ララサララ 6
ララサララの湯浴みの世話はリルひとりの役目だった。
かつて小さい頃、ララサララとリルは一緒に湯船に浸かったこともあった。しかし今、スカートの裾を絡げ、袖をまくったリルは、湯殿の隅に控えていた。
十人は同時に入れようかという広い湯殿の周囲には、季節の花々が飾られている。窓はないものの、〈遠見鏡〉という大きな魔法具が据え付けられ、王宮の物見塔からの眺めを映し出していた。しかし、朝のひとときと、湯浴みのひとときは、ララサララとリルがふたりきりになれる貴重な時間だ。のんびりと〈遠見鏡〉を眺めている場合ではなかった。
「父王と母様のこと、何かわかったか?」
誰もいないとわかっていても、ララサララは声を潜めて訊いた。女王専用のこの湯殿には、侵入防止の強固な魔法が巡らせてある。その強力さは王宮内でも屈指だ。
「平原候が言うところの離宮の場所は、なんとか特定しました。しかし、おふたりのご様子まではまだ」
「そうか……」
バラオ王家は、王領でもないマーテチス州に離宮など持っていない。それは、王家の人間であるララサララが一番良く知っているし、かつて、諸侯達もそんなことは認めてこなかった。王に忠誠は誓うが州は諸侯のもの、というのが彼らの立場だったのだ。しかし、平原候ジョシュ・マーテチスは、平然と「私めが陛下にご提供いたしました」と宣った。
「あのブタ候めが……」
「姫様。お言葉が下品です」
リルは、隣国デル・マタル王国の没落貴族、ブリスター子爵家の四女だ。権力闘争に敗れ、治める土地を失い、閑職に追いやられたリルの父は、娘達を各国の王侯貴族に女官として仕えさせることにした。長女は隣国ガガーラ皇国のガガーラ城へ、次女は北の大国ベスーニャ帝国の皇宮へ、三女はシャル・バダ国の王宮へ、そして四女のリルはアプ・ファル・サル王国の王宮へ。十歳で王宮にやって来たリルは、持ち前の人懐っこさで、すぐに周囲に溶け込んだ。女官長にも可愛がられ、年齢が近かったことも手伝ってララサララ付きとなる。素性の確かさと、没落とはいえ貴族として育てられた教養、それらがものをいったのは言うまでもない。
「兄上の方はどうだ」
「デル・マタルの父からはまだ何も」
「続けて頼む」
「はい」
リルの父親は、意味もなく娘達を各国に送り込んだわけではない。彼は、娘達に王宮を中心とした人脈と情報網を作らせ、黙々と情報収集をしているようだった。もちろん、彼女らが王侯貴族の目にとまることも、期待しているに違いなかった。
ララサララが押し黙り、湯殿に重い空気が流れた。どこかから落ちた水滴が、陶器の床に当たって甲高い音を響かせる。〈遠見鏡〉には、灯火が煌めく王都ファル・バラオが映し出されている。
「姫様、歌を歌いましょう」
突然、リルが明るい声で言うと、立ち上がった。
「なに?」
「母なる海はいと深く〜」
リルが歌い始めたのは、アプ・ファル・サル王国を讃える〈麗しの王国〉だ。湯殿に巡らせた魔法は中の音を外に漏らさない。それを良いことに、リルは声を限りに張り上げた。
一番を歌い終えたとき、ララサララがリルを止めた。
「もう良い。下手くそが」
「酷いです姫様。子供の頃は上手い上手いと誉められたのですよ」
「子供が歌えば、誰でも誉める」
リルがぷーっと頬を膨らませ、それを見たララサララは吹き出してしまった。「なんて顔をしておるのだ」
「じゃあ、姫様が歌ってください」
「……」
一瞬の沈黙。そして、ララサララは湯船から立ち上がった。
「上がる」
「はい」
リルは素早く浴布でララサララの体を拭きにかかった。
「明日は、旅の歌い手をお召しになるのでしょう?」とリル。
「ああ。楽しみだ」
ララサララの弾んだ声は、小さく湯殿に響いて、そして消えた。