誕生日
本日は私 アイリス・エル・コルテスは10歳の誕生日を迎えていた。
両親はアイリスにとにかく甘かった。
というのもなかなか子に恵まれず母親はプレッシャーに押しつぶされそうだった。
結婚生活5年目ようやくその時は訪れた。
食事時好物であるはずのものに吐き気を覚え婦人は食事の席を慌てて外した
ご懐妊である。
恋愛の末結婚したはいいがなかなか出来ない子に危うく妾が出来ようというタイミングであった
コルテス家はここクルイエス国家における伯爵家となかなかに良い家柄で跡取りに息子が出来ないのは大問題であった
そのためようやく出来た子に婦人は慎重になった
国のあらゆる術師を呼び自己の安産を祈らせた
細かな迷信も全て信じ御身のあり方がどうあるべきか逐一侍女に言いつけていた
そうして生まれた子は死産に近かった
泣かず真っ青に身を縮める姿にその場にいた全ての人が息をのんだ
しかし、その場に居合わせた一人の術師が何か唱えた瞬間ふっと息を吹き返した
その時私はこの体に“入った”のである
術師が唱えたのは異世界の魂を死にゆく命に入れるものだったのだ
禁忌とさせるその術は本来極刑ものだったが婦人はそれを黙秘させた
国の決まりに反しても我が子が必要だったのだ
生まれたのは女の子、またこの出産で子が出来なくなった婦人には結局のところ妾によって第二子となる男の子が出来たがこれは一旦おいておこう。
つまり一度死にかけた我が子に親は甘くなるのだ
全てのわがままを聞き入れアイリスは立派な高飛車令嬢に育った
家庭教師は何人も手に負えないと出ていき
専属の侍女も一人、また一人と逃亡するかののように出て行った
そんな彼女は8歳の時同じ伯爵家の フィリップ・ノックト・リュータスの誕生日に招待されていた
フィリップはそれはそれは優秀で見た目も美しい少年だった
すっかり心を奪われたアイリスはフィリップと踊りたい一心で今までわがまま放題でまともに受けていなかった礼儀作法と社交ダンスの勉強に励んだ
この2年間、彼女は両親も驚くほど頑張ったのだ
そんな娘を喜ばせようと誕生日パーティーはフィリップはもちろんたくさんの令嬢や令息を呼んだ
それが間違いだったのだ
アイリスはフィリップにこそ夢中だがその他はどうでもよかった
ましてや大好きなフィリップに他の令嬢が声をかける様に耐えられなかったのだ
そして事件は起きた
少しトイレに行った際声をかけてきたのはフィリップと同じ年、12歳の キーシャだった
彼女も前からフィリップに気があったためアイリスの視線が自分のそれと同じだとすぐに気が付いた
「お誕生日おめでとうございますアイリス様」
「えぇ、ありがとう」
なぜこんなところであいさつしてくるのかと戸惑ったが礼儀作法の勉学で自分の行動によってコルテス家の品位が下がることがあるとしっかり分かっていた
ましては本日は主役である
スカートの裾を少し持ち上げ立派にあいさつした
しかし彼女はふっと笑いすれ違い様にぽそりと耳元でつぶやいたのだ
「あなたみたいなのがフィリップ様に釣り合うと思って?
ダンスに誘おうなどさぞかしフィリップ様も迷惑しているはずですわ」
頭に一気に血が上るのが分かった。
元々短気なのだ
それに使用人たちが出て行ったのは彼女がわがままで短気だからだけではない。
騎士団長の息子のロールズ
日々鍛えている彼は唯一アイリスの友人であり唯一ちゃんとアイリスにやり返すことの出来るの喧嘩相手であった
アイリスはロールズに勝つため日々トレーニングしていたのである。
つまりわがままで短期で腕っぷしの強い令嬢なのだ
使用人たちは性格にも手を焼いていたがその暴力性に逃げ出したのである
アイリスは通り過ぎようとしていたキーシャの着飾られた絢爛な金髪をつかむとグイっと引き寄せた
「きゃあっ!い・・いたい!!離して!!」
そう叫ぶキーシャにアイリスはにやりと笑った
「先ほどの無礼、お謝り下さったので許してあげるわ」
訳が分からんといったキーシャの顔をちらりとみると床に伏せさせるように彼女を倒した
「はーぁトイレに来ただけなのにとっても不愉快」
そう大きな声で言うとトイレの個室に足を向ける
その後姿をギリリと歯を食いしばって見るキーシャに気が付かなかった
彼女は売られた喧嘩を買っただけ
ただ、やり過ぎてしまうのだ
トイレを済ましパーティーが行われている中央広場に戻るとキーシャが私に見えるようにお皿をもって会食していた
これは クルイエス国家におけるパーティーではよくあることなのだが自身のお皿にマーカーとしてクリップを止める。
大体は装飾品として身に着けるブローチと対になっておりちょっとした会話の際などに置いても互いの皿が分からなくならないようになっている
しかし、キーシャが持っているのは私の皿だったのだ
わざとだ
明らかな嫌がらせに腹が立った。
何よりブローチとクリップは母上が誕生日にと今日くれたものだった
ぴちゃりとソースがクリップに飛び装飾品の宝石を濡らしたのが見えた
あら、いけない
そういいながらゴシゴシと拭く姿に心中が穏やかなはずがなかった
少なくとも周囲が見えなくなるほど腹が立った
「ちょっと、それ私のよね?」
