出逢い 4
控えの間を出たリルは、ルーリーを小さな倉庫のような部屋へ導いた。部屋の中に積み上げられた大小様々な箱には埃が厚く積もっていて、普段人が立ち入らないことを示していた。
「良くお気付きになりましたね」とルーリーが切り出した。
「最初に気付かれたのは陛下です。〈麗しの王国〉の兄の節を《跳ね回り》と歌うのは、女王陛下が兄君を揶揄した替え歌だそうです。ご家族しかご存じないことだとか。ですから、カカパラス王子殿下のこと、何か知っているのではないかと」
晩餐に招いたのは、それを確認する時間を得るためだという。
「では、私が子爵閣下の伝令だということも?」
「いえ。そこまではお気付きではありませんでした」
リルとしても確信はなかった。しかし、予感があり、ブリスターの名を出したのだった。
「子爵閣下からのお手紙です」
ルーリーは首飾りを胸元から引き出すと、その下げ飾りの中から、小さく畳んだ紙を取り出した。リルは、手にした〈灯石〉の下で手紙を開いた。
「カカパラス王子はご存命。三諸侯の背後には三国あり。黒幕の魔術師に注意……」
「昨年の穀物の統制価格が引き金になって、アニシャ東方三国では、アニシャ連邦からの脱退の気運が抑えようのないところまで高まっています」静かな声でルーリーが言った。「これまでは、他の連邦七ヶ国との軍事力の差が、三国に二の足を踏ませる原因になっていたようですが……、もう時間の問題でしょう」
「そこまで……」
リルは手紙を見つめながら唇をかんだ。しかし、そのことと手紙の内容とに、どんな関連があるというのだろうか。
リルの心は祖国デル・マタル王国へと飛び、ルーリーの想いもまた、かの国出発前夜へと引き戻された。
今を遡ること二十日。場所はデル・マタル王国の首都マテン。ブリスター子爵邸の一室。時は夜だった。
「ブリスター子爵閣下。大変ご無沙汰しております」ルーリーは深々と膝を折った。
「おお、懐かしいな〈金翠の歌姫〉。相も変わらず美しい」
ブリスター子爵が大仰に言った。すでに六十に手が届こうかという歳のはずだが、髪も黒々として精力に溢れている。しかし、彼の顔に刻まれた深い皺は、長年の権力闘争に敗れた没落貴族の悲哀を感じさせるに充分だった。
「たしか子供がいたはずだな。もう、大きくなっただろう」
「はい。男の子がひとり。今年で十五になりました」
そうかそうか、と子爵は目を細めた。
「姫様方も、皆様お美しくなられましたでしょう」
「どうかな。どうしても贔屓目に見てしまうからな。それに、皆しばらく会っておらぬ」
子爵の娘達は、各国の王宮へと散っている。
「それはともかく、まず君に紹介したい人がいる」
先ほどから、子爵の後ろでルーリーを眺めていた青年が、すいっと前に進み出た。
「カカパラス・バラオです。どうぞ、お見知り置きを」
「まあ……」
褐色の短髪、活力に溢れた藍色の瞳、大きな体、素早い身のこなし。アプ・ファル・サル王国の〈豪胆王子〉の噂ならルーリーも聞いたことがある。
「お初にお目にかかります。王子殿下」
「妹に王位を取られてしまいましたから。王子といえるのかな。はははは」
アプ・ファル・サル王国の国王代替わりの噂は、ルーリーも耳にしていた。しかし、笑う彼の声に、鬱屈はまるっきり感じられない。妹のララサララが王位に就いたことに、本当に拘っていないように見うけられた。
一通りの挨拶が済むと、ブリスター子爵がまず歌を所望した。いくつかの候補が挙がったが、カカパラスが是非聴きたいというので、最初にアプ・ファル・サル王国の民謡〈麗しの王国〉を歌うことになった。各国を渡り歩く歌い手ルーリーは、当然その歌も知っていた。
子爵と王子が長椅子に腰掛け、ルーリーは部屋の中央に立った。
――母なる海はいと深く 父なる山は遙かなり
愛しき風は清らかに 頼もしき日の輝ける
誇りは我ら胸に満ち 名は世界に響き行く
ああ、麗しの麗しの アプ・ファル・サル
姉なる川はいと速く 兄なる原は豊かなり
優しき雨に包まれて 静かなる月に導かる
言葉は我ら胸に満ち 人は世界を渡り行く
ああ、麗しの麗しの アプ・ファル・サル
精霊の紡ぐ言の葉と 太古の龍のちから石
祖母の残せし綾模様 祖父の残せし金細工
魔力は我ら胸に満ち 法は世界を支え行く
ああ、麗しの麗しの アプ・ファル・サル
夜の子爵邸に歌声が響き渡る。ルーリーは三番までを朗々(ろうろう)と歌い上げた。
「噂以上だ。お見事!」カカパラスは立ち上がると、渾身の拍手でルーリーを讃えた。「我が国でも、こんなに見事な〈麗しの王国〉は聴いたことがない」
「ララサララ殿下は歌がお上手だと伺いましたが」
「足下にも及びませんね。なにしろ私を揶揄して、《兄なる原は跳ね回り》なんて替え歌を作って喜んでいるくらいですから」
カカパラスは笑い、ルーリーも子爵も笑った。
続いて子爵が注文した曲が歌われ、しばし、部屋は音楽堂と化したのだった。