魔法 2
気が付くと、ララサララは椅子に縛り付けられていた。小さな丸い部屋の中央。正面の壁には、龍青玉が仕込まれた鎖と、革の紐で緊縛されたルーリーが吊されている。その脇には、何やら不満顔の大司教が立っていた。
首を巡らせると、左手の壁に空いた大穴から、瓦礫の山と化した〈玉座の間〉が見えた。王国の騎士団と、深紅の甲冑を着た騎士達が睨み合っている。右手に目を転じれば、女性を象った像を、深紅の外套を着た魔術師らしき三人が取り囲んでいた。淡く青白く光るその像は、〈始まりの母〉ババカタラ王が龍青玉に結晶したもの――さっき夢で――夢だろうか?――会った女性だった。外套の魔術師達は、像に向かって魔力を注ぎ込んでいるように見える。やはり、あれはあれで何かに使おうとしているようだった。
そして、それを見つめるのはカカパラス――
マーリーとミーネも、この〈王の宝物庫〉にいるはずだった。しかし、ララサララの視界が及ぶ範囲にはいない。おそらく、背後にいるのだろう。
「気付かれましたか、陛下」大司教サン・パウバナが低い声で言った。「偽者を取り込んで何やら画策されたようですが、ここまでです。もう、すべての準備が整いました」
「……余を、ババカタラ王と同じにするのだな?」
「もちろん。陛下はここで、カカパラス大帝国の礎となるのです」
「カカパラス大帝国?」ララサララは呆れて呟いた。
「そうだ!」
脇から声を上げたのはカカパラスだった。
「この、ちんけな王国だけで俺が満足すると思ったのか? ララ。世界は広大だ。アニシャ連邦も、ベスーニャ帝国さえも越えて、大陸はさらに西に広がっているのだ。ここを起点として、まずはアニシャ東方三国をまとめる。それから西へ。やがては、大陸すべてを支配下に治めてみせるぞ」
「余の結晶を使って、逆心を押さえつけてか?」
ふふん、とカカパラスは鼻で笑った。そして、足下の金属板を、がんがんと踏みつける。敷き詰められた金属板の、そこだけが新しいものに取り替えられているようだった。
「ババカタラ王は、ここに民達の安寧を願う、と刻んでいた。甘い。刻むのは〈恐怖〉だ。俺に対する、絶対的な恐怖だよ!」
「……」
「いいか、ララ。百年前に施術をした魔術師……大司教だったようだが、そいつは命を失わず、一族を引き連れてこの国を去ったという。精霊大聖堂に記録があったよ。そして、この女はその末裔だ」
カカパラスはルーリーを指さした。
「もし、その魔術師が命を捨てるまでしていたら、どうなっていたと思う? この国に攻め込んだマーテル王国軍だけでなく、もっと広範囲の魔術を最初から指向していたらどうなっただろうな? この規模で百年続いたのだ。十年に絞れば、大陸全土を魔法の支配下に置くことも可能だと思わないか? 十年もあれば、俺はことを成し遂げてみせるぞ」
「そんなことはさせない」
「なぜだ?」
「兄上は、民達のことを考えていない。民ひとりひとりのことを何も考えていない。心を恐怖で縛り付けて支配するなどと、そんなこと、余は王として許すわけにはいかない!」
「ははははは。だから甘いというのだ。支配者がひとりひとりのことなど考えていたら、兵も動かすことができない。それに、最終的に一つの国に統一されれば、民達も幸せだろう。犠牲などあって当たり前。さっさとお前が龍青玉となれば、犠牲は少なくてすむぞ」
「そんなものは幸せではない。民達は、そんなことは望んでいない」
「お前は民に期待をし過ぎだ。誰だって、長いものに巻かれたいのだ。それは、この三ヶ月で、お前も身に染みたのではないか?」
王宮朝議を仕切る三諸侯。それに迎合する官吏達――たしかに、一度は挫けた。でも、自ら考え、なんとかしようという芽は、必ず頭を出すものなのだ。その小さな芽を、大切に育ててやることが大事なのではないか。やがて、一面に花が咲くのを信じて――
