27番
「簡単にベーコンエッグでいいよね」
「えー、卵サンドがいいなぁ」
何か弟の方から聞こえたけど、異論なしということでベーコンエッグを作る。5人分。たかがベーコンエッグと言えども5人分ともなると、少し大変だ。かといって、誰かに手伝ってもらうほど複雑な料理でもない。
「はい、ということで薄切豚肉の卵のせです」
「おおー!」と空。
「つまり、ベーコンエッグ」とこれは彰浩。
「嫌なら食べるんじゃありません」とやたら所帯じみた事を海人。
佳織は笑い、幸人は無言でそのやり取りを見守った。幸人はそのまま、食べるとごちそう様といってきます。そして、そのまま立ち上がり、スーツを軽く整えると会社に出勤すべく出ていこうとした。しかし、ふとドアの所で立ち止まって振り返った。
「頑張れよ」
それが、自分に向けられた言葉だと気が付くのに、数秒を要した。その意味が頭に染み込むにつれて、海人の顔に笑みが広がっていく。そして一言。
「うん、頑張ります」
父は気持ちのいい微笑を浮かべて踵を返し、家を出て行った。
そのやり取りでリビングは、しばし穏やかな沈黙に包まれる。
「親子の愛情……ウマウマ」
「空さん、それベーコンが美味いのか、愛情が素晴らしいと言ってるのかどっちなんですか」
どっちもよと、空は幸せそうにベーコンをかじっている。前にテレビで見たライオンの子どもがふと頭に浮かんで、海人は笑いそうになった。
「ん? なに?」
――こらえた。
「え、あー、それでですね、何時ですか。その取材。というか、なんで今日いきなり?」
「実は、3日前くらいにはわかってたんだけど、ドッキリさせたくて。あんまり効果無かったけど」
「予定が入ってたらどうするつもりなんですか」
空らしいと思いつつも、海人は呆れた。まぁ、まだ春休みが数日あるので、どの道暇なのだが。
「堅物だね、海人君。まぁ、それはともかく、午後の3時よ。場所は白鳥新聞社にて。こっから近いところのね。はい、これ地図」
そう言って尻ポケットから出したのは携帯だ。画面一杯に簡易地図が載っている。ご丁寧にココ! と丸く印までつけられている。張り切りが違う。
「あぁ、ここか。なら分かりますよ」
そこは海人が受験した高校の近くだった。高校の下見やら、試験やら受けに行った所のなので、そこらへんの事はよくわかっている。
「そ、一応メールで今添付して送っとくね。忘れないでよ、3時だからね、3時!」
程なくして、携帯が鳴り空からのメールが届いた。開くと、件名には「遅刻罰金」と書いてある。「遅刻厳禁」の間違いではないかと思うが、あえて突っ込まないでおく。先程、空の携帯画面に表示されていたのと同じ地図が添付されていた。
「ごちそうさまでしたー」
「ごちそうさま。あ、俺達またいつもの場所に行くから」
空と海人は食事を終えると、佳織と彰浩にそう言い残し外へと出る。
「それで、具体的にはどんな事を聞かれるんですか?」
「何も決めてないわ!」とか言ったら、それはそれで空らしいとは思うが、実際は困る。
「何も決め……すみません、決めてます」
海人の青ざめた顔を見て、冗談が過ぎたと思ったか、そう言いなおす空。本当、心臓に悪い。
「まずは私がバンドを立ち上げようと思った経緯、それから仲間とどう出会ったか。どんなバンドを立ち上げたいのか。ざっとこんなことを取材されるわ。それと、ACの悪口はなるべく控えるようにって釘も差されてる。もしくはソフトにって」
不満そうに空は口を尖らせた。それほど、言いたい事があるのだろうかと海人は思う。そしてふとある事が思い浮かんだ。が、これは果たして言って良い事なのだろうかと悩む。口を閉じていると、空が怪訝そうに首を傾げた。
「何? どうしたの、急に黙っちゃって」
「え、あー……空さんも色々考えているんだなーと」
こんな誤魔化しが利く空ではなかったが、それ以上は追及しなかった。そして別の話題へと話を変える。
「そうよ。この2週間は特にそう。親とも色々話し合ったわ」
海人はハッと空の顔を見た。まさしく自分が聞こうとしていた話だった。2週間前、雨の中で空が嘆いた言葉がずっと気になっていたのだ。
