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青空に歌えば  作者: 瞬々
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4番

 古い木のドアが耳障りな音を立てて開き、鈴が鳴る。店の奥に立っていた少女、空がフッと微笑んだ。


――まるで来るのが分かっていたかのような……。


実際、わかっていたんだろ。背を向けて空と話していたお爺さん店員も、振り向いて海人を見た。そして、嬉しそうに笑う。この人も何だか、只者ではないようだ。考えて見れば、朝、海人に話しかけて来たのも単なる偶然ではなかったのではないか。


――実は空の知り合いとかで……。


 その先の事には思い至れない。知り合いであったとして、海人とどんな関係があるというのか。全ては“偶々”が重なった事なのだろうか。


「やぁ、また会いましたね」


「いや、また会うとは思いませんでしたよ」


――なんか、すごく白々しいんですけど。


 意味も無く、おどおどとしてしまう。そんな様子を見て空は、吹き出すように笑った。


「また、会ったわね」


「なんというか、また会ったのに驚かないんですね」


 まあ、驚きやしないだろう。が、その意図が読めない。


「そりゃあ、そのサイン書いたの私だし」


 栗毛の髪が窓から差す陽の光りで、淡く輝く。地毛なのだろうか。自然な美しさが感じられる。


「そういえば、さっきの人は?」


「尾田君? 帰ったわよ。彼は小学校からの友達」


 友達という言葉がやや強調されたような気がするのは、気のせいではないだろう。彼氏ではないという事か、もしくは――照れ隠しか。


 後者だとしても、海人にはそれをどうこう言うつもりはない。アイドルや俳優とかが誰かと恋愛したり、結婚したりすることに怒り心頭になるファンがいると聞くが、そんなのは一方的で理不尽な怒りだろう、と思う。


「で、何をするつもりなんです? こんな所に呼び出しておいて」


 こんなところ呼ばわりされて、お爺さん店員は不服そうだった。別に貶すつもりで言った言葉ではないのだが。


「ふふふ、別に取って食おうってわけじゃないわ」


「そこまで恐ろしい事考えちゃいないです」


 なんというか、こちらが想像している事とは、まるで違う方向の事を答えられて調子が狂う。そして、なぜか空は正体不明の悪役みたいな笑みを浮かべている。


「私が求めているのは、そのカードに書いた通り」


「このお店が欲しいんですか?」


 頓珍漢な事を言って見せると、空は面白い程に狼狽した。手をバタバタと振って否定する。意外と人の言う事を真摯に受け止めてしまうような人なのかなとか、海人が思っていると空はサイン用紙をひったくり、強調するように表に人差し指を押し付けいう。


「裏に書いた事じゃない! 表に書いた事よ。新鮮な反応を示してくれたあなたみたいなファンと会いたかったの」


「は、はぁ」


 相手の気魄に押されて頷いてしまったが、全然事態が把握出来ていない。新鮮……そのままの意味だと、魚とか野菜とかに使われそうな意味である。あるいは、登山客が空気に対して言う言葉。決して読む方の空気ではない。


「あぁ、どっかで見た事があると思ったら、蒼野空じゃないか。いやぁ、最近テレビ出なくなったねぇ」


 お爺さん店員はぽんと掌で拳を打って納得。あれ、じゃあ、さっきまで何を話していたのさと、海人は脳内で首を捻る。そして、反応が薄い。


「お爺さん、よく知ってますね」


「ハハハ、君が疎いだけだろうに」


――返す言葉もございません……って、俺が疎いって決めつけるなよ。当たってるけど。


 図星を的確に指されているので、あえて言わないでいると、お爺さん店員は更に図に乗ったとばかりに、つけあがってくる。


「ハハハ、それだけじゃないぞ。今時のアイドルグループのメンバーの名前全員言えるぞい」


「え、48人?」


 そこだけは覚えている海人。頭文字とかその正式名称とか、そんなのは覚えてないというか、覚えきれない。社会科じゃあるまいし、なんだって皆、なんでもかんでも略したがるのか。