「迎合した結果は、やがて本人に還ってくる。つけが回ってきたとき、迎合し続けた者には、それに対処する術がない。だから、誰もが自ら考え、自分で選んで歩かなければならないのだ。そうしてできた道は、国は、心から愛することができる。それが強き国で、幸せな国だ!」
「ララ……お前は王には向いていないな」カカパラスが嘆息した。「お前の理想論は、結局は民を殺す。なら、民達は何も知らない方が幸せだ」
「そんなことはない!」兄妹の話に割って入った声は、マーリーのものだった。「ララの言葉は未来に繋がっている。誰もが、この国の未来が、自分達の未来だと信じることができるんだ」
がつん、という鈍い音がして、マーリーが呻いた。外套の魔術師のひとりがマーリーを蹴ったようだった。ララサララは唇をかみ、カカパラスを睨み付けた。
「何をどう理屈をつけようと、決着はついたのだ。最終的に生き残り、王となった者が勝ちだ」カカパラスは傲然と言い放った。
「殿下、準備が整いました」
大司教の言葉に、カカパラスは小さく頷いた。
大司教は部屋を横切ると、大理石の柱の一つに手をついた。そして、もごもごと詠唱を行う。直後、大音響と共に柱と壁が吹き飛んだ。
部屋の隅では、ババカタラ王の像が輝きを増していた。像を囲んだ三人の魔術師は、詠唱の声を上げ、揃って手を頭上に挙げた。光を増した像は小さく揺れ始め、それが次第に大きくなり、やがて、ふわっと床から浮き上がった。合わせて魔術師達の体も浮く。
「行け!」
カカパラスが号令を発すると、像を囲んだ陣形を維持したまま、三人と一体は壁の穴を抜けて外へと飛び出した。残りの魔術師ふたりも、飛翔魔法で後を追う。
「何をするつもりだ?」
「〈黒の森〉を消し去るのですよ」答えたのは大司教だった。
アプ・ファル・サル王国とデル・マタル王国の間に横たわる広大な〈黒の森〉。その広さは、アプ・ファル・サル王国全土より広い。――それを消し去る?
かつてマーリーが言った。ババカタラ王の龍青玉は使えないのか? と。
守護魔法――カカパラスが行おうとしているのは、すでに守護魔法ではないのだが――それを行うには、強大な魔力が必要だ。魔術師に魔力を補充させるより、若い女王の命を魔力に変えられるのなら、その方が効率が良い。なにより、この場に残されている魔法式は、生身の女王から龍青玉を結晶させるものなのだ。可能な限り変更は加えたくないのだろう――そうすると、ババカタラ王の龍青玉はお払い箱となる。もちろん捨てることはないのだろうが、カカパラスらの謀略の中に、その使い道はないだろう、とララサララは思っていた。せいぜい、後々、他国を牽制するための象徴にでも使うのだろうと考えていた。しかし――
さっき見た夢が本当に過去の王国の出来事だというなら、ババカタラ王の龍青玉は、〈黒の森〉を消し去るなどという目的には使えない。使えないはずだ。――しかし、ババカタラ王の意志が風化しつつあり、そこに新たな魔力を注ぎ込まれた場合、魔術師達が意図する魔力が発動しないとも限らない――
仮にララサララが龍青玉に結晶しても、人々の心にカカパラスへの恐怖を植え付ける、等という操心魔法は使えないはずだ。ララサララはそんなことは望んでいない。しかし、それが失敗しても、〈黒の森〉がなくなってしまっては、アプ・ファル・サル王国はデル・マタル王国の前に裸にされたようなものだ。現状の王国の兵力では、攻め込まれたらひとたまりもないだろう。
「あれだけ巨大な龍青玉に、魔術師五人が魔力を可能な限り流し込む。その力は計りしれないでしょう」大司教がうっとりと語った。
「おしゃべりはその位だ。こっちも始めろ」カカパラスの言葉に大司教は頷き、壁に吊されたルーリーへと歩み寄った。
結局、ババカタラ王の意志が残っていることを祈るしかないのか、とララサララは唇をかんだ。




