28番
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まだ、店の営業は始まっていないのだが、店のドアは開いている。海人がフルートを習う前から、そうなっているらしく、偶に近所の子どもが遊びに来るのだとか。色々と謎の多い楽器店である。
店内には既に恵美がいた。あのお爺さん店員となにやら話している。その手にはバイオリンが握られていた。3人が入って来るのに気が付いて、恵美は手を振った。
「あ、空さんに海人君に……誰さん!」
「あの、無理して呼ぼうとしなくていいですので」と尾田。
「彼が例の尾田元君よ」と空が紹介すると、恵美は顔を輝かせた。
「じゃあ、元ちゃんね!」
「ちゃん付けは止めてください」と元ちゃんこと尾田は泣きそうになりながら反対した。空はその様子がおかしかったようで、腹を抱えて笑っている。どうも、この娘、沸点が低いのでは。
「彼はメンバーじゃないから、尾田君でいいのよ」
「入れてあげればいいじゃないですか?」
恵美が首を傾げて訊ねると、空はそれが聞こえなかったかのような振りをした。尾田も何も言わない。怪しい。恵美と海人はちらっと視線を交わした。
「何かあるんですね?」海人が訊ねるものの、空は困ったような顔をするばかりで、話さなかった。
「俺と空っちゃんとの間の問題だ。介入してくるなよ」
尾田が海人を一睨みし、恵美はたじろいだ。しかし、海人はもう、その程度では怯まない。かといって、特に打開策があるわけでもなかった。
「お前の気持ちはどうなんだ。入りたいのか?」
「もう、帰るぞ。無理やり連れて来られて、何かと思えばそんな事聞かれるなんて。とことんお節介な奴だな」
そう吐き捨て、出ていこうとする尾田の肩を空の手が止めた。
「そのお節介のおかげで、私は今こうしているんだけど」
「あぁ、そうだったね」尾田は恨めし気に言葉を絞り出す。
空の手をそっと外し、今度こそ尾田は店から出て行った。
――あいつの本心はどこにあるんだろう?
そう感じたのは、海人だけでなく恵美もだったらしい。彼女は、尾田が出て行ったドアをじっと眺め、力なく首を振った。
「本人が、嫌ならば仕方ないですね。でも、空さん、本当に何かあったんですか?」
「大した事じゃないわよ。でも、これは他言無用よ?」
念を押したように、空は2人を見た。後、お爺さん店員。彼はというと。
「儂は、外の掃除でもしてくるかの」と、箒も塵取りも持たずに、外へと出て行った。場の空気を読んでくれたわけだが、あれで、どう掃除するのだろう。彼が出ていくのを確認し、彼女はふうっと溜息をついた。
「尾田君のお父さんはACに勤めているのよ。私を最初に見出してくれた人でもある。私がプロデューサーと争った時も、味方してくれて、私が歌手を辞めた後も何かと気遣ってくれた。そして尾田君はお父さんから仕入れた情報で、私を何度も助けてくれたの」
「それで、尾田が空さんのバンドに入るとやっぱり問題になりますよね」
海人が言うと、恵美は分からないというような顔をした。
「空さんが辞めた会社の人の息子が、空さんのバンドに入る。そしたら、尾田のお父さんは肩身が狭くなるんじゃないかと言うことです」
「うーん、確かにそれは私も思った事なんだけどね」と空は、珍しく弱気な表情で言った。
「尾田君のお父さんは実はそんなに困らないらしいのよ。尾田君から聞いたから本当かどうかはちょっと分からないけど」
信用ならない奴だからというわけではなく、こちらを安心させる為に嘘を吐いている可能性から、空はそう言った。
「元々、私が辞めるって言った時に引きとめようとしつこかったのは芹沢1人。なんでも、A・C・Sの構想を最初に打ち出したのが芹沢で、私を何がなんでも入れたかったらしいの。でも他の人はそれ程、強くは引き止めなかったわ。まぁ、だから尾田君が仮に私のバンドに入ったとしても、芹沢以外からこうげきされるような事はないと思う、多分」
「だとすれば、何が問題なんですか?」
恵美の質問に、空はうーんと唸った。
「私が初めてスカウトされる前から、尾田君のお父さんと私の両親はとても仲が良かったの。それに、尾田さんは私がデビューしてからは、何かと私の事心配してくれて。でも、その、なんというか、尾田さんは過剰保護的な所があって。何かと言ったら、尾田君を私の所に寄越すのよ」
