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青空に歌えば  作者: 瞬々
26/34

26番


 何もかも上手くいかない。それは当然の事だ。最初から出来る人間なんていないと、心に言い聞かせる。それでも、笑い、恐れず、「がんばろう」という声の風に乗って。そして、流れに乗り続ける。自分の道を歩み続ける。風の吹き荒れる道であろうと、仲間がいるから、歩み続けられる。


 間違いか、正しいかではなく。自分が求めた、あの時の感動を、手に入れる為に……。


 ――午前6:00


 カーテンから漏れる朝日に海人は、目を覚ました。ここ最近は、夜遅くまで起きていたせいで蒲団から出るのが億劫だ。


 しばらく蒲団の中でぼんやりとし、それから裸足の足を掛布団の上に投げ出す。ここ2週間の出来事を思い返す。夢の中では、時々空に出会う前の自分の日常が出てくる事がある。そういう時は、空と出会ってから起きた事の方が夢なのではないかと錯覚するが、起きてみると、今ここにある事が現実なのだと実感できる。


 枕元には、楽譜があった。あのお爺さん店員から渡された入門用のフルート教科書、それに奏法練習用の本。そして、「青空に歌えば」の楽譜。


 ――2週間で、最低1曲とは言ったものの。


 実際、そんなに簡単に出来る筈も無かった。空の曲の多くはテンポが緩やかであり、音が掴みやすいのではあるが、まだ海人はフルート自体を使いこなせていない。


 一応、それらしい曲だと聞こえるだけの演奏は出来るが、音の変化だとか、滑らかに連続させた音だとか、繊細な演奏が上手くいかない。


 お爺さん店員こと志澤先生からは、「驚異的な速さの呑み込みながらも、いまひとつな進歩」というどっちなんだよと思わず突っ込まずにはいられない評価を頂いている。とりあえず、下手ではないし、見込はあるという事らしいのだが。


 その志澤先生の言いつけで、「青空に歌えば」は1日に1回しか吹けない。何故かと言えば、まずは基礎的な練習をしなくてはいけないからというものだ。曲の方に集中しすぎると変な癖がつくかもしれないとの事で。


「青空に歌えば」をもっと練習したくて仕方が無かったが、海人はこの言いつけを、よく守っていた。率直なんて言葉は自分には似合わないと思うが、それでも、空の歌を吹く為に必要な事だと思って、必死に練習した。


 その甲斐あってか、譜上の記号は一通り読めるようにはした。どこを押せばどの階名の音が出るかも覚えた。


 受験で英単語を覚えた時よりも、すらすらと頭に入ったし、身に付くのも早かった。だから、どうだというつもりもないが。


 朝っぱらからフルートなぞ吹いたりすれば、さぞ近所迷惑だろう。なので、まずは手入れだけに留めた。


 本体は三つの部位に分解する。その中でも一番長い部位を先に拭きはじめた。ボタンのような形のキーを軽く押して固定し、本体と本体の中身を掃除する。


 こまめに拭かないと、汗や唾などが中に溜って錆びつく事がある。当然ながら、錆びつけばキーの動きが悪くなる。ジョイント部分に埃が溜まれば、組み合わせた時に抜けなくなったり、擦りあわせが悪くなる原因となる。


 これでいいかなと、海人は一度試しに組み立ててみると、フルートはカーテンから木漏れた朝日を受け、きらきらと銀色に輝いた。とても美しい。海人がこの楽器が好きな理由の1つとして、――その音色は当然だが――形と色が実に美しいというのがあった。


 試しに少しだけ吹いてみたくなる。そこで海人はフルートを構えた。左手の人差し指は常に本体と離れないよう、親指の位置を調節。肩や肘に力を入れず、張らない。志澤に教わった通りそのままに、海人は構えた。


 フルートにとっていい音とは何か。それを実現するにはどうすればいいのか。レッスンの時、志澤は常に問いかけてくる。謎々のように。


 ――広がる音、空へと飛ぶような音。


 ――それを実現するには、無駄な息のノイズを入れないこと。


 口を細く引き絞り、丹田で支えるように息を大きく吸う。そして、フルートを吹いた。


 ゆっくりと、しかし大量の息が細い管を通って響き、外へと流れる。


 低音域の音をそっと出したので、あまり大きな音は出ない。音が出るかどうか試してみただけだ。


「うん、良い感じだ」


 海人は1人満足して、再びフルートを分解し、ジョイント部分の汚れを拭き取るとケースに戻した。


 さて、今日で丁度2週間経った。海人は毎日欠かさず、あのお爺さんの店に通い、そこでお爺さんが暇な時を見ては教えて貰っている。たまに客や他の店員も来たが、志澤が海人を教えているのを見ても、それ程変な顔はしなかった。


 海人が気になって、その事を聞くと志澤はにかっと笑って一言。


「休憩時間には、いつも楽器を吹いたり弾いたりしているからの」だそうで、他の店員も客もさして気にしないのだとか。


 何となく腑に落ちない物を感じつつも、海人はこの人に習い続けた。空や恵美とは毎日のように会い、練習を冷やかされたりもしたが、むしろ海人にとってはそれが励みにもなった。


 元来、真面目過ぎる雰囲気になると、失敗する性格だからだ。いや、小さなミスに大きく動揺してしまうと言う方が正しいか。ともかく、軽い感じに流してくれる空と、包み込むような温かさで励ましてくれる恵美がいてくれたのは、海人にとっては良い影響となった。