「ごめんね。前あんな事を言ったから、仲が悪いんだと思わせちゃっただろうけど、仲が悪いわけじゃないの。むしろ、すごくいい。だけどね、関係が良ければトラブルが無いなんて事は無いのよ」
空は苦笑していた。無理をしているわけでも、嘘を吐いているわけでもない……と海人は信じた。空は冗談をつくのは好きだが、嘘を吐くのは嫌いだという事をわかっていたからだ。
「まぁ、そうですよね。俺もそうでしたから」と海人は自分と家族の事を思い出す。決して仲が悪いというのとも違う。3年前に大喧嘩した時もそうだ。
「空さんがACにデビューするのを、ご両親が決めたのは、そうすれば、もっと娘の曲を沢山の人に聞いて貰えるからー……と考えたから、なんですか?」
海人が訊ねると、空は大きな瞳を軽く見開いて、驚いた。
「すごいね、海人君は。前から思ってたけど、探偵になれるんじゃない?」
軽い冗談を飛ばしてから、空は視線を上に向けた。今日は晴れている。
「うん、まぁそんなところよ。元はと言えば、私が普段から『大勢の前で歌ってみたい』とか、なんとか言ってたせいもあるし。だけど、まさか、自分の歌がそんなに売れるだとか思ってなかったし……あー、こんな事言うとまた、言い訳っぽくなるなぁ」
がしがしと空は乱暴に自分の髪を掻く。そんな彼女を海人は別に格好悪いとか思わなかった。むしろ、自分と似たような事で悩むんだなとホッとした気分だった。
「いいんですよ、別に」と海人は青空を見上げた。遥か彼方向こうまで広がる青空。月並みな言葉だが、この空を眺めていると心が大らかになる気がした。
「話し合って、分かり合えたんでしょう?」海人が訊ねると、空はうんと頷いた。
「私ね、あそこを辞めてから、ずっと両親とは口を利いてなかった。辞めた理由を聞かれても答えなかったし。自分らしい音楽を奏でたいから、なんて理由言ったら怒られるって思ったしね。それに、相談だって出来やしないって決めつけてたの。でも、あの夜、海人君が誕生会でご両親と話しているのを見て、気持ちが変わった。早速、帰ってから両親と相談したわ。そしたらね」
と空は、ふふっと穏やかな笑みを漏らした。
「今まで思い悩んでいたのが、馬鹿らしくなると思ったわ。海人君や恵美ちゃんの事とか、全部、話したらね、『もっと早く言ってくれれば、真っ先に応援したのに』って」
「そうですか」と海人も相槌を打って、微笑する。内心ではずっと、その事が気にかかっていたので、安心した。
「心配かけちゃったね」
「空さん、俺の心でも読んでいるんですか?」
探偵になるべきは彼女の方だと海人は苦笑する。
「確かに心配はしました。だけど、それは心配させないようにって何も言わないからですよ。家族の事なんてデリケートだから、こっちから聞けないし」
「むむ、ごめんごめん。あんまり、私の家庭の事なんか聞きたかないやー! って思ってるかなと」
そんな投槍な事を思ったりはしない。
「空さん、散々、人の家庭とかに介入してきたじゃないですか」
「ま、まぁ……そうだけどさ。なんか、ごめん」
「いいですって。ちゃんと上手くいったんなら……」
と、海人は言葉を切った。すっかりと見慣れた光景、あのお爺さん店員が勤務する楽器店がある。そして、その店のドアに寄りかかるようにして立っている1人の少年がいた。
尾田元。いつも、空にマスコミ関連の情報をくれた少年で、彼女の幼馴染。その彼が、じっと海人を睨んでいた。それがどことなく威圧的で、殺気めいたものすら感じ取れて、海人は思わず気圧される。
「楽しそうだな、長倉海人クン」
挑発的な言葉に、海人は我に返り、思わず身構える。
「な、どうしたんだよ」
尾田元は、子どもとは思えない程の鋭さと冷たさを持った視線を銃口のように向けたまま、答える。
「俺が情報を持って来なきゃ、空っちゃんはとっくに、スキャンダルを食い物にしている連中の餌食になってた。そこんところを忘れるなよって事さ」
「え、あ、あぁ……うん」
前から気にはなっていたのだが、この尾田という少年は何者なのだろうか。いつもマスコミの動きの先を行って、空に警告を促してくるが、そんな真似が中学生程度の少年に出来るものなのか……。
