魔法 5
ばんっ、と何かが弾けるような音がした。
大司教がルーリーの血で呪文を書き、魔法が始まって以降、光に飲み込まれたララサララは、何もわからなくなっていた。ただ、何かが弾ける直前、マーリーの声を聞いた気がした。
気が付いたとき、ララサララは、魔法が始まる前と同様、丸い部屋の中央に座っていた。
(どうなったのだ?)
龍青玉になってしまった実感はない。縛られたままだが体は動く。何やら額が痛い以外は、特段の怪我もなさそうだ。
ひゅん、という風切り音が聞こえて、ララサララは顔を上げた。眼前には、吊されたルーリーと、呆然とした顔の大司教、憤怒の表情のカカパラスがいる。
そして、ルーリーの猿轡が、飛来した短刀に切り裂かれたところだった。
「目を覚ましなさい! 金翠の歌姫!」ノースが叫ぶ。
ルーリーの瞳がゆっくりと開かれた。
大司教がしまったという顔をする。
カカパラスの剣がルーリーへと振るわれる。
しかし、すでに遅かった。壁に吊されていたルーリーは、いつの間にか、部屋の中央に立っていた。
「陛下……ご無事で」
「ああ」
ルーリーが小さく何かを呟くと、ララサララを縛っていた縄が弾けた。
ララサララは周囲を見渡し、床に倒れたマーリーを見つけた。マーリーは額飾りを口に咥え、手は後ろで縛られている。床に倒れて気を失っていた。その胸には、龍青玉が砕けてしまった首飾りがあった。
「マーリー!」
「陛下。その子を頼みます」
ララサララが何かを言う前に、ララサララとマーリーは、部屋の隅へと移動していた。ノースのすぐ脇だった。同時にマーリーの手を縛っていた縄が弾ける。
ルーリーの詠唱の速さは尋常ではなかった。ララサララでは、聞き取ることも、いつ詠唱したのかすらわからない。これが、覚醒した〈金翠の歌姫〉の力なのか――
「陛下」ノースだった。
「大隊長。何がどうなった?」
「その子が魔法を阻止しました」
「そうか」
ララサララはマーリーを見つめた。愛おしさがこみ上げ、その頬を撫でる。そして、一瞬でその感情を押し込め、顔を上げた。
部屋の中央では、ルーリーがカカパラスに向かい合っていた。
「お久しぶりです、殿下」
「〈金翠の歌姫〉。子爵邸以来だな」
「私が愚かだったばかりに……殿下の企みに乗せられてしまいました。でも、元々は我ら一族から始まったこと。これを終わらせるのは、私の役目です」
ルーリーが言い終わらないうちに、床の金属板がひしゃげ始めた。刻まれた魔法文字が消えていく。
「あああ! 魔法式が!」大司教が叫び声を上げて床に這いつくばるが、その目の前で金属板は崩れ、砂になり、風に舞った。
異変を察知した深紅の騎士達が部屋に飛び込んできた。しかし、ルーリーが口笛の様な音を発すると、全員吹き飛ばされ、動かなくなった。
カカパラスはルーリーを睨み付けた。
「これで終わりではない! もうすぐ〈黒の森〉が消える。港から上陸した軍も、この国の兵など簡単に蹴散らすぞ!」
ルーリーは悲しそうに首を振った。
「あなた達は、結局真実にはたどり着けなかった。女王を龍青玉に結晶しても、女王の心からの想いにしか魔力は発動しない。ババカタラ王の想いは未だに健在です。あの方が、〈黒の森〉を消す等という野蛮な魔法に答えるはずがない」
「で、では……」大司教が恐る恐る声を上げた。
「そう。ララサララ陛下を龍青玉に結晶させても、無駄だったということです」
大司教はがっくりと肩を落とした。
しかし、カカパラスは逆に、肩をふるわせて笑い出した。
「ははははは! そういうことか。なるほど、そこには俺は気付かなかった。しかし、無駄ということはないぞ」
「?」
ルーリーが怪訝な顔をする。
「俺が、ババカタラ王と同じ魔法を使おうとしたら、きっと失敗しただろう。しかし、俺への恐怖ってのは、上手くいったんじゃないか? きっとララの中には、俺への恐怖が溢れていただろうからな」
「もしそうだとしたら、それは悲しいことです」
ルーリーはカカパラスに向かって左手を掲げた。カカパラスの手にある剣が、弾かれて部屋の隅に転がる。
それを見たララサララは、「待て!」と叫んでいた。
「それ見ろ、ララは俺を殺すのが怖いそうだ」
「陛下。これは私が勝手にすることです。陛下が負うべきことではありません」
「だめだ、母さん!」ララサララの腕の中で、マーリーが叫んだ。
ルーリーが思わず振り向いた。その一瞬をついて、カカパラスが〈玉座の間〉へと飛び出した。
「しまった!」ノースが慌てて後を追う。
「ごめん、ララ」マーリーが体を起こした。
「いや。気持ちはわかる。母君に人殺しをして欲しくなかったのだろう?」
「……」
「これは我が王家の問題だ。裁き、葬るなら、私がやらねばならぬことだ」
「陛下!」ノースが慌てて戻ってきた。「王子殿下が……」
「?」
ララサララは瓦礫を乗り越え、〈玉座の間〉へと足を踏み入れた。
瓦礫が溢れ、硝子が散乱した広間には、深紅の騎士にやられた騎士が倒れ、怪我をした騎士達がうずくまっている。しかし、誰もがしんと静まりかえり、部屋の中央一点を見つめていた。
そこには、血ぬれて倒れたカカパラスの姿があった。
そして、手に剣を持ち、呆然と立っているのは――パパマスカ・バラオ前王だった。