「んや、入れ替わったメンバーも辞めたメンバーも全員覚えておるよ。後、今度入ると噂されてるメンバーも」


「はぁ、凄いですね」


 純粋に驚きを感じてしまう。どっちが若者だよと、思わずつっこみたくなってしまう海人なのであった。


「ちょっと、人の話を逸らさないでちょうだい」


 空が両手をグーと握って、肩を怒らせる。ぷんぷんという擬態語が似合う。海人は呆れたらいいのか、喜んだらいいのか分からずに一歩引く。――喜んだら、うん。テレビに出るような歌手に目を付けられたのだから、本来なら喜ぶべきなんだろうけど。


「あー、新鮮な反応がなんやかんや……ですか?」


「それそれ」


 本人も細かい事は気にしない質なのか、こくこくと頷いてみせる。自分で書いた事なのに。


「で、新鮮な反応ってどんな反応なんですか」


「さっき、君が見せた感じの」


 いくらなんでも、抽象的過ぎである。ただ、彼女が言わんとしている事は分かるというか、彼女はよく分かったなという気分だ。海人は今まで彼女の歌をまともに聞いた事はないのだ。テレビでも生でも。いや、そもそも海人は流行りの歌というのを、積極的に聞かない。


 単に興味が無いというよりも、自分の好みに合うような曲が無いというのが原因だった。だから、友達にカラオケとかに誘われるとすごく困る。歌う曲が無くて。


「まるで生まれて初めて音楽を聞いたかのような?」


 あえて表現するならばそんなところかと、海人が聞くと空に苦笑された。


「そこまで壮大な感動を抱かれていたとは思わなかったわ」


「そりゃ、どうも」


 海人が答えると、空はお日様のように晴れやかに笑った。ただ、海人の気持ちは逆に曇り空だ。今にも雨が降りそうな位に真っ暗なのに、粒一つ落ちてこないという不思議な天気。


 空はそんな微妙な表情に気が付いて、笑うのをやめる。


「ん、どうしたの?」


「いや……」なんでもないですよと答えるつもりだった。


 だが、泳いだ目がふとある楽器を捉えてしまい、海人は口ごもった。


 お爺さん店員の視線も一瞬、その楽器に。だが、さっきまで冗談ばかり飛ばしていた口も今は静かだ。K(空気)をY(読)んだのだとしたら、かなり高度な技だ。


 多くの若者は、空気を読め等とは言っているが、一番肝心な所で読まない者が殆どだからだ。


「中学校に上がる前。小学生6年生の頃、俺はフルートの演奏を聞いたんです。両親が二人ともフルートを趣味程度にやっていて。その先生だった人が、小学校の音楽祭で吹いてくれたんです」


「……いきなり、何の話?」


 空が首を傾げた。海人は話すのがあまり得意ではない。面接でも度胸と誠意とキャリア(廃部寸前のクラブの部長)によってようやく、合格の崖にぶら下がれた程度だ。空はそれでも、笑いもせずに聞いてくれている。それが海人に話す勇気をくれた。


「その時も感じたんです。さっきと同じ、生まれて初めて音楽を聞いたかのような感動を」


「ほほぅ……」


 空は軽くそんな声を漏らしたが、内心では感激しているのかもしれない。しかし、海人の話はこれで終わりではない。


「その、小学生や中学生の時ってほら、衝動的になるじゃないですか。俺、その時から中学入ったら、吹奏楽部入ってフルートやろうって思ってたんですね」


「ほう、では君はフルート出来るの?」


 空が無遠慮に訊ねる。お爺さん店員が咎めるような視線を送ったが、海人自身は気にするふうでもない。


「いえ。吹奏楽部の顧問の先生には『希望の楽器ではなくて打楽器をやってもらうかもしれない』と、親には『勉強と両立できるわけない』からと、やめるように迫られて……一か月程粘りましたが、結局入部しませんでした」


「あらら……」


 口調こそとぼけた感じだが、心から落ち込んでいるような表情で空は言った。それが本当に共感して言っているのか、それともテレビに出て身に付いた芝居なのかは分からないが、彼女は歌手だ。女優でも役者でもなく。


「で、今は? 今はどうなの?」


 だから、落ち込んでいる表情、心からの共感は、本物だろう。だが偽物だとしてもかまわない。それならそれで、騙されていよう。嘘の優しさは時に真実よりも慰めになる事もある。


「今はやりたいとも思いません」


 きっぱりと答えると、空が「何故!?」と顔に書いたような表情になった。よくよく考えてみれば、どうしてここまで驚かれるのかわからないが、海人はフルートを眺めながら、どうしてだろうと考えてみる。