自分より背の高いキーシャを見上げると演技がかった素振りで首を振る
「存じませんわ」
その態度に腹が立ってつかみかかろうちした時だった
「アイリス様」
すっと間に入ったのはフィリップだった
「対になっているブローチがあるかと思います、お確かめを」
それならと思い胸についたそれを見せようかと思ったがなかった
慌ててキーシャを見ると私のがその胸についていた
「キーシャとは先ほど自分の皿が見当たらないと一緒にお探ししたです
あれは彼女のものです
ご自身のが見当たらないのであれば一緒にお探ししましょう」
あの女・・・トイレで会ったあの時だと思った
かがんで耳打ちをしたあの時私からブローチを外したのだ
そこで謝りフィリップとお皿を探せばよかったのだ
無い皿を探すとなれば長い間一緒にいられる
ただ、そのブローチはアイリスにとっては誕生日プレゼントだった
「いいえ、フィリップ様
あのブローチもクリップも私のものだわ」
アイリスがわがままなのは有名だった
その場の誰もがアイリスがわがままを言っているという非難の目を向けていた
私のものを誰も奪い返してくれない。ならば自分で行くしかないと思った
だからつかみかかろうと近づいた
少し触れただけでキーシャはわざとらしく後ろによろめき尻もちをついた
「はぁ!?」
何よそれと声を上げるより先にフィリップがキーシャをかばうように立った
そしてキーシャに買収された弟が事前に打ち合わせでもしていたのだろうシャンデリアにぶら下がりフルーツのたっぷり入ったジュースのボウルを私の頭に向かってひっくり返したのだ
カランという音とともに会場がざわめく
大丈夫かいと声をかけられてキーシャがそれっぽく立ち上がった
ここで私は私としての記憶が戻ったのである
なんてタイミングだと思った
アイリスなら屈辱と羞恥にこの場を後にしただろう
まだ10歳だ
しかし今この瞬間精神年齢は35歳に一気に引きあがったのだ
すぅっと息を吸った
さすがに大人だからと言って耐えられる空気でもない為深呼吸そして少し落ち着かせようと思った
変に大人になってしまったせいか泣いて逃げるという選択肢が消えてしまった。
「キーシャ様、申し訳ございません
少し熱くなってしまいましたわ、あまりにも私のブローチに似ていたものですから
ところでそちらのブローチどちらでお買い上げになったのかお教え願いますか」
その質問にキーシャは意外そうな声を上げたのち戸惑う
そう、暴力でしか訴えることの知らないアイリスが何故か平然と会話をしようとしているのだ。
「フィリップ様、よろしければあのブローチについている宝石をよくご覧になって下さいますか」
私はこのプレゼントをくれた時の母の言葉を思い出していた。
私の言葉にフィリップはブローチを見て、そしてため息をついた
「大変失礼いたしましたアイリス様、あちらのブローチはあなた様のものでした
私の勘違いでこのような事になってしまい申し訳ございませんでした」
そういうとフィリップは控えていた侍女にすぐにでもタオルをお持ちするようにと指示を飛ばす
「フィリップ様?何をおっしゃいますの?これは私のブローチですわ」
胸にしっかりと付けられたそれは確かにしっかりと留まっている
状況の理解できていない彼女に口を開いたのはフィリップだった
「そちらのブローチは、 クルイエス国家が東部コルテス領が所持しております鉱山でしか採掘されない特別な宝石が使われております。
もしあなたのブローチだというならば男爵家のあなたが持ってはいけない宝石が使われております
コルテス家ほか伯爵家以上が所持できる特別な宝石を男爵家であるあなたが所持しているとなれば密輸した疑いをかけなくてはなりません」
さすが、優秀な青年だとは思っていたが母上の言葉そのままだ
我が家に伝わる代々の宝石である、と。
そして補足のように私は口を開く
「本日母様が私にと下さったものですので窃盗の容疑になるかと」
特別なものにしか施さない宝石が使われているのは確かだ
10歳のアイリスは興味がなかったので覚えていないが私は覚えていた
それにしてもよくフィリップは分かったものだ
爵位も今となっては理解できるが、少し前までの私はフィリップの顔がかっこいいという事と
その他私よりも格下の者達としか思っていなかった。
なるほど、ここでは階級によって服に使う生地や色合いが違うのだ
「カイリ降りてきなさい」
上にぶら下がる弟に声をかけるとびくりと肩を揺らしそして
シュルシュルとロープを伝って降りてきた
ロープで上まで登ったのか
男の子はやんちゃで困る
突然変わった私の口調に周囲を囲むご令嬢ご令息は固まっている
私から見れば小学校だここは
「私はまだまだ子供ですのでお母様に言いつけたいところですが」
そういうとキーシャの顔が真っ青になった
「子供の悪ふざけってことにしてあげるわ」
震えるキーシャからブローチを受け取ると私はさっさとその場を後にした
大人の私でも逃げたくなるほどいたたまれない空間だった
「お風呂入ろ」
途中フィリップの命でタオルを持ってきた侍女にあの場に濡れている方がいたらその方にお渡し下さいとだけ残した
散々な誕生日にがっかりした今日が
私の転生先での初めての一日だった。