前篇
悪とは何だろう?
「悪」という漢字を分解すれば、亜ぎの心と書く。
真の心。即ち、「真心」の次にある心。それが「悪」だというわけだ。
性善説を称えたのは儒家の孟子である。
人は生まれつき善であるが環境によって悪に変わるというものだ。
まさにそれにうってつけの話をしよう。
秦の始皇帝は一世の巨人だった。
古来より別れている国々を征服し中国を初めて統一したのだ。
だからこその「始」。始皇帝の前にも後にも始皇帝はただ一人。
今まで王が頂点だったものを古代の聖王であった「三皇」「五帝」の「皇」と「帝」から「皇帝」を号したのだ。
諸説あるが、今でも英語の「China」。日本語の「支那」は「秦」から来ていると言われれば、その偉大さは驚くばかりだ。
しかしこの偉大なる帝国は三代で終結してしまう。
統一された人民たちはこの始皇帝をことごとく呪った。
希代の大悪人。大量虐殺者だ。
焚書坑儒。
阿房宮、驪山陵、万里の長城、軍用道路への人夫の動員。
焚書とは、儒学の本を焼くこと。坑儒とは、儒者を坑めてしまうことだ。この思想叩きを徹底した。
阿房宮とは宮殿。これに全国から三千人もの美女を集め妻とした。
驪山陵とは自分の墓。
秦は元々、殉死の文化があったが有能な臣下が死んではたまらんと、殉死を禁止した。そのために有名な兵馬俑を王の死後もお供に一緒に埋めたのだ。俑とは日本でいう埴輪のことで墓の副葬品。兵馬俑の俑はその一つ一つ形が違う。どれだけの石工が集められたであろう?
これらに、罪人70万人を動員したと言うが、当時の人口は2千万人。その中から70万とは多いとみるか、少ないと見るか?
人口の半数は女性、5分の1は子どもと考えても恐ろしい数だ。
些細な罪も見咎められ、死ぬまで人夫として働かせたのだ。
宇宙から見える唯一の建造物である万里の長城。
これは中国へ侵入してくる外国人を入れないための城壁だ。
六千キロに及ぶ城壁は日本を往復できる距離。
それを人民を動員して建造したのだ。
気の遠くなるほどの労力は始皇帝の一声で決まった。
軍用道路は始皇帝が各地へ巡察するために作ったものだ。
今までは各国それぞれ馬車(戦車)の車幅が違っていた。
戦争を仕掛ける際に車輪の轍が違うのでスムーズに攻め込めないというわけだ。
始皇帝はそれを統一し、道路も拡張整備したのだ。
それにも人民は使われた。
臣下として権力の地位に就いたからと言って安心は出来なかった。
始皇帝は人を信用しなかった。
ただ人の能力だけは認めた。「愛した」とは言わない。「認めた」だけだ。
こんな話がある。
彼が秦王の時、一人の男が国に土木工事を勧めてきた。彼は技術者で国土は広いが国力のない秦へのよい進言だと採択された。
しかし彼は隣国、韓のスパイだった。土木工事に集中させ、少しでも秦の目をそらそう。その間に韓は富国強兵に勉めようというわけだ。
秦はまんまとその作戦にはまった。
同じ頃、秦王は一つの書物に感動し没頭した。
自分の政策にピッタリなこの書の作者をベタ褒めし、尊敬したのだ。その話をすると当時の丞相(宰相)李斯が、それは自分の同門で韓非と言うものだというので驚いた。
まさか存命の賢者であるとは思わなかったのだ。
秦王はすぐさま韓に住む韓非を招き、授業受けた。
韓非も、韓の王族でありながら韓では不遇であったので、秦王の招きを喜んだ。なぜなら彼は吃音者で、一族に疎まれていたのだ。吃音とは吃りのことで、言葉がなめらかに出ず、第一音を複数回繰り返してしまうので聞き辛いのだ。才能があってもそれだけで不具者と見られた。
それがため、自分の才能を見出してくれた秦王へ感謝の念を抱いていたのだ。
「へ、へ、へ、陛下。け、け、刑罰や、お、お、恩賞は君主の力です。ほ、ほ、他の者に渡しては、な、な、なりませぬ」
「はい、先生その通りです」
韓非はこの未来ある偉大な王に敬服し、いずれ王の左右に立てる立場になり、天下を臨むと夢見ていた。
そんな韓非をよそに進言する者が現れた。
土木工事をしている男は韓のスパイだと訴えてきたのだ。
尋問するとまさにその通りで、秦王はこの男を死罪としようとしたが男はこう命乞いしてきた。
「私はまさに韓のスパイですが、私を使わなければ秦の損失です。私ほどの技術者がおりましょうや?」
「うむ。その通りだ。死罪は取りやめ。工事に戻るがいい」
「あ、ありがたき幸せ」
男は現場に戻ったが、韓の気持ちが分かった以上韓の公子である韓非はそのままにはしておけなかった。韓非は獄に繋がれたのだ。スパイである土木工事の男は有益で、秦王を慕う韓非は牢獄。意味がわからず家臣が訳を尋ねた。
「土木工事の男ほどの技術者は我が国にはいない。だが韓非の思想は書物に書かれている。だから不要だ」
韓非は失意の内に牢獄の中で服毒自殺をした。
またこんな話もある。
秦と並ぶ強国、楚を攻めるときだった。楚は広大な領地を持つ国で、どれだけの兵力が必要か判断に迷っていたのだ。
秦王は将軍を集め軍議を開いた。
まず老獪な将軍、王翦に話を聞くと果たして「兵60万が必要」とのことだった。兵60万は全軍だ。人を信用しない秦王は謀反されては大変と、話を聞かなかった。
若い将軍の李信は「兵20万で充分」との回答。秦王は李信に兵を預けることにした。
進言をうけいれられなかった王翦は秦王に引退を申し入れると、秦王は引き止めもしなかった。
李信の軍は次々軍功を上げ報告してきた。
秦王もそれに喜んでいたが、楚は余りにも広過ぎた。20万では分散に限りがあり楚の反撃を受け始め、とうとう瓦解し楚は勢いをもって秦に迫らんとしてきた。
秦王は驚き、すぐさま李信を解任し引退した王翦の元へ自ら赴いた。
「将軍閣下。私は若輩にて閣下の言の正しさを理解できませんでした。私の不明をお許し下さい。そしてどうか出馬して楚へ反撃して下さい」
「陛下。楚を攻めるには60万の兵をもって事に当たりませんと迎え撃つ自信がございません」
「もちろん! 閣下のおっしゃる通りに致します!」
と頭を下げたのだ。王翦は60万の兵を預かり、楚を撃退して滅亡させた。
このように不必要ならすぐに解任、死刑をし、必要ならば王自ら平気で頭を下げたのだ。
人を人とも思わぬ独裁者。
人を愛する心を失ってしまったのだ。
そんなものが権力のトップでは、人民たちは毎日が生きた心地がしなかったであろう。
国家が人を殺すのは悪ではないのか?
議論が分かれるところではあるが、始皇帝にとっては人民など使い回しの利く便利な動く道具だったのかも知れない。
だが始皇帝とて、最初からそんな人間ではなかった。
※ストーリーの関係上、フィクションも加えております。
※書かれていることには諸説ございます。
文中注
【韓非】韓の公子であるが吃音があるので疎まれた。政治論を書物に書き記したものを秦王政は大変気に入った。性悪説(笑)でお馴染みの荀子の門下。