 様々な助けを得つつ、ここまで漕ぎ着けた。やり遂げるつもりだ。


 空と言えば、海人の叔父が働いている白鳥新聞による彼女への取材が決まった。週刊誌と違って、一面を飾れるようなものではなく、文化の面で大きく載せられるだけだが、それでも信頼ある大手の新聞社からの取材がもたらす効果は、行き過ぎた憶測や過激な言葉遣いで客寄せする週刊誌などとは比べものにはならないだろう。


 ――皆の助けがあってこそ。


 本当にそう思う。だが、それもこれも海人自身が行動しようとの意志が無ければ、実現出来なかったことだ。


 だが、彼自身は自分が成した事には気づかない。これは全く持って海人らしいところだった。その鈍感力が恋愛方面でも働いてしまうのが、問題なのではあるが。


 海人はケースを手提げ袋に入れて持ち、1階へと下りた。


「よう、ゆず起きているか……」


 起きてた。だけど、いつもと様子が違う。そりゃ、そうだ。なんと、そこには空もいた。ゆずをケージから出してじゃれ合ってる。


「ひゃー! くすぐったいってば!! ハハハ、かわいいなー、このー」


 傍から見てれば微笑ましい光景だっただろうが、海人には刺激的過ぎた。突然で。


「ちょ、ちょっとちょっと! 何してんですか、空さん!! いつの間に入ったんですか!?」


 丁度、上から父と母と弟が降りてくるところだった。海人の声は聞こえている筈だが、妙にのんびりしているところからして、彼らは事前に知っていたようだ。つまりドッキリ。


「朝から騒々しいわねー」


 佳織がそんな事を言いつつ、目を擦っている。なんだかいつも以上に眠たそうな顔だ。父幸人はいつも通りの無表情。あれから、海人は色々と分かり合えたつもりでいたが、未だに何を考えているのか分からない。海人は空を指差して、両親に訊ねる。


「なんで、いるの?」


「いちゃいけない!?」


「話がややこしくなるんで、そういうノリは止めてください」


 ゆずを、まるでパペット人形のように差し出しながら、訊ねる空に、海人は冷静に対処する。2週間も共に過ごしていれば、分かる。例えば、彼女は今、超ふざけているとか。そんなことが。


「いちゃいけない?!」


 弟まで。こちらはもう突っ込みつかれたので流しておく。


「あー、5時頃来たのよ。海人は寝てたわね」


「え、全然気づかなかったけど……」


 チャイムが鳴った気配もない。自慢ではないが、海人は耳がいいし細かい変化に対して敏感に反応する。聞き漏らしはしないと思うのだが。


「そりゃ、そうよ。そっと入れてもらったもの」


 海人が分からないという顔をしていると、佳織は実に面倒そうな顔になった。


「ほら、堂々と家に来ると目立つでしょ。誰が尾けているかも分からないし。だから、携帯で連絡しあって、こっそり入ってもらったのよ」


「あ、あー……うん?」


 無理に納得しかけて止めた。尾行される心配があるから、朝早くに来、チャイムを鳴らさずに入った。そこまではいいが。


「そこまでして、来なくても……いつも会えるじゃないですか」


 あの楽器店で。因みにこの2週間でマスコミの追っかけは、ピタっと止んでいると空の幼馴染である尾田元は報告している。


 彼は、今も様々な情報を空やバンドメンバーに伝えてくれている。何か楽器が出来るのならば、メンバーに入れればいいのにと思うが、何故か空はそれには乗り気ではないようなのだ。


「ふっふふ、それはそうだけどもー、今日は重要なおしらせが」


「メールじゃ駄……すみません」


 これ以上言うと爆発しそう(感情的に)なので、止めた。朝から爆破オチは勘弁願いたい。


「なんと、取材の日程が今日に決定しましたー!」


「おぉー……」


 えっと、それだけ? と海人は黙り込んだ。空はその反応の薄さにご満足しなかったようで、頬を膨らました。


「ぬー、もっと喜びなさいよ。新聞よ、新聞に載るのよ」


 新聞に載るのはあなただけではーと海人は心の中だけで聞く。とはいえ、海人自身も一言二言、質問されるとの事なので、小さな写真が1枚載るくらいはあるかもしれない。


 ただ、それがそんなに嬉しい事かと問われると、正直な気持ちとしては、物凄く嬉しい!! 新聞に載るとか凄くね!?


 ――って思うのが普通の反応なのかな……。


 自分が何かで目立つという嬉しさよりも、空の気持ちが晴れた事の方が勝っていた。第一、海人はまだ未熟だ。そこらの高校の吹奏楽部の部員よりもずっとレベルは下なのだから……等々、彼は頭の中で云々。


「全く、謙虚が過ぎると卑屈になっちゃうって知ってる?」


 空の言葉にハッと海人は頭を上げた。どうやら、長い間付き合って、相手の気持ちが分かるようになったのは自分だけではないようだ。


「すみません」


「だー! だ、か、ら」


 そんな凹凸コンビを見て、長倉家の外野から笑い声が起こった。


「本当、面白いわねー2人は」


「うぐ……笑いごとじゃないのにぃ」


「ほら、海人。折角空さんも来たんだし、朝ご飯作りなさいって」


 佳織に促されて、海人は何故かキッチンへと向かうことに。因みにゆずへの餌やりは空がすましていた。彼女の祖母が犬を飼っているとのことで、世話には手慣れている。



 ――なんというか、すごい適応力だよな、空さん。


 

 思わず口元が緩んだ。そして……この何気ない日々を大切にしたい。そう思った。

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