ババカタラ王 2
アプ・ファル・サル王国暦十九年。長月十日。
アプ・ファル・サル王宮の〈玉座の間〉は、悲愴な空気に包まれていた。
十二日前にアプ・タリルの港の沖合に姿を現した、テルメノ王率いるマーテル王国軍は、破竹の勢いでアプ・ファル・サル王国を侵攻していた。二日前には、王都ファル・バラオの守りが破られ、残るはこの王宮のみとなっていた。
建国から十九年目のアプ・ファル・サル王国には、充分な兵力がない。元々、山から海にかけての小さな町や村の寄り合いだ。自衛と称して、各州に数千人ずつの兵と、王都に千人程度の騎士がいるにはいるが、彼らの普段の仕事は戦ではない。治安維持を担当し、役人の末端として機能し、橋や道を造る土木工事をして、日々過ごしていたのだ。そんな彼らが、戦い慣れた二万の軍勢に曝されたらどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだった。
それでも、彼らは、魔法武具という優位があるので何とかなるだろうと思っていた。アプ・ファル・サルで造られる魔法具や魔法武具は、他国のそれの追随を許さない精緻巧妙さだった。〈魔法槍〉一本とっても、並のそれ五本分に相当する威力を発揮する。
しかし――結局は使う人間次第なのだということを、アプ・ファル・サル王国の兵達は知ることとなる。
開戦から六日目。アプセン州とマーテチス州の州境付近で、何とかマーテル王国軍を押し止めていたアプ・ファル・サル王国軍は、突然、南側面から新手の攻撃を受けた。王国の南には、一度入ったら二度と抜けられぬといわれる広大な〈黒の森〉が広がっている。そのため、アプ・ファル・サル王国軍は、南側にはまるっきり注意を払っていなかったのである。それに対してマーテル王国軍は、馬一頭に魔法使いと騎士をひとりずつ乗せるという組み合わせで、飛翔魔法を使って馬ごと〈黒の森〉を越える攻撃に出た。後に〈飛行騎士〉と呼ばれることになるなるこの編成は、アプ・ファル・サル王国軍の度肝を抜いた。飛来したのはたった十騎だったにもかかわらず、アプ・ファル・サル王国軍は総崩れとなり、態勢を立て直すことができないまま、雪崩を打って王都ファル・バラオまで後退することになってしまったのだった。
「進退窮まりましたな」
宰相ゲルニス・ガダーテンが重々しく言った。誰もが思っていたが、誰も口にしないできた言葉だった。言葉にしたが最後、それは動かぬ真実となってしまう。しかし、ゲルニスは自らの宰相という立場を良く理解していた。
「陛下、ご決断のときです」
〈玉座の間〉に居並ぶのは、宰相を筆頭にした王宮の役職者達、騎士団長や参謀、そして、王都まで追い込まれてしまった諸侯達だった。宰相の言葉を受けて、彼らの視線は一点に集中した。
「ゲルニスの言う通りね」
全員の視線を受け止めて、アプ・ファル・サル王ババカタラ・バラオは言った。装飾の少ない暗赤色のドレスの上に革の鎧をつけ、腰には銀の剣を帯びている。その頭上に王冠はなく、龍青玉をあしらった額飾りつけていた。すでに五十歳を過ぎた女王の藍色の瞳には、疲労が色濃く表れていた。
広間の中央に置かれた大きな卓上には、アプ・ファル・サル王国の地図が置かれている。王国軍を表すしるしは、今や王都ファル・バラオにしかない。赤い筆跡は、マーテル王国軍が刻んだ傷だ。地図に向かい合い、女王は厳しい表情を湛えていた。
「テルメノ王は、この国の魔法技術が欲しいのよね。ということは、王宮が落ちれば民達は助かるでしょう。でもその場合、あなた達を辛い目に遭わせることになるわね」
ババカタラは広間内を見渡した。
「陛下。我々は陛下と共にあるを喜びとしています。誰も、自分だけ助かりたいなどと考えている者はおりません」
騎士団長ミザル・サナイの言葉に、広間中の人間が頷いた。
「ミザル、皆もありがとう。最後に少しだけ時間を頂戴。半時ほど……心の準備がしたいわ」
誰もが無言で頷くと〈玉座の間〉を後にした。ババカタラは、地図上の王都ファル・バラオを愛おしそうに撫でると、卓の前から踵を返した。




