ノース 1
アプ・ファル・サル王国騎士団第八大隊長ノース・ブリューチスは不機嫌だった。
昨晩、父の葬儀を終えて、明け方まで親戚一同飲み明かしたのだ。なにがあったかは知らないが、こんなに朝早くたたき起こされては堪らない。
ノースは寝乱れた肩口までの赤毛を紐で強引に括ると、水桶から柄杓で水を飲んだ。
「まだか、ノース」
家の外から叔父のだみ声が聞こえる。ノースを叩き起こしたのはこの叔父だ。もっとも、父の葬儀全般を取り仕切ってもらった手前、あまり邪険にすることもできない。
「はいはい。女は準備に時間がかかるの」
「騎士団の大隊長なんてやっててなにが女だ。早くしろ」
もう一杯水を飲むと、ノースは仏頂面で家の外に出た。
ノースの感覚ではまだ早朝だと思っていたのだが、日は随分と高くなっていた。照りつける太陽が二日酔いの目にはまぶしい。
「で、何があったの?」
「親父さんの墓の供え物を盗み食いしたガキどもがいるんだ」
「盗み食い?」
墓に供えた果物は、一晩おいた後、葬儀の手伝いをしてくれた人達に配るのが、この町ファル・ベルネの慣例だ。今朝、ノースの叔父は、果物を回収するために墓地へと赴いた。すると、果物はほとんどなくなっていて、墓地の隅で子供ふたりが食べかすと共に寝ていたというのだ。
「墓地で寝てたって、誰よ? アントン? マラカ? それともペント?」
「だから、町のガキじゃないんだ。小綺麗な服を着た小汚いガキどもだ」
「どっちよ……」ノースは苦笑した。「いくら父さんのお墓だからって、叔父さんが小言の一つも言ってくれればそれで済むじゃない」
「いいから」
そうしてふたりは、町の中央にある広場までやってきた。広場には人集りができていて、その中心に子供がふたり立っていた。
長い褐色の髪に藍色の瞳。真っ赤なドレスを着た女の子。
明るい金髪に翡翠色の瞳。絹のシャツを着た男の子。
たしかに、ふたりとも晩餐会にでも出るような装いだが、随分と汚れてしまっている。町の住民に取り囲まれているにもかかわらず、ふたりとも意外と堂々としていた。
「ほら、おまえらが食べた果物は、こいつの親父さんの墓に供えられていたものだ。罰当たりが」
叔父が言い、ノースの背中を押した。
図らずも輪の中心に押し出されてしまったノースは、仕方なく口を開いた。
「あー……、君達名前は?」
「僕はマーリー」と男の子が答える。
「余はララサララ・バラオだ。何度言わせれば気が済むのだ」と女の子が言った。
ララサララ・バラオ? それは、この王国の女王の名だ。
ノースはもの問いたげな顔で叔父を振り返った。
「ずっとその調子なんだ。まさかとは思うがよ、おまえなら女王の顔も知ってるかもしれないと思ってな」
騎士団の通常業務にはアプ・ファル・サル王宮の警護も含まれている。騎士団第八大隊長たるノースは、当然女王の顔を知っている。しかし、この女の子がララサララ女王その人か、と問われると自信がなかった。たしかに似ている。しかし、こんな所に女王がいて、しかも盗み食いをしたなどという状況が理解できない。
「私はノース・ブリューチス。君達、なんで盗み食いなんかしたの?」
「二日間何も食べてなかったんです。だから、申し訳ないとは思いましたが、分けてもらいました」
「なんで二日間も?」
「新しい魔法具を試していて放り出されたんです。ずっと向こうの草原の真ん中に」
「その魔法具は?」
「どこかに、飛んでいってしまいました」
ノースの質問に答えるのは、ほとんどマーリーと名乗った男の子だった。ララサララと名乗った女の子は、仏頂面で周囲を睥睨している。
「あなたに訊きたいのだけど」ノースは女の子に向かって言った。「ララサララ・バラオというのは、この国の女王様の名前なのだけれど?」
「もちろんだ」
ノースは深いため息をついた。どう判断したものだろうか。あごに手を当て、下を向いて考えを巡らせる。
百歩譲って、空飛ぶ新しい魔法具を女王が試しに使ってみる、ということがあったとする。何しろ十五歳の女王だ。そして、制御が上手くいかずに暴走し、一緒に乗っていた男の子と共に放り出された――
ノースは男の子を見た。女王が仮に本物だとしたら、この子は誰なのだろう?
「ねえ、君……」
ノースが顔を上げたとき、ひゅっ、と何かが耳の脇をかすめて飛んだ。
「!」
人垣の中から投げられた小さな石礫は、女の子の額に当たった。
「嘘つくんじゃねーよ」どこかからそんな声が上がった。
それをきっかけに、あちこちから罵声が飛んだ。
「ララ女王を騙るなんて、とんでもないガキどもだ!」
「女王様がこんな所にいるわけがないだろう!」
「その服だって、どっかから盗んできたんだろう?」
「本物の女王様なら、〈行幸の御証〉があるはずだろう!」
「そうだ、そうだ」
〈行幸の御証〉とは、王の行幸に合わせて、天と地から光が溢れる現象のことだ。それは、精霊の秘儀を受けたアプ・ファル・サル王の証だとされていた。
罵声が罵声を呼び、広場は騒然となった。
次々飛んでくる石を避けるでもなく、女の子は憮然と立ちつくしている。
男の子は女の子の前に立って、必死で彼女を庇っている。
「やめなさい!」
ノースは一喝した。大隊で号令を発するときの要領で、腹の底から声を出す。
罵声が止んだ。
「この子達の盗み食いは当然見逃せないけど、騎士団第八大隊長としては、寄って集って子供をいたぶるのも見逃せないわ」
ノースが周囲を見渡すと、人垣がそわそわと揺れた。
「この子達が言っていることは私が確認を取ります。それでいいわね?」
「お前がそう言うなら、それでいいさ」ノースの叔父が小さい声でぼそぼそと答えた。
パン! とノースが一つ手を打つ。これで終わり、という合図だ。ノースの剣幕に気圧された群衆は、足早にその場を後にした。
「さあ、君達。ここじゃあ何だから、私の家にきてちょうだい。傷の手当てもしないと」
男の子が「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
女の子はといえば、額から流れる血を拭おうともせず、憮然と立ち続けていた。