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崖っぷち、柵の向こうにいた俺が振り返ると、そいつはすぐ後ろにいた。
そいつは全身黒ずくめで、真っ黒なトレンチコートを羽織っているのに、足元はビーサンという奇妙ないでたちの若い男だった。
「え?」
俺が振り返ってびっくりしているようだ。
「俺はもう死にたいんだ。だからほうっておいてくれ。」
「は?」
「俺には…もう何もないんだ。」
そういって俺は今までを振り返る。
「俺は…俺は何にも悪いことなんてしてないんだ…何も…ホントに、本当に善良に生きてきたのに!
なのに、山田がやったミスを全部押し付けられて…
しかもなんかいつの間にか横領してることになって会社首になっちゃうし。
新聞に載ったせいで再就職もできない!
親だって俺がやったと思ってるし!
なんで自分の子どもぐらい信じらんないんだよ!
しかも弁護士まで「自白したらどうなんですか」とか、お前は弁護する側の味方じゃないのかよ!
ありえないじゃないか!
しかも拘留中も誰も来てくれなかった!
ミヨコだって来てくれないんだぜ!
5年も付き合ってるんだから心配ぐらいしたっていいじゃねーか!
しかもやっとの思いで豚箱から出てきたと思ったら「おかけになった番号は…」って!!!
なんだよ!
俺はホントにやってないんだよ!
しかもフェイスブック見たらアキヒロと付き合ってるとかありえないだろ!
アキヒロもアキヒロだよ!
幼稚園から一緒だったのに親友の彼女寝取るって頭おかしいだろ!
あいつは俺が冤罪だって知ってたはずなのに…
あいつ山田と一緒に高級寿司屋に行ったって絶対横領した金使ってるじゃねーか!
ありえない!」
ホント、もう、思い出すと怒りとともに涙が出てきた。
「俺は!
子どものころから嘘もつかない、いじめもしない、万引きもしないでいたのに、どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ!
俺は何にもしてないんだ!
課長だって部長だって、あれは絶対俺がやってないってわかってるだろ!
わかってて山田と一緒に焼肉いってたんだろ!
それだって全部警察に話したのに…しかも全額返済義務ってなんだよ!
一千万とか、ありえないだろ!
俺の通帳の中身見ればどこにそんな金があるっていうんだよ!
なんで俺があいつらが食った鮨代焼き肉代払ってやらなきゃいけないんだよ!
そんな理不尽で奴隷みたいな生活するぐらいなら死んだほうがましだ!」
そう。
「だから、だから死んであいつらを、この世の中を、呪って祟ってやるんだ…」
だから俺はこの世とはおさらばするんだ。