晩餐会 5
灯りが消えた瞬間、マーリーはルーリーに舞台の外に突き飛ばされた。
舞台の下で多々良を踏み、ようやく体勢を立て直したところで、声がした。
「灯りはまだか!」
「?」
それはララサララの声に似ていたが、違和感があった。声は、食卓の上座、ララサララが座っていた辺りから聞こえた。暗闇の中、マーリーが声のした方向に目を凝らしたのと、青白い光の矢が声の主を貫いたのが同時だった。
「!」
ララサララが撃たれたと思い、マーリーは駆けだした。舞台は、広間の廊下側の壁面、つまり、壁を背にして、窓を正面に見る位置に設えられていた。舞台から見るとララサララの位置は右手。しかし今、マーリーは舞台前左隅にいて、ララサララからは距離があった。わずかな星明かりの中、右往左往する人々にぶつかりながら、マーリーは大きな食卓を回り込んでララサララを目指した。
そして、明かりが灯る。
背後の舞台上では、ルーリーが大司教に詰問されていた。
食卓の陰で、リルという黒髪の女官が怪我をして倒れており、傍らにララサララが座り込んでいた。声の主はこの女官だったようだ。
マーリーがほっとしたのもつかの間、年配の女官が何やらララサララに声をかけ、弓矢のような武器に指をかけた。
(何かあったら、女王陛下をお守りしなさい)
マーリーは、無我夢中で年配の女官の体を突き飛ばした。魔法の矢は間一髪狙いが逸れ、ララサララの頭を掠めて、背後の窓を砕いた。
「陛下に何をするんだ!」
マーリーはララサララと年配の女官の間に割り込むと、背中で彼女をかばった。
年配の女官が体勢を立て直し、再び矢を撃とうとした刹那、舞台の上で突風が弾けた。ルーリーを囲んでいた三諸侯と騎士達は、あっという間に吹き飛ばされ、広間の隅に転がった。
風は緑がかった金色の燐光をまとっていた。それは、龍青玉の魔力とは明らかに違う発光現象。精霊との契約と詠唱によって導かれる、太古から連綿と続く魔術師の魔法。そして、風の中心にいるのはルーリーだった。
「マーリー! ララサララ陛下をお守りしなさい!」ルーリーは叫ぶと、胸の前で手を叩き合わせた。
「我はルーリューシュ・ファブナック。金翠の父母と我が名において願い奉らん。妙なるその歌声を我に唱せよ! 猛き風の精霊達よ!」
凛然たるその詠唱に呼応するように、風はますます強くなり、渦を巻いて広間を満たした。
風の中から、ルーリーがマーリーに何かを叫んだ。しかし、マーリーには聞き取ることができなかった。
ルーリーの詠唱が高らかに響き、金色に光る激しい風がララサララとマーリーに吹きつけた。ララサララは思わず、目の前の背中にしがみついた。
金翠の魔法の風は、ララサララとマーリーを巻き込み、強引にすくい上げた。ふたりの体は窓を突き破り、あっという間に露台を越え、夜の空へと浮く。王宮も、王都さえも、瞬く間に彼方へと消えた。
そのあまりの速度に、目を開くのもままならず、感覚が麻痺していく。しがみついた背中から、ただマーリーの体温だけが伝わってくる。今にもかき消されそうな意識の片隅で、ララサララは思った。
――女官長が自分を殺そうとしたのは、何故だろうか?
――兄上とリルの父が首謀者だという。何故だろうか?
――身代わりで怪我を負ったリルは、大丈夫だろうか?
――自分を逃がしたルーリーは、どうなるのだろうか?
――私は、王国は、一体どうなってしまうのだろうか?
ララサララは意識を失う直前、背中から回した手を、マーリーがぎゅっと握りしめるのを感じた。
同時刻。
デル・マタル王国、ブリスター子爵邸の一室。
子爵邸の主人ブリスター子爵と、アプ・ファル・サル王国の第一王子カカパラス・バラオが向かい合って座っていた。
「そろそろ頃合いだな」
「まったく、殿下には参りましたな。私は、〈金翠の歌姫〉が気に入っておりましたのに」
「私も気に入ったよ。彼女が私の王国の礎となってくれれば、この上ない喜びだ」
侍従のひとりが部屋に入ってきて、子爵に耳打ちをした。
「殿下、出発の準備が整いましたぞ」
「そうか。アプ・ファル・サルからの報告はまだこないのか?」
「お待ちになりますか?」
「いや、すぐに出発しよう。パウバナ大司教ならば上手くやるだろう。それに、報告を待って時期を逸してはいけないからな」
「お心のままに」
「うん。初代ババカタラ・バラオの百年の守護魔法。今度は私が使わせてもらう。カカパラス大帝国建国のために、ララサララと〈金翠の歌姫〉を人柱としてな。ふたりにも、こんな光栄なことはあるまい」
夜の子爵邸に、カカパラスの不敵な笑い声が響き渡った。