プロローグ
バシャッ
頭からかけられたそれはぽたぽたと髪から滴り落ち、豪華なドレスに染み込んでいった
コルセットの上からでもわかるくらいベタネタとしたその液体は甘い香りを放ちながら容赦なく全身に広がっていく。
目の前には私から少女を守るように立つ一人の少年と
その後ろで少女が私をあざ笑うかのように口角を上げていた
周囲からざわざわとどよめきが広がり視線がすべて私に向けられていることが分かった
上から「やっべ」と小さく声が聞こえカツンと一度私の頭に当たってから床にボウルが落ちた
このベタつく甘いジュースを入れていたプラスチックの器だとすぐに分かった
あぁ、、最悪だ
こんな場面、普通なら泣いて走り去る所だが私は違った
なるほど、こんな感じか
このとき私が冷静でいられたのはよりにもよってこんな最悪な状況に前世の記憶が蘇ったからである。
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私はいわゆる“痛い女”というやつだった
はっきりと自分がそうであると気が付いたのは高校一年生の時
入学式が終わり新しいクラス、新しい友達作りに一抹の不安と期待に胸を躍らせていた私がたまたま同じクラスになった女子グループに言われたたった一言
それマジで言ってんの?
この言葉にそれほどの殺傷能力はない、ただ視線はひどいものだった
異常なものを見るように訝し気に顰められぶしつけに私を見回した。
なぜ私が痛い女かというと、消えない夢があることだ
少し聞こえがいいように言ったがそれはまだ私が三歳の頃だった
母親が読み聞かせてくれたとあるおとぎ話ではいつも何かにひたむきに励んだ少女たちを白馬に乗った王子様が迎えに行っていた
そして信じていれば夢はかなうとうたっていた
だから私も夢を見た
そしてひたむきに信じたのである
“いつか王子様が私を迎えに来てくれるはず”だと
普通は小学校に上がったころには気が付くはずの実在し無いそれを追い続け私は常に優等生でいた
勉強も頑張ったし家の手伝いもしっかりとこなした
家事をするときはひたむきさを演出するために鼻歌を歌ったし
朝電柱に留まる雀に向かって歌も歌った
大きくなるにつれ母親は和やかな見守りの目から奇異なものを見る目に
憧れの姉を見る目は奇妙なものを見る目に変わっていった
それでも私はどうでもよかった
信じていれば夢はかなうという言葉が私を現実から守ってくれていた
そうこうしているうちに35歳という王子様もとっくに迎えに来てくれない歳になっていた
薄々感じ始めた“王子様この世に存在しない説”を受け入れるにはあまりに歳を取りすぎていた
焦った母親にセッティングされた五回目のお見合い
その少し前にたまたま会っていた幼い妹の娘に化粧の仕方を教えて欲しいとせがまれていた
まだまだ幼い彼女にどうしてもう化粧がしたいのかとつい疑問に思い聞いたのだ
今となってはそれが過ちだったのかもしれない
「だってプリンセスたちはまだ16才とかみんな幼いでしょ?私も早くキレイにならないと王子様が来てくれないの!」
きっと妹は私を見て娘にあまり夢を見すぎないように言い聞かせたのかもしれない
だとしても幼いその言葉の威力は絶大で
まるで年を取ったあんたの所には来ないとはっきり言われたいるような気さえした
あぁ、白馬に乗った王子様はこんな歳ばかり食った私のところには来てくれないかもしれない
ようやくそう思った
今までとは違う、今回のお見合いは成功させなくては
ようやく目が覚めそう意気込んだのもつかの間
お見合い相手のいる部屋の扉を開けた瞬間
目に映る40歳そこそこの中年男性を見た瞬間
違う!王子様じゃない!!
と叫びそうになった
いや叫んだのだ
よく考えても見て欲しい30年以上ずっと王子様を思ってきたのだ
こんな一瞬で覚めるわけがなかった
そしてこの長い年月がどんどん理想を跳ね上げていた
きっと今の私は絵本で見た王子様その人が来たとしても高すぎる理想で突っ返したかもしれない
私の絶叫に男性は唖然としたそしてぽそりと
あなたも姫と呼ぶにはちょっと・・・と
きっとジョークだったんだろう、王子じゃないの一言に対して場を和ませようとしたのだろう
だがしかし私にはそれが私自身を全面否定する言葉に聞こえた
私は散々たる罵声を浴びせ、また彼もそんな私を罵倒した
「あんたみたいなブスデブでおまけに性格まで最悪なババァこっちから願い下げだ!!」
そう、あまりに実を結ばない現実に私はすっかり肥え、醜くなっていた
突きつけられた現実に私は逃げるようにそこから飛び出した
気が付けば夢ばかり見て処世術すらままならなかった私は仕事でも後輩が上司になっていた
そう、ひたむきな努力などとっくの昔にしていないのだ
こんな現実、こんな自分
何もかも嫌だった
転がるようにしてたどり着いた駅のホームでぼーっと線路を見ながら
飛び込んでしまったら楽になるのかと考えた
天国では王子様が私を迎えに来てくれるはず。
痛い女を通り越してもう病気といってもいい状態の思考でも“死”を前に戦慄していた
飛び込めば王子様がきっと・・・
そう言い聞かせたところで石のように固くなった体はピクリとも動かなかった
パァーーーーーーーーーーーーーーーー
鳴り響く音に私はその一歩が踏み出せずにいた・・・はずだった
ドンッ
後ろからの衝撃に固まって動かなくなったはずの私の体はまるで風に飛ばされる枯葉のように簡単に飛び出してしまった
そしていともたやすく電車に跳ね飛ばされて動かなくなった
私が悶々と悩んでいる時、後ろでは酔っ払いが女子高生に絡んでいた
何見てんだ 見てねぇよあっち行け てめぇ生意気だぞクソガキ と
周囲の人が離れる中ぼーっと死を考えていた私は酔っ払いに突き飛ばされた女子高生が背中に当たり玉突きのような形で押し出されたのだ
悲鳴と震える女子高生が見えた気がした。
真っ赤な視界にかすむ目にはそれっきり何も映らない
ただ女子高生に対して私が思った感情は
あぁ、あの子はまだ王子様が迎えに来てくれるんだろう
という狂気じみた執念だった
それを最後にプツリと意識は途絶えた。