ララサララ 2
「本日もご機嫌麗しゅう。陛下」
鉱山候ヴラン・サリュルの慇懃な挨拶を、ララサララは僅かな首肯のみで受けた。場所は王宮の朝議堂。一日置きに開かれる、定例の王宮朝議の席である。
大きな会議用卓には、上座のララサララに続いて三諸侯が座し、王宮六署六部の長達が席を連ねている。ちなみに、六署―司青署・司紅署・司紫署・司墨署・司翠署・司黄署―の各長は〈署卿〉、六部―吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部―の各長は〈尚書〉と呼ばれている。尚書については、六人の他に尚書令という役職があり、合計七人となっていた。
出席者が全員揃っていることを確認すると、鉱山候は議事を進行し始めた。順に、各署卿、尚書から議題が提出されていく。鉱山候と共に、平原候ジョシュ・マーテチスも、港湾候ゴース・アプセン二世も、中心となって議題を裁いていた。
「各州から先月の生産高について報告が上がっております」
王国の産業を統括する司翠署卿が、資料を片手に発言した。
「まず、サリュル州の龍青玉ですが、採掘量が二六〇貫(約九八〇キロ)。国内加工用にサリュル州内で八六貫、マーテチス州へ一六二貫。原石の輸出のためにアプセン州へ二二貫です。続いて、マーテチス州の魔法細工ですが、生産量は金額にして……」
「そこまででよい」
太り肉のあごを揺らして、平原候ジョシュ・マーテチスが、面倒臭そうに言った。
「は?」
「三諸侯がこの場にいるのだ。皆、自州のことなど承知している」
「しかし、陛下に……」
「我らは陛下の後見ぞ。我らが知っていれば、陛下がご存じなのと同じこと。無駄な時間を使うな」
司翠署卿はしばし呆気に取られたような顔をしていたが、気を取り直して口を開いた。
「しかし閣下、この王宮朝議では、三州間の取引価格や、全体の生産量の釣り合い等を検討しなければなりません。それを考慮した上で、場合によっては勅令を……」
「それは我々が日頃気にかけている」平原候の語気が荒くなった。「それとも卿は、我々が好き勝手をやって、私腹を肥やしているとでもいうのかね?」
「いえ……そのようなことは」
結局、司翠署卿は引き下がらざるを得なかった。それでも、司翠署卿は骨のある方だといえる。彼は、ことある毎に筋を通そうとしているからだ。ララサララ女王が即位して三ヶ月。三諸侯が女王の後見と称して王宮朝議に顔を出すようになって以降、殆どの署卿や尚書は、三諸侯の顔色を伺うことに終始するようになっていた。
そもそも、王宮朝議とは、日々王宮の官吏から提出される議題を王が裁く場である。王族と宰相、六署六部の各長以外には参加資格はない。つまり、本来は三諸侯に参加資格はないのである。
アプ・ファル・サル王国は、大きく〈王領〉と〈候領〉とに分けられる。王が直接統治するのが〈王領〉で、諸侯が統治するのが〈候領〉だ。〈王領〉は王都ファル・バラオのみ。州と呼ばれる〈候領〉は三つあり、それぞれが治める侯家の家名を冠している。アパ・カタラ連峰の麓、龍青玉を産する鉱山を有するサリュル州。タリル川流域に広がり、かつては農業が栄え、今や魔法細工の工房が軒を連ねるマーテチス州。そして、アプ・タリル等の港町と、沖合いの島々をまとめるアプセン州。この三つの候家の当主が、総じて三諸侯と呼び習わされていた。
候領は法も税も基本的には独立している。しかし、大綱は王宮が定めており、それを外れていないか、常に目も光らせている。さらに、王には国内最上位の裁判権が与えられており、各州が大綱から外れるようなことをすれば、是正の勅令が下される。これを決めるのが王宮朝議である。つまり〈王宮朝議〉とは、アプ・ファル・サル王国の〈王権そのもの〉である、といえた。そこに三諸侯が関与するようになっては、バラオ王家の権力は有名無実となってしまう。
それまで黙って聞いていたララサララが口を開いた。
「余はその報告を聞いてみたい」
司翠署卿の顔がぱっと明るくなった。しかし、平原候が勢いよく立ち上がると、ララサララを睨み付けた。
「まだお勉強中の陛下におかれましては、報告を聞かれましても判断にお困りになるでしょう。私が後刻ご説明いたします故、ここは先へ進めては如何かと存じます」
ララサララが答えを思案しているうちに、今度は鉱山候が口を開いた。
「では、話もまとまったようですので、次へと進みます」
ララサララはため息をつくと、諦めた。司翠署卿は悔しそうに下を向いている。
アプ・ファル・サル王国は小さな国で、王族の下にはたいした官僚組織がない。家族経営的に王が裁き、建国以来百二十年間、上手く国を経営してきた。宰相が空位のことが多く、パパマスカ王のときもそうだった。それは今でも変わらず、だから、三諸侯が朝議を仕切っていることに異を唱えることができる者がいない。
――よく、今までバラオ王家の統治が続いたものだ、とララサララは思った。王国の歴史には政変の類はまるっきり出てこない。王家は国民に慕われ、王国は穏やかな歴史を百二十年もの間刻んできた。一方で、他国からの侵攻を受けることもなかった。豊富な龍青玉と高度な魔法技術が、他国の目に魅力的に映らないはずがないにもかかわらずである。
この点については二つの定説があった。一つには、北のベスーニャ帝国と南のアニシャ連邦の二大国が両睨みをしているため力が均衡している、という説。もう一つは、アプ・ファル・サル王国が強力な守護魔法に守られているという伝説を、周辺の国々が信じているから、という説である。
ララサララはどちらの説も怪しいと思っていた。アニシャ連邦の歴史はアプ・ファル・サル王国よりも浅い。かつて、周辺地域の力関係が異なる時期も長かったはずだ。そして、伝説の守護魔法については、王族たるララサララがその存在を知らない――。きっと、奇跡的な百二十年が続いたに違いないのだ。
これだけ平和な国では、王の仕事は多くない。祭りや行事はともかく、政治的な仕事は王宮朝議に集約されていたのだ。それすら、議題が少ないために、宰相が空位でもやってこれた。しかしそのことは、ここにきて三諸侯による王宮朝議乗っ取りを容易にしてしまった。もっと早くに、こういう事態になっていてもおかしくはなかった――
相変わらず朝議が続いている。そこにララサララの出番はない。それは、即位してから三ヶ月間変わらない。
ララサララは、ここ三ヶ月ですっかり習い性になってしまった、自己の思考への沈降を始めた。