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マーリー 1

〈東の海〉に面した、アプ・ファル・サル王国の港町、アプ・タリル。

 少し前に大きな貿易船が入港し、港は大いに活況を呈していた。

 そんな岸壁の一角、積み上げられた木箱や麻袋の脇に、なにやら人集ひとだかりができていた。人々の輪の中心にいるのは、翡翠色の瞳を持ち、腰までの金髪が美しい三十代半ばと思しき女性と、同じ髪の色をした十四〜五歳の少年。ふたりの面立ちは良く似ており親子と知れた。簡素だが清潔な異国風の衣装に身を包んだ親子は、笑顔で集まった人々に向き合っていた。

 母親が一歩前に進みでると、大きく息を吸った。

 そして、歌い始めた。


 ――母なる海はいと深く 父なる山は遙かなり

   愛しき風は清らかに 頼もしき日の輝ける

   誇りは我ら胸に満ち 名は世界に響き行く

   ああ、麗しの麗しの アプ・ファル・サル


 異邦いほうの美しき母が歌ったのは、アプ・ファル・サル王国を讃える歌。この国に住まうもので、この〈麗しの王国〉を知らぬ者などいない。

 どこまでも透き通った彼女の歌声は、初夏の港に響き渡り、伝説の妖怪〈海歌姫うみうたひめ〉よろしく人々の心をとらえた。〈海歌姫〉は、その妙なる歌声で船乗り達を虜にし、海へ引きずり込むという。

 徐々に港の喧騒けんそうが清々しい静寂に取って代わり、歌声が三番までを歌いきった頃には、声の届く範囲の人々が皆、耳を澄まして聴き入っていた。

「ご清聴せいちょう、ありがとうございます」

 鈴を転がすような美しい声で金髪の母が礼を言い、長いスカートの裾を広げて膝を軽く曲げた。誰もが余韻をかみしめるだけの時間を経て、地鳴りのような拍手が巻き起こる。旅の歌い手らしい親子は、港町アプ・タリルの人々の心を、一曲で虜にしたのだった。

 母親と入れ替わりに前に出た少年が、万雷の拍手を手で制すると、高らかに言った。

「皆様にこれからお目にかけまするは、はるか南西アニシャ連邦が一国、テテン王国王宮で起こった悲しき物語です。お代は観てのお帰りに」

 そして、傍らの荷物から数枚の仮面と弦楽器を取り出すと、仮面の一枚をつけ、楽器を足下に置いた。

 それに合わせて、今度は母親がついと前に出る。

「時は春。テテン王国の勇猛なる第一王子アグシャータは、恋に落ちました」

「ああ、愛しのメメーラよ!」

 髭面の仮面をつけた少年の声は、青年の男の声に変わった。

〈うそつき面〉だ、と誰かが言った。それは、魔力で仮面をつけた者の声を変える、〈うそつき面〉と称される魔法具だった。仮面の額には小さな青い石がはめ込まれ、それが微かに光を帯びている。やはり同じような石で飾られた弦楽器が、ポロロン、と勝手に音を紡ぎ始める。これも魔法具で、〈風の弦〉と呼ばれているものだった。

 親子は〈風の弦〉の旋律に乗り、いくつもの仮面を使い分け、複数の人物を演じ分けてゆく。仮面を入れ替え、同じ人物を母と子が状況によって入れ替わって演じたりもする。そして、折々に挿まれる美しい歌声――

 観衆はうっとりと物語に引き込まれ、いつしかアグシャータとメメーラの悲恋ひれんの物語は、最高潮を迎えていた。

「アグシャータ! 私の誇り高き獅子! 再びの命が許されるなら、今度こそ!」

 吊り目の女性の仮面をつけた母が言う。

「メメーラ! その思いは我も同じぞ!」

 髭面の仮面をつけた少年が言う。

 そして、物語は幕を下ろした。

 親子は仮面を外して立ち上がると、深く一礼をした。ふたりが顔を上げたときには、この日二度目の拍手の嵐が巻き起こっていた。

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