道行き 2
翌日の昼過ぎ、草原を横切る道にぶつかった。馬車が二台ぎりぎりすれ違える程度の細い道には、新しい轍がくっきりと残っている。荷馬車が普段使っている道のようだった。
轍を見つめて考えていたララサララは、道を左へとたどり始めた。
しばらく行くと、道の両脇に木立が現れ始めた。やがてそれは密になり、ほっとするような木陰をいくつも作り出した。微かに湿り気を帯びた風も吹いてきた。
道の先は、こんもりとした林へと続いていた。
相変わらず人は見かけず、家も畑もない。それでも、ララサララは迷わず歩を進めた。道があるのだから、いずれは町にぶつかるだろうと思われた。
林に入ってしばらくすると、ララサララが足を止めた。
「水の匂いがする」
マーリーも立ち止まって辺りを伺った。水の匂いはわからなかったが、微かな水音を聞きつけた。林の右手奥からだ。
ララサララが構わず道を外れ、林の中に踏み込んだ。枝が盛大に伸びた夏の林の中を、ララサララはずんずん進んでゆく。ドレスが枝に引っかかり、いくつも鉤裂きを作っても気にする様子もない。
次第に水音は大きくなり、木々が途切れた先に、小さな川が姿を現した。
「!」
ふたりは転がるようにして川岸までたどり着くと、顔を沈めるようにして水を飲んだ。息が続かなくなるまで水を飲み、顔を上げて荒い呼吸をし、さらに水を飲む。気が済むまでそれを繰り返して、ふたりはようやく人心地がついた。
マーリーは川辺に座り込んで空を見上げた。隣で、同じようにララサララが空を見上げている。
「水ってこんなに美味しかったんですね」
「そうだな」
「二日間も水を飲まなかったなんて初めてですよ」
「そうか……。私は二回目だ」
「え?」
しかし、ララサララはそれ以上は何も語らなかった。
やがてララサララは立ち上がると、川を遡って歩き始めた。道へ戻るよりも、水のあるところを歩いている方が安心だと思ったのだろう。
マーリーも黙って後に続く。魚でも捕れないかと、川面に目を凝らしながら歩いていた。
「五日間だ……」突然、ララサララが言った。
何のことだかわからず、マーリーは言葉を返すことができなかった。
「大理石の柱の中の、棺のような狭い空間に、五日間飲まず食わずで隠れ続けた」
さっきの話の続きであることに、ようやくマーリーは気付いた。
「どうしてそんなところに?」
「身を守るためだ」
ララサララは吐き捨てるようにそう言った。後ろを歩くマーリーには、彼女がどんな顔をしているのか見ることはできなかった。
「三ヶ月前、師の教えを受けているときに、突然賊に襲われた。師は慌てて私を大理石の隠し扉の中に押し込め、魔法で蓋をした。そして、リルに発見されるまでの五日間、飲まず食わずで隠れ続けた」
「三ヶ月前……」
それは、ラド親方が話してくれた、王の代替わりがあったという時期ではないだろうか。
「想像できるか?」
「……いえ」
ララサララは歩き続けている。
マーリーはララサララの背中を見つめていた。
「漆黒の闇だ。微かな空気の流れと音だけが外との繋がりだ。自分の排泄物の臭いで息が詰まるのだ。中から開くことは叶わず、誰かが開けてくれるかどうかもわからず、それ以上に、皆生きているのかどうかもわからず……、発狂することも叶わず」
風一つなく、息をひそめたように大気が澱んでいる。容赦のない夏の日射しの中、風景が色あせて見える。
「師が閉じた扉が開かぬのだから、師は死んだと、まず思った。きっと政変があったのだろうから、父王も死んだのだろうと思った。ならば、母様も死んだのだろうと思った。皆死んだのだと思った。自分は何故まだ生きているのかと思った……」
ララサララの足が止まった。そして、絞り出すように言った。
「いっそ、闇に溶けてしまいたいと思った」
「常闇を望むと……」
「あのときと同じだ。あのときは師に助けられ、師は死んだ。遺体を見たわけではないが、おそらく死んだのだろう。今回はリルと、そなたの母君に助けられた」
とぼとぼと、再びララサララの足が動き始めた。
マーリーはかける言葉が見つけられず、ただその後ろを歩き続けた。
たくし上げたスカートから出たララサララの足は、驚くほど細かった。裾からはみ出した膝まである下着の下に、真っ白なふくらはぎが露わになっている。そこにいくつかの切り傷を見つけて、マーリーはいたたまれなくなった。さっき、林を抜けたときにできた傷だろう。
何か言わなくては、とマーリーは考え、結局何も思いつかなかった。
ならば歌ってみようか。
――新緑に映える銅の髪
陽光きらめく藍の瞳
春の香まいて野を駆ける
若き清しきその息吹
雨雲払う風の唇
宵闇散らす明の声
踏みし草原咲き誇る
紅き瑞しき立ち姿
厳しき誓いの王の冠
民草愛でる慈悲の掌
山原海と精霊の
満つる麗しき邦の長
いつの間にかララサララは立ち止まり、歌うマーリーを見つめていた。
マーリーが照れくさそうに微笑むと、ララサララはぷいっと顔を背け、勢いをつけて歩き始めた。
「もう一度だ」
「?」
「もう一度歌ってくれ」
「はい!」
それからマーリーは、請われるままに、繰り返し歌ったのだった。