 実は高校生になったらフルートを習ってもいいという親からの赦し(思わず、難しい漢字の方を想起してしまう程に、その封印は強い)を得ている。受験勉強をあまり親に頼らずに乗り越えたその褒美として。実際、今は許してくれなかった時位に、「やってみればいいだろう」と勧めてくる。


 ただ、海人にしてみれば何を今更という感じがある。親の態度に対して、ではない。自分の押しの悪さに対して、引け目があるのでもない。勿論、それらがないと言えば、嘘になるかもしれないが。


 彼は今はもう、あの時のようには動けない。やりたいと思うだけで、飛び付くような情熱が、もうないのだ。


「あのころ、思い描いていた夢、夢と言ってもいいのかもわからないけど……情熱が無くなってしまったんです。だから俺は今はもうフルートに触ろうとかは思いません」


 空が何かを言いかけようとして、お爺さん店員に制される。お爺さん店員は、神妙な面持ちで海人に言った。


「今はもうフルートに触ろうとかは思わない?」


「はい」


「今はもう思わない」

「えぇ」

「今はもう、思わ、ない」

「え、ええ?」

「今は、もぉ、思わ、ない♪」

「なぜ、歌った」


 それはかの有名な古時計のメロディだった……と、そうではなくて、今まで黙っていたのは空気を読んだからじゃなかったのか。


「いやね。古時計みたいな歌だと思って」


「古時計のパクリですよね」


 よく言ってパロディ。もしくはオマージュ……は違うか。


「今の君をよく表していると思ってね。今はもう思わない。いい若者が、まるで枯れた老人のようじゃないか」


「うっ」


 痛い所を突かれたとばかりに、海人は呻く。自分のこの根気の無さというか、元気の無さが若者らしくないと、内心では薄々感じていた。わかっている。



 中学では、友達もそれなりにいたが、決して楽しい事ばかりでは無かった。クラスは、どことなく荒れ気味だったし、受験前で、気が立っている連中に憂さ晴らしと称したイジメにあった事もある。


 言い訳させてもらうならば、そうしたクラスでは目立たないように大人しくしていた方が、無駄な争いも避けられた、だからこんなに大人しい性格になったんだと海人は声を大にして……は言えないが、主張したい。


 とはいえ、フルート――音楽に対する情熱が無くなったのは、この事とはまた少し違う気がする。それが何かは分からないが。


 だから、お爺さん店員の言うように若者らしくないの一言で片づけられるのは、少し癪に障る。


「ふうむ、それはやるべきよ」


 今まで黙っていた空は、突然犯人に辿りついた探偵か、何かのように言った。


――そういえば被っているニット帽もホームズっぽいし、彼女のコンセプトは探偵か!


 絶対に違う。


「やるってフルートを?」


「そう」


 さっきからやたらと海人が、フルートをやっているかどうかに拘っているように見えるが、一体どうしたというのだろう。


「なんでです」


 もう少し何か別の反応を示せればいいのにと思ったが、結局海人はそう訊ねるより他に無かった。美少女探偵、空はにやりと笑うと真実を告げた。


「それは……」


――それは?


「それこそ私が求めている人材だからよ!」


 その場にいる者は、そのあまりな事実(省かれ過ぎて)に静まり返った(ぽかんとしたとも言う)


 空は決め台詞を決めた主人公のように、余韻に浸っていた。対する海人は、今聞いた言葉の意味を自分の脳内で分かりやすく変換するのに必死で、黙っていた。よし、考えてみよう。


 それこそ、私が求めている人材だからよ。私が求めている人材だからよ。私が求めている人材。求ム、人材。それはどんな?


 先程、やたらとフルートの話題に食いついていたのはどういう事か。あぁ、そうか。フルートに興味があるのか。でも、フルートって吹きながら歌う事できないよな。ピアノだったら、弾き語りがあるけど。吹き語りなんてどんな楽器でも出来はしないよ。じゃあ、誰かに吹いてもらいたいのかな。


……と、こんな感じの思考を15秒程で終えて、海人は聞き返す。


「フルート奏者が欲しいんですか?」


「うん、うん」


 さて、空という歌手は人の話を聞かないのだろうか。ここで、もしも海人がフルートをバリバリに吹けるベテランだったら、彼は天にも舞い上がる気持ちで飛び付いただろうけど。なんだって、彼女は目を輝かせて迫ってくるのか。嬉しいけど怖いという矛盾した気持ちを海人は、この15年という短い人生で初めて味わった。


