明晰
アイリスは突然のフィリップの豹変に愕然としていた
蔑むような瞳で拒絶を露わにしながらフィリップはゴシゴシと執拗に手を拭く
口の中でブツブツと違うだのこんなはずではだのと意味の分からないことを呟いていた
私は不思議と傷つかなかった
いや不思議ではない
怒りが勝っていたのだ
王子様がこんな事言うわけない
王子様はこんな表情しない
王子様は優しくなくてはならない
王子様が私を嫌うわけがない
王子様が・・・
この怒りは私のものだろうか
それとも二年間夢見てしまったアイリスのものだろうか
どちらにせよ夢見る乙女の怒りは大きかった
気が付けば私は横にあった紅茶をティーポットごとフィリップにかけていた
「あらごめんなさい、まさか本物だったとは・・・
あまりに何時ものフィリップ様と違ったので偽物かと思ってしまいました」
これは本心だ
私のそんなはずないという自己防衛とアイリスの見下されたことによる怒りがそうさせていた
しかしすぐに我に返った
12歳の男の子が年増の女に鼻息荒く迫られたらどう思うだろうか
まぁ今は年若き乙女なのだが
「・・・・ぇっと・・フィリップ様」
口を開くより先にフィリップは地べたに這いつくばり身の毛がよだつような不気味な動きを始めた
地面に顔をこすりつけるように体を揺らすと
本当に偽物で、魔物か何かなのかと思うほど奇妙な声で哭いた
うごうごと地べたを這いずり回ると急にこちらに方向を変えものすごいスピードで私のほうに這ってきた
「ひぃぃっ」
思わず悲鳴を上げながら後ずさるがすぐに壁にぶつかる
獣のようなその動きの気味の悪さに私はつい足を振り上げていた
そして勢いよく突っ込んでくるフィリップの頭に
ガンッ
振り下ろしていた
ぺちゃんと床につぶれて動かなくなったフィリップを肩で息をしながら見下ろす
一体何が起きたというのか
まるで憑りつかれたかのようなその光景に私はただただ唖然とフィリップを見下ろした
「ウヒッ オホッ ウヘ・・・グフフフフフフ」
喉の奥から不気味な笑い声を紡ぎながらフィリップはずるずると起き上がった
恍惚とした笑みを浮かべながら彼は自分自信を強く抱きしめる
焦点の合わないその瞳は空中を彷徨う
「あぁ・・・これだ・・この感覚・・・・」
噛みしめるようにそう呟くと虚ろに宙をさまよっていた瞳が私のほうにグリンと向けられた
突然の動きが人間のそれとは思えない
たらりと鼻血が垂れたが本人は気にも留めていなかった
「あぁ、そうだ
おみ足に紅茶が跳ねていたから舐めて綺麗にして差し上げようと思ったのに・・・」
自分だけいい思いをしてしまったと頬を染めながら鼻息荒く言った彼にゾワリと背筋が凍る
やばい奴だ
ガラガラと理想の王子様像が崩れる
理想そのものと言ってもいいほどにフィリップは完璧な王子様だった
それと同時に強い嫌悪感を抱いた
気持ちの悪い性癖を持った野郎だ
自分の妄信的王子様愛を棚に上げて私は彼を見下した
それが彼を悦ばせていたのだが私はそんなことはどうでもよかった
少しして侍女が帰りを促しに入ってきた
びしょ濡れのフィリップにすぐさま私を見たがフィリップはそれを制した
「申し訳ございませんアイリス様と剣の話で盛り上がり、倒してしまいました
私の腕が引っかかっての事です。アイリス様のせいではございません」
にこりと笑う彼は先ほどのうごめく変態を内包しているとは思えない王子様っぷりだった
私はあの狂気を見ているせいもありその豹変ぶりさえもおぞましく思えた
そしてアイリスが剣の鍛錬が好きだという事を知っていることに恐怖を覚えた
着替えを持ってくるという申し出を断ったフィリップはせめてもと侍女にタオルを渡された
それではまたこれを返しに伺いますと笑顔で言う彼に私の顔の筋肉はひきつった
しかし侍女は私がうまいことやってフィリップと仲良く出来たと思い両親も喜ぶと褒めてくれた
公爵家には娘しか生まれておらず今後伯爵家から皇帝の側近になりうる人物が出る可能性が高いとのこと
