国を揺るがした謀反の片棒を担いだのだ。許されるものではない。追号どころか墓を暴かれて鞭打たれても仕方がない。合理主義の政ならなおさらだ。


だがそこには罪を犯した母に対しての権力者ではなく、少年政のわがままな真心があったのかも知れない。

※ストーリーの関係上、フィクションも加えております。

※書かれていることには諸説ございます。


【作者より】

お読み頂きありがとうございます!

秦は王国から帝国に変わってしまうために、秦王、始皇帝などと政を示す言葉や、秦王国、帝国などと分かりにくいところがあったと思います。

それにも関わらず最後までお読み頂き誠にありがとうございました!

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