出逢い 2
案内された控えの間で、マーリーはルーリーに歌詞のことを質した。しかし、ルーリーは人差し指を立てて唇に当てただけで、何も答えはしなかった。その話題には触れるな、ということらしい。
歌の一節を意図的に間違えたことで、ララサララは顔色を変えた。ルーリーに何らかの思惑があったとしか思えない。しかし、それは何なのか――いくら考えても、マーリーには見当もつかなかった。
「失礼いたします」
丁寧な声がして、黒髪の女官が部屋に入ってきた。手にした盆には立派な茶器が乗せられている。彼女は慣れた手つきでお茶の準備をすると、ふたりに向かって「どうぞ」と言った。
「申し遅れました。私は、女王陛下付き女官のリル・ブリスターと申します。本日は、おふたりのお世話を申しつかっております。何なりとお申しつけください」
「お世話になります」とルーリーは頭を下げた。「もしかして、ブリスター子爵閣下の?」
「はい。父をご存じでしたか。それはそうとルーリー様、早速で申し訳ありませんが、晩餐の席について、事前にご説明したいことがございます。ご一緒いただけますか?」
「わかりました。マーリー、少し待っていてね」ルーリーはそう言い置き、リルと共に部屋を出て行った。
マーリーはひとり、控えの間に残された。そこは小さな部屋だったが、大きく取った西向きの窓から、アパ・カタラ連峰の峰々を見渡すことができた。峰の向こうに沈み行く太陽が、空を朱に染め、なんとも言えない美しい眺めだ。
ルーリーとリルはどこまで行ったのか、部屋の外に人の気配が感じられず、辺りはとても静かだった。
「僕の歌を聴いてみたいって、そう言ったよな」マーリーは口に出して呟いてみた。
港町アプ・タリルで、王都ファル・バラオへの道程で、いたるところでララサララ女王の噂を耳にした。それらを心中で勝手に膨らませていたマーリーだったが、実際に目通りがかなった瞬間、その鮮烈な印象は、彼の想像を一瞬で吹き消してしまった。
艶やかに輝く褐色の髪。少し目尻の上がった気の強そうな目と、龍青玉のような藍色の瞳。白い肌、桜色の頬。少し大きめの口は、歌を歌ったらさぞ声が通るだろう。マーリーより頭一つ小さい体躯からは、女王の気品が溢れているように感じた。ごてごてと下品に着飾った娘達に囲まれていたために、余計にそんな印象を持ったのかもしれない。
マーリーは窓際に立ち、今にも夕日が沈もうとしている峰に目をやった。
自然と、歌が口をついて出た。
――新緑に映える銅の髪
陽光を映す藍の瞳
早春の原を吹き抜ける
若き清しきその息吹
パチパチパチ――と手を叩く音が背後から聞こえて、マーリーは振り返った。
「それは、私のことか?」
「は……」
そこに立っていたのは、ララサララ女王その人だった。
マーリーは慌てて片膝をつこうとしたが、足がもつれて盛大に転んだ。
ぷっと吹き出すのが聞こえた。続いて、笑い出すのを懸命に堪えている様子が伺えた。しかし、ついには、あはははと大きな笑い声が部屋に響き渡った。
笑っているのはもちろんララサララ女王で、マーリーは呆然とその様子を見つめた。さっきの老成した微笑みではない、十五歳の少女の笑いだった。
ひとしきり笑いの発作に身を委ねたララサララは、ようやく落ち着くと、目尻の涙を拭きながらマーリーに向き直った。
「すまん。笑い事ではないな」
「いや、その……。気になさらないでください」
「こんなに笑ったのは久しぶりだ」
マーリーがまだ怪訝そうな顔をしているのを見て、ララサララは手をひらひらと振った。
「さっきのは表向きの言葉遣いだ。自分のことを普段から〈余〉などと言っていられるか。慣れろ、とリルには言われるけどな」そして再び、ララサララは楽しそうに笑った。
いつの間にか完全に日は落ち、部屋の中も暗くなりつつあった。ララサララは自然な仕草で、部屋の隅にある燭台の上に〈灯石〉を灯して回る。〈灯石〉は火を使わずに灯りをとる道具で、アプ・ファル・サル王国最大の輸出品だ。龍青玉を使った魔法具で最も普及しているものでもある。龍青玉の放つ青白い光が、部屋を明るく照らし出した。
「通りかかったら歌が聞こえた」
ララサララは、手近な椅子にすとんと腰を下ろすと、リルが置いていった茶器に手を伸ばした。手つかずの茶碗の中身を近くの壺に空ける。そして〈常湯瓶〉を手に取ると、慣れた手つきで新たに茶を入れた。〈常湯瓶〉の中には、決して冷めない湯が満たされている。
「飲むか?」
「そんな。女王陛下にお茶を入れてもらうなんて」
慌てて卓に駆け寄り自分で入れようとするマーリーを、ララサララは睨み付けた。
「王だって茶ぐらい入れる。何だと思っているんだ」
そして、およそ女王らしくない仕草で、ぐいっと茶を飲み干した。
「さて、まだ答えを貰っていないが」
それは、私のことか?――という、最初の問いのことだろう。マーリーは顔を赤らめつつ答えた。
「はい……。今、作りました」
「そうか。まあまあだな。でも、私なら、《陽光を映す》は《陽光きらめく》とする。それから、三節目は《春の香まいて野を駆ける》の方が良い」
自分を讃える歌だというのに、ララサララは臆面もなく言い、「歌ってみよ」と続けた。
マーリーは歌詞を何度か口の中で転がすと、背筋を伸ばしてララサララに向いた。
――新緑に映える銅の髪
陽光きらめく藍の瞳
春の香まいて野を駆ける
若き清しきその息吹
うん、とララサララは頷き、満足そうに拍手をした。
「躍動感が違うであろう」
もちろんマーリーもそれを認めたので、ララサララはしてやったりと眼を輝かせた。それから、詞の違いによる解釈や、旋律等について楽しそうに語り始めた。だから、「是非陛下も歌ってみてください」というマーリーの提案は、ごく自然なものだった。
しかし、途端にララサララの表情が強張った。「晩餐の席で三番まで作って披露しろ。約束だ」そう言い放つと、立ち上がって踵を返した。
マーリーは、突然のララサララの豹変に慌てた。
マーリーの慌て振りを見たララサララは、くるっと振り向くと、小さな手を差し出した。
「楽しかった。また、晩餐の席で会おう」
マーリーが片膝をついてその手を受けようとすると、ララサララが窘めた。
「違う。約束の握手だ」
「……」
マーリーはあわてて服で手の汗を拭い、ぎごちなくララサララの手を握った。
きゅっと握り返されたその手は、小さく、華奢で、少し冷たかった。