クルイエス国家は貴族からしか皇帝は出ないものの世襲制ではない
伯爵家以上の地位を持った男児にチャンスはあるのだ
優秀なフィリップは十分にその可能性があると言われているが現皇帝は頭の悪い我が子に皇帝の座を譲ろうとしている
可能性は低いと私は思っている。
それにあんな変態が皇帝になったらこの国は終わりだ
彼のマゾヒズムは少々・・いやかなり異常であった
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そういえば
部屋に戻ろうと廊下に出た時ふとそもそもの目的を思い出した
父にカイリの出生について聞かないと・・・
正直そんな気分ではないしそれどころではない心境だった
本人は聞きにくそうにしていたし私が聞いてきてあげるという態度をとってしまった
大事なことだし後日にしようかとも思ったがきっとカイリは気が気じゃないだろう
仕方ない、今から聞いてあげるか
書斎に入ると父は驚いたように顔を上げた
「アイリス、そうしたんだ?」
書斎になんて入ったことがない
初めて父の真面目な表情を見た気がする
普段は私にデレデレで緩んだ顔しかしないからな
「父上」
「パパと呼びなさい」
「・・・・・・・・・・・パパ」
「どうしたんだいアイリス」
ご機嫌に笑う父親に苦笑いした
この歳でパパと呼ぶ日が来るとは
「単刀直入に聞くね、カイリってパパとも血つながってないでしょ」
ブフッ
私の発言によほど驚いたのかお茶を飲んでいた訳でもないのに何かを噴出した
「ななななななんでそう思ったのかなぁぁ??」
動揺しすぎじゃね
「単純に似てないし・・・
最近私お勉強してるんだけど、貴族からしか魔術使いが生まれないなんておかしいわ
平民で魔術が使えたらは貴族が買ってるんじゃないかって考えたの」
ここまで言うと流石に父の顔が険しくなった
「今のは、誰かにそう教わったのかい?」
「いいえ、私の考えだわ。それに、カイリは魔術を使えると思う」
「どうして?」
「殴ったとき、固すぎる事があるから」
私の言葉に父上は苦笑いをした
そう、アイリスは馬鹿だがこのことには気が付いていた
ふいに殴ると普通だが正面切って殴ると妙に硬いのだ
そして殴られたにもかかわらずケロリとしていてむしろ私の拳が腫れるのだ
思うに土魔法でとっさにガードしているのだ
ジッと見つめ続けると観念したように口を開いた
「あぁ、そうだよ
カイリは魔術が使える
この国では平民の子は出産時に魔力の有無を測定して魔力を持っている子は生んだ両親には申し訳ないが死産ということにして貴族入りするんだ」
「どうして母上に話さないの?」
そう聞くと父は苦い顔をした
「アイリスも子供を産めばきっと分かる。
命がけで生んだ我が子を取り上げるというのは、女性が聞いて気持ちのいいものじゃないからね」
じゃあどうして私の教えてくれたのか聞こうとして辞めた
ここまで考えが行きついているのだ。
変にはぐらかして他の人に聞きに行く事のほうがリスキーだ
「母上は、父・・・パパに別の女の人が出来たと思い悲しんでいるわ」
「分かってるさ、何も言わないということしか私には出来ないんだ」
なんだか悲しいと思った
ただ、最後の言葉が少し引っかかった
もし、その地位が言うことを阻んでいるのだとしたら私はどうだろうか
まだ10歳の私が口を滑らすことは禁じられているだろうか
父は母の心の負担を考えていた
例えば、コルテス家の末端の子爵が出産時に母体が命を落としたため父が我が子ということにして引き取っているという事にしたら・・・
隠した理由は直系の血縁者として不足と捉えられ今後不利になる可能性を考えて
なるほど、これならいけるかもしれない
まずはカイリだ
私は速足にカイリの部屋に向かった
貴族の地位とかなんやら調べてはいますがふわっとしてます・・・
間違いなどあれば教えて下さい。