プロローグ
漆黒の闇だった。
上も下も、右も左も、前も後ろも、冷たい大理石に閉ざされている。
まるで棺のようだと、薄れかけた意識の片隅で、彼女は思った。
どれほどの時間が経ったのだろうか。時間の感覚は完全に麻痺してしまった。空腹も渇きも限界を超えた。汗と排泄物による臭気も、気にならなくなった。
光がまったく届かないのに、換気孔だけはどこかに設けてあるらしい。そこを伝って、空気と共に、微かな音が伝わってくる。しかし、それに耳を澄ますことも、いつの間にかなくなった。
案外発狂しないものだな、と彼女は思った。気が触れてしまえば、こうして、ただ死を待ち続けることもなくなるだろうに。しかし、いつか自分の遺体が誰かに発見されたとき、発狂して死んだと、そう思われることは耐えられない。それは、彼女の最後の矜恃だ。一国の王女として、それだけは貫き通さねばならない。
声にならない笑いがもれた。こんな所に隠れていて、王女の矜恃が聞いて呆れる。まだ笑える自分に驚きつつ、彼女は残された力で笑い続ける。王女だと胸を張りたいのなら、賊を前にしてなお、毅然とするべきだった。いや、あれは逆臣の兵だったのだろうか? あれほど帝王学を説き、君主論を説いていた師は、侵入者の手に抜き身の刃を見るや、彼女をこの棺のような場所に押し込めたのだ。
白髪白髭の師の顔が浮かぶ。わかっている。自分が護身刀をかざしたとしても、凶刃に抗うことなどできはしなかった。師は、彼女の身を守ってくれたのだ。そして、おそらく生きてはいまい。
王族とは、毅然とした生き方こそを問われるのか?
それとも、その血を残し続けてこその王族なのか?
声なき笑いは続いていた。師の授業中、こんなにまじめに考えたことなどなかった。再び師に教えを請う機会があるなら訊いてみたい。そして、父王や母様や、兄上にも訊いてみたいと思う。王国の将来についても、もっともっと話し合ってみよう。
頬を涙が伝った。この石の棺に隠れてから、始めて流れる涙だった。
父王にも母様にも、兄上にも、そして師にも、おそらくもう会うことはあるまい。八代続いた王家は、父王の代で潰えてしまったのだ。
漆黒の闇が、全身を優しく包んでくれている。このまま、自分も闇の一部となろう。王宮の中にひっそりと造られた、大理石の虚を満たす、ねばりつく闇となるのだ。
消えゆく意識の片隅で彼女は願った。
このまま、永遠に闇でありますようにと――