「なら、せめて吹いた事のある人に頼んでください」


 誰だってそう返すだろう。どこか間の抜けた所のある彼女は、海人が経験者でない事に吃驚……しなかった。


「ちょっと、私の話やっぱり、聞いてなかったのね」


 それはこっちの台詞だ。そう突っ込みたくなる海人だが、空は大袈裟に溜息をつき、わかってないわねみたいな顔をしたので、黙り込んだ。


「いい? 楽器なんてものはね、何歳から始めたって頑張ればなんとかなるものよ。大学からピアノを始めて、音楽の先生になった人の話を私は知っている!」


「むしろ、俺はそんな話聞いたことないです。というか、その大学が教育学部だったとかじゃないですか?」


 まあ、どんな年から始めても大丈夫であるという証拠には違いないだろうけど。しかしながら、その為には必死になるか、余程の興味が無い限りは駄目なのではないか。


「閑話休題」


「便利な言葉ですよね。テストにも出たし」


「私が求める人材は、『ただの』フルート奏者じゃないのよ」


「ただの」と強調して言ったが、別に宇宙人とか明らかに只者じゃないフルート奏者を求めているとかではないだろう。だけど、繋がらない。今までの空の発言を単純に足し算するならば、新鮮な反応を示してくれたフルート奏者(吹けない)ということか。


 それはある意味ただの奏者じゃないかもしれないが、むしろただの奏者の方が何倍も役に立つだろう。しかし、空は自信と希望に満ちた声で言った。


「私はね、音楽グループを一から作りたいと思っているのよ」


「一から?」


そう、と彼女は頷く。栗色の甘い髪が上下する顔に合わせて微かに揺れる。


「私が思い描いているのは、楽器の種類や世代に囚われない、世の人間全てに受け入れられる普遍の音楽」


「それは……」


 お爺さん店員が思わずというように呟く。確かに、それは……である。


「なんというか、すごくでかい夢ですね」


 大きすぎて、無謀、そして抽象的すぎる。楽器の種類に囚われないというのが、どこまでの範囲なのか。そして、世代も同様に。


 世の人間全てに……そんな事不可能だ。少し考えれば分かる事だろうが、人の好みなど、十人十色なのであって例えば海人のように、テレビでやっている音楽にはまるで興味ないという人だっている。クラシックが好きな人がいれば、ジャズが好きな人もいたりで、時にその趣味趣向は対立する事もある。それを空は、海人以上に知っていても良いものだろうが。


「その夢の為には、あなたみたいに先入観で音楽を聞かない人を集めなくては、と思ったの」


 空に笑顔を向けられて、海人は沸騰しそうになる顔を背けた。あぁ、なるほどなと、海人はわかったようなわからないような。彼女が言う1から作るとは何のことはない。メンバーの能力をも1から育てようと言うのだ。しかし、だとしても海人は空が期待に応える事は出来ない。


「無理ですって。さっき俺が言った事聞いてなかったんですか? 俺はもう、吹きたいとは思ってないんですから。多分……、もう二度と思いません」


 二度と思わない。それを口にするのに、僅かながらだが抵抗を感じた。その事に海人は驚く。空に感付かれまいと、視線を逸らしたのが逆に不味かった。


「本当に?」


 海人は視線をフルートへと落としたまま答えない。それを見てとり、空は肩の力を抜いた。まるで脱力するように、或いは何かを悟ったかのように。


「わかったわ。わかったわよ」


――え?


 その温度を2、3度下げたかのような声に、海人の心がざわめいた。本当ならば、安堵するところである筈なのに。

「君がその気ならばいいのよ」


「えっと、つまり?」


 海人が訊ねると、空は大きく一歩を踏み出して迫った。今日一日否、一時間で幾度も高鳴った心臓がこれでもかという位に跳ね上がる。空のあの歌う時に漏れる吐息が、海人の顔に掛かる。そして、彼女は息を大きく吸うと――


「私がその気にさせてあげる! 心の底からフルート……いえ、心の底から音楽をやりたくなるようにさせてあげるわ!」


――青空のようにどこまでも澄んだ声で、海人の心に呼びかけた。


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