「俺の事をよくわかってないみたいだがな、俺の父はACで働いてんだ。マスコミ連中がどう動くかとかもよく把握している」
「で、それをお前に教えてくれるわけか? 一体、どうして」
海人の質問に尾田は黙った。
「どうしてかは、俺にも分からないけどさ。情報は有効活用しなきゃ駄目だろ」
「なるほどね」
海人は分かったというように、頷いてみせた。彼を信頼する事に決めた。
「尾田君のお父さんは、私の歌を高く評価してくれていたのよ。初めてのオーディションで審査してくれたのも彼だし」と、空はこの場の緊張感が読めているのか読めていないのか、そう教えてくれた。
「あぁ、だからかな?」と海人が尾田から視線を逸らさないまま訊ねる。
「まぁ、そんなところだろうさ」と尾田も視線を逸らさずにそう答えた。
尾田が何故、こんなに自分を敵対視してくるのかは、海人には分からなかった。ともかく、ACの内部も一枚岩というわけではないことは分かった。彼女に味方する人も中にはいるのだ。
2人はしばし、睨みあったが先に視線を逸らしたのは尾田だった。
「だが、気を付けた方がいいよ、空ちゃん。白鳥新聞の取材を受ける事になったんだろ? 芹沢プロデューサーがそれをどっかからか、聞きつけて怒り心頭なんだ。あいつ、一度怒ると何しでかすか、分からない奴だからな」
「ありがと、気を付ける。て言っても具体的にはどんな事に気を付けたらいい?」と空が首を傾げる。尾田は相変わらず険しい顔。
「そうだな、もうマスコミを使うって手は無いだろう。週刊誌だって、ずっと同じ話題を取り続けたりはしないだろうし、何よりもあの白鳥新聞にちゃんとした取材をしてもらうからな。これ以上叩けば、自分達が自滅する事間違いなしだ。元々、あの取材だって芹沢が自分で勝手にやった事らしいしな」
報道関係で打つ手なしだとすれば、他にその芹沢というやつには、どんな手が残されているのだろう。海人には予想もつかなかった。大体、元々は会社のイメージを落とさないようにする為という名目で、空を叩いていた筈だが、それも失敗した今となっては、これ以上彼女を追い回す意義はない。後は、プロデューサーの個人的な感情だけか。
「だから、空ちゃんはもっと周りに気を付けさえすればいいんだ。俺が守るからさ」
尾田はまるで、戦場に向かう戦士そのもののような顔で言う。空はさしずめ、戦士の帰りを待つ歌姫と言ったポジションか。が、その姫はよくある小説や漫画の中の姫とは違い、戸惑っていた。
「う、うん。ありがと。でも、いいの? それで?」
「いいんだ。俺は」
空の質問に尾田は即答する。2人の間でなければ、分からない何か特別で複雑な関係を見てとり、海人は黙っていた。そして考える。
――一体、空さんは何を言っているんだ? それでいいの? って?
「それ」が何なのか。「いい」とは何が「いい」のか。が、考えても分からなかった。
「要件はそれだけだ。これで」と尾田は言うとドアから背を離し、2人の合間を抜けて、街の喧騒の方へと歩いて行く。そこで海人が訊ねた。
「待てよ、一緒にこれから店に入らないか?」
尾田は足を止めて、肩越しに振り返った。軽く驚いているような顔で。が、すぐに顔を引き締めた。
「俺はいい……それに、芹沢のやつが何しようとしているのか、まだ分かんないしさ」
が、海人は尾田に近づき、その背をぽんと叩いた。
「いいじゃないかよ。そんな険しい顔ばっかしていると、皺と白髪が増えるぜ? どうすっよ。大人になるまでにお爺ちゃんみたいな顔になったら?」
「な!? 余計なお世話だよ!!」
反論あり。しかし、海人は構わずに尾田の背をぐいぐい押して、店まで戻した。
―‐いつものノリなら空さんがこういうことすんだけど。
が、その空は未だ戸惑っていて、反応が鈍い。
――珍しいな……。
空は話さない。多分、さっき2人の間で話していた「心配をかけない為に」という事とは違う。彼女は話さないんじゃない。話したくないのだ。女の子の気持ちに対して超絶鈍い海人が理解できる筈も無いのだが、それでも彼は考える。
――俺はどうしたらいいんだろ。
誰にというでもなく問いかけても、誰も答えない。そりゃ当たり前だ。答えは自分で探すしかない。