「成程、バンドに入れるのに乗り気じゃないのは、そういう事ですか? 尾田君のお父さんに心配され過ぎるのも嫌だし、尾田君自身にそこまで付き合せてしまうのは悪いと、思っていると」
「やっぱり、あなたは名探偵になるべきね」
段々とランクが上がっている。それにしても複雑だ。しかもまた親子関係が絡んでくるなんて。
「そういえば、前に言っていましたよね。尾田君がバンドメンバー候補を紹介してくれるって。あれはどうなりました」
「あぁ、あれね。なんか、紹介しようと思っていた人の気が変わったらしいわ。なんでかはよく分からないけど、大方あの中傷記事のせいなんじゃないかしら」
ふむと、海人は考えた。それから、時計を見る。まだお昼にもなっていない。3時には戻って来られるだろうと、考えた。
「空さん、それに恵美さん。尾田君を追いませんか?」
「え、でも……恵美ちゃんの時とは違うのよ? 尾田君はやりたくないって言うかもしれないし」
「勿論、今度は違いますよ。だけど、彼にはっきりと聞いたんですか? 空さんは」
空は俯き――そして、溜息。
「私が聞いたら誘ったら、尾田君はきっと、うんと言うでしょうよ。だけど、それが真意なのか、それともお父さんの為だと思っての事か、私には分からない」
こんなに弱った顔を見せてくる空は今までで初めてだった。自分の境遇を嘆いた事はあったけど、それとも違う弱ったという感じ。
「だったら、いいですか? 俺にいい考えがあります。要は、彼の本音を聞けばいいんですよね?」
「うーん、そうだけど、何? いい考えって」
いい考えという言葉に、何か悪戯心をくすぐるような物を感じたのか、空の顔が少し明るくなる。
「えぇ、まぁね。でも、それをするには色々と小細工が必要なんです。協力してくれるかな? 2人とも」
2人は頷いた。よし、というように海人は頷き返し、自分の計画を話した。
「うーん、それは良さそうな考えだけど……」
「駄目だよ、海人君! それじゃ、君が……」
2人のそれぞれの咎めるような声を聞き、やはりそう思うよなと海人は苦笑した。だが、これが自分の考えた中では一番いい考えだと思うのだ。
「これが一番ですよ」
「いや、でも……」と空が反論しかけて、言葉を切った。お爺さん店員が痺れを切らして店に戻ってきたからだ。
「出来るなら、1日中外にいても良かったのだけどね、儂も勤務あるし。特に、最近は楽器教えたりするのに夢中になり過ぎて、上司に怒られたからね?」
本当に申し訳ありません――――!!
海人は目の前に土下座したくなる程の罪悪感に襲われた。いつか、何かでお返ししないと、と海人は思うのだが、何をすればいいか分からない。因みにレッスンの時は、いつも何かとお菓子を持っていくようにしてはいるのだが。
「で、今日はその様子だとレッスンは無しかな?」
「え、あー、はい、実は今から用事が出来てしまって」
「儂、また1人ボッチかぁ」
えぇい、面倒くさいなと海人は内心で思ったが、どうにか口には出さなかった。恩師だからね。
「すみません、本当に。でも、もしかしたらバンドメンバーがもう1人増えるかもしれないので」
「さっきの子かい。うーん、いい筋してそうだものなぁ」
「え、そうなんですか?」お爺さん店員――志澤が時折、レッスンで浮かべる真剣な表情を見て、海人は思わず息を呑む。
「いや、全然わからんけどな。心眼に目覚めたわけでもないし。老眼には最近目覚めたがの」
――おぃい!
思わず、ずっこけそうになる。そして、それは目覚めちゃまずいだろう。体は大切に。
「冗談はさておき、入れるのは構わないが、彼の気持ちを尊重するのだぞ。無理やり入れたりとかは、だーめ。音楽とは楽しむ事が第一なのだから」
「わかってますよ。それと……良い事いいますね」
「む、儂の台詞が取られた。儂良い事言うじゃろう?」
本来、それは他人から言われる台詞なのですが……。
海人はまだ躊躇っている2人に告げる。
「2人とも、来ないならいいですよ。俺だけでもやってみますから」
「あ、もう! 待ってよー!! 待ちなさいー!!」
空の叫び声と恵美の慌てふためく声が聞こえたが、海人は2人を待たずに出て行った。




