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ノース 5

 ノースはいったん王宮を出ると、裏手に回った。裏門や勝手口とは別に、目立たない扉がもう一つある。それは、地下牢への入り口だ。

 扉の脇には、騎士がふたり衛兵として立っていた。牢が使われていないときには衛兵は立たない。捕らえられたという母親の魔術師が、地下牢に投獄されているためだった。

 ノースは扉に近づくと、衛兵に敬礼をした。「ご苦労様。入れるかしら?」

 ふたりの衛兵は返礼し、ひとりがしゃちほこばって答えた。「中に分隊長がおります。どうぞお入りください」

 ノースは軽く手を挙げて衛兵を労い、扉の中へ入った。地下牢への入り口に当たる部屋には、第九六分隊の騎士三人が詰めていた。騎士団の最低構成単位である分隊は定員五人。外のふたりを合わせて全員だ。

「ブリューチス大隊長ではありませんか」

 年配の男がノースに気付いて敬礼をした。第九六分隊長ターカスだ。第二大隊所属の第九六分隊はノースの配下ではなかったが、ノースは彼を知っていた。以前、剣の試合で手合わせをしたことがあった。

「仕事中にごめんなさい」ノースは返礼し、他のふたりへも労いの言葉をかける。「晩餐会の日は大変だったようね。私、今日戻ってきたばかりなのよ」

「大隊長も、お父上のこと、お悔やみ申し上げます」

「もう歳だったからね。大往生だと思うわ」

「晩年は、王国史の研究を熱心にされていたと伺いましたが」

「趣味だっただけよ。集めた資料と本が多くて大変よ」

 ノースは笑い、ターカスも微笑んだ。

「例の魔術師、ここに投獄してあるんでしょ? 顔を拝んでおこうと思ってね。さっき、ミューカス大隊長には話を聞いたわ」

 騎士団の大隊長が、犯罪者の顔を見ることに不思議はない。ターカスは頷くと、鍵の束と蝋燭を乗せた燭台を手にとった。

「では、私がご案内いたします」

 ノースはターカスに続いて地下牢への階段へと足を踏み入れた。

 この地下牢が使われることは、実はめったにない。ノースが騎士になってから二十年近くが経つが、その間ここに投獄された罪人は初めてだった。町で罪を犯し、騎士団や州兵に取り抑えられた場合は、それぞれ、町や州城にある牢に入れられる。ここ、王宮の地下牢は、王宮内で取り抑えられた重犯罪人のみに使用されることになっていた。だから、ノースがここに入るのは、騎士になった最初の年に王宮内研修で見学して以来だった。

 苔生こけむした暗く細い階段を降りると、突き当たりには重厚な扉がある。ターカスは蝋燭の灯りを頼りに、鍵を鍵穴へ差し込んだ。

 地下牢は全部で六つ。中央の通路を挟んで、左右に三つづつ並んでいる。人ひとりが横になるのがやっとの小さな牢の前には、頑丈な木の扉が据え付けられていた。扉には、目の高さと、地面すれすれの高さに小さな覗き窓が空けられている。上の窓は監視用。下の窓は食事の出し入れなどに使うためのものだ。通路の突き当たりの壁に松明たいまつが一つ揺れている。今下ってきた階段とは別に、換気孔が設けられているようだった。

「ここです」ターカスが、突き当たり右の牢の前で言った。

 ノースは頷き、覗き窓から中を見た。

「!」

 思わず息を飲む。牢の中は青白い光に満たされていた。

「魔術師を押さえ込むための〈魔法封じ〉です」

 両手両足を鎖に繋がれた魔術師は、牢の壁から吊り下げられていた。それぞれの鎖には龍青玉が仕込まれ、さらには、壁にも、床にも、龍青玉と魔法文字が仕込まれている。太い革の紐で猿轡さるぐつわをかまされた魔術師は、ぐったりと目を閉じていた。

 しかし、明るい輝くような金髪と、その面影は、マーリーの母親だと疑う余地はない。歳は三十代半ばで、ノースと同じくらいかと思われた。

「すごいのね」ノースはため息をついた。

「はい。なんでも〈金翠の歌姫〉とか言う、稀代きだいの魔術師だそうです。暴れ出した当初は、三諸侯の方々や騎士団では歯が立たなくて、陛下と大司教閣下が〈魔法封じ〉を復活させて、ようやく取り抑えたとか」

「あなたは、陛下が〈魔法封じ〉を復活なされたところを見たの?」

「いえ。第九六分隊は、王宮外の警護担当でしたので。中は別の分隊が」

「そう」

 王宮内には、いたるところに警護のための魔法が仕掛けられている。それらは、王と司青署卿のふたりでかけていると聞いていた。ララが女王ならば、〈魔法封じ〉のかけ直しはできないはずだ。

 ――いや、そうとも言い切れないか。

 王も、司青署卿も、時と共に人が入れ替わる。そして、龍青玉を使った魔法は、人を選ばずに発動するように組むことができる。でなければ魔法具などが成り立たない。とするならば、〈王〉と〈司青署卿〉ではなく、〈王の持つなにか〉と〈司青署卿の持つなにか〉が揃えば、術者は選ばないということではないだろうか。王といえば、まず思い浮かぶのは〈王冠〉だ。アプ・ファル・サル王の王冠には特大の龍青玉がはめ込まれている。そして、司青署卿のあかしは〈署卿の指輪〉だ。司青署卿に限らず、署卿に任じられた官吏かんりには、王から証に〈署卿の指輪〉が授けられる。それは、退任のときには王へ返還し、次の人物へと受け継がれる。

 ララは王冠をつけていなかった。晩餐会の夜、司青署卿である大司教が王冠を手にしていれば、王が不在でも、〈魔法封じ〉をかけ直すことができた可能性はある。

「ありがとう。もういいわ」

 ノースは牢の前から離れた。きびすを返し、なにげなく別の牢を覗く。特に理由があっての行動ではなかった。そこは、魔術師の牢とは反対側、入り口から見て、通路左側二番目の牢だった。

「?」

 ノースは目を疑った。覗き窓から入る松明の灯りに、横たわる人影を見たような気がした。

「ああ、そこは、怪我をした女官です。魔術師の仲間だったとか」

 扉の前で固まっているノースに、ターカスが何でもないような口調で言った。

 ノースは燭台を借り、中を照らしてみた。それは、見たことのある顔だった。ララサララ付き女官のリル。上半身に包帯を巻き、木の床板にすぐに横たえられたリルは、もはや虫の息だった